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「顔が見える時代」の進化:ビデオ通話が変える社会

ビデオ通話の技術が日常生活にどのように広がっているかを探る。テレワークやオンライン教育、遠隔医療など、さまざまな分野で「顔が見える」コミュニケーションが求められる中、その可能性を考えてみます。

夢見た未来社会

僕は、1968年生まれです。小学生の頃の社会科見学や、休みの日に親に連れて行ってもらった、逓信総合博物館(2015年に解体)で、テレビ電話を使い、未来社会を夢見ました。

iPhoneのFace Timeをはじめ、ビデオ通話が当たり前の時代になってしばらく経ちますが、下記のような記事を見て、改めて思うところがありました。

冒頭の小学生の頃、逓信総合博物館でのテレビ電話体験は、友達の顔を見ながら話せることに驚き、胸ときめかせました。それは、ウルトラマンなどのテレビ番組で、科学特捜隊などの人たちが、ビデオ通話を行っている未来の様子を見ていたからかもしれません。SFのようなことが、本当にできちゃう! みたいな興奮です。

利用事例と普及の課題

上記の記事にもありますが、1980年代や1990年代に挑戦されたテレビ会議システムや一般家庭向けの静止画テレビ電話が普及しなかったのは、価格的なこともあるかと思いますが、その活用方法が見出されなかったことに大きな原因があるように思えます。

現代のスマートフォンのように、さまざまな機能の一部として提供されている状況と異なり、当時は、わざわざそのためにシステムを新規導入しなければならなかったからです。

その意味で、万博会場での迷子の顔を見ての確認は、素晴らしくわかりやすい利用事例と思われます。日常的に求められるものではなかったことが、残念です。

「みえる」「わかる」の先にある「できる」こと

顔が「みえる」ことで、何が「わかる」のか。その何かがわかることで、何が「できる」ようになるのか。

現代のビデオ通話を活用したさまざまなサービスは、顔が見えることをから、何をわかるようになっているのでしょうか。

テレワークとオンライン会議の普及によって、ビデオ通話がビジネスにおけるコミュニケーションの新潮流と言われています。

医療現場でのビデオ通話活用、遠隔診療が広がってきています。遠隔地の患者や高齢者にも医療サービス提供が模索されています。

オンライン教育、ビデオ通話で子供たちの学びを支援する形も検討されています。そして、高齢者向けビデオ通話サービにより、孤独対策につながるコミュニケーションの場が生まれ、高齢者のQOLの向上が期待されています。

ビデオ通話を活用したオンラインショッピング等も、顧客との距離を縮め、よりパーソナルなサービス提供が目指されています。

「みえる」「わかる」「できる」を結ぶ妄想の力

顔が見えた方が安心、というのもひとつの価値だと思います。そして、その先にも、より大きな「わかる」と「できる」が控えているのだと思います。コロナ禍によって、対面が難しくなった数年間でした。対面したとしても、マスクによって表情が読み取りづらい状況が生まれた数年間でした。このマスクによる表情遮蔽問題は、対面可能になったからこそ複雑化し、長く尾を引きそうな状況でもあります。

「みえる」ことから、「わかる」「できる」への架け橋を常に考えること。カンブリアナイトの根本にある、カンブリアサイクルは、「できる」を起点にして反時計回りに考えます。それが「できる」ようになるためには、何が「わかる」ことが大切なのか。それを「わかる」ためには、何が「みえる」ようにすればよいのか。

データはテクノロジー起点で「みえる」「わかる」「できる」と流通しますが、企画は、それを逆流します。さまざまな技術が磨かれていく時代において、このデータを逆流して妄想することを楽しめる時代の到来と喜びましょう。その際に、カンブリアサイクルを、ワクワクする未来を考える上で、ひとつのフレームワークとして活用していただけたら嬉しいです。


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