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Z世代、女性起業家…DE&Iの世の中で、どうして私たちはラベリングを続けるのか

非常勤講師として教えている大学の授業のあと、就活中で日々志望先の面接を受けている学生が「Z世代と括られることに違和感を感じる」と話をしてくれました。話を聞いてみると、世の中が多様性を認め個々人の固有性を尊重し合うことを求める中で、依然として世代別にネーミングされ、特徴を一般化されることに矛盾を感じるという、思わず頷く話でした。

DE&Iとは

性別、民族、宗教、国籍、年齢など様々な違いを認識し、それぞれの立場や視点を尊重することの大切さを「ダイバーシティ(多様性)」。多様な個性や価値観を持ち寄り、誰もが生きやすい状態を目指そうとすることが「インクルージョン(包摂性)」。その二つを並べたD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)は、近年行政や企業の取り組みにの中でも盛んに取り上げられており、聴き馴染みのある方も多いのではないでしょうか。

そこに、様々な情報や機会に公平なアクセスを保証していくべきという考え方である「エクイティ(公平性)」を付け加えたのが、DE&Iです。多様な属性やバックグラウンドに配慮し、一律平等ではなく、個々にとって最適なサポートを公平な形で提供し、世の中の不公正のでこぼこを是正していこうという考え方です。

米国のトランプ政権の間に表面化したポピュリズムやBLM運動、コロナ禍で拡大した格差や分断を目の当たりにし、これ以上様々な社会課題から目を逸らすことはできない時代になったことを人々が認識した結果生まれたムーブメントとも言えるのではないでしょうか。

日本国内では特に、ジェンダーに係る多様性の課題が取り沙汰されることが多いように思います。世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指数では、残念ながら最下位グループが定位置となってしまっている日本。挽回を図るべく、女性活躍推進をはじめとするジェンダー平等は喫緊の課題となっています。

一人ひとりの個性を認め尊重し合う社会を目指す一方で、属性やバックグラウンドなどから人々を一括りに名付けて一般化しようとしている…冒頭の学生の指摘は、そんな矛盾に対するモヤモヤを提起しているものだと思います。

世代別のネーミング

ゆとり世代、さとり世代、ミレニアル世代、Z世代…遡ってベビー・ブーマー世代或いは団塊の世代…私たちはあらゆる世代にネーミングし、その特徴を紐付けてきました。私自身は、1980~95年に生まれたミレニアル世代、1980年代〜1990年代を同じくカバーするY世代と重複するようです。こちらの記事によると、私の世代は、ITリテラシーが高く、個や多様性を尊重する傾向があり、モノよりも経験に価値を置く経験があり、とはいえZ世代に比べると貯蓄志向に勝る物欲もあるとのこと。私個人には、ある程度当てはまる気がします。

因みに今回記事を書くにあたり勉強する中で初めて知りましたが、1990年代半ば〜2010年代前半生まれの「Z世代」に続く2012年〜2025年くらいまでに生まれる世代をことを「α(アルファ)世代」というようです。

日経新聞『令和なコトバ「アルファ世代」 全盛「Z」に早くも後継』によると、こうした世代分けが始まったのは第二次世界大戦後。1950年代にアメリカで出版された写真集「ジェネレーションX」が発端だといいます。戦後〜1980年ごろに生まれた世代をX世代、後続のY世代がミレニアル世代に重複するようです。

記事の中でも専門家の方が認めているように、10歳以上の幅がある世代を一括りに論じるのは難しいはずです。ですがそんなことは理解しながらも、それでも私たちはその時々の社会経済状況に影響を受ける世代別の行動形式などを一般化して「特徴」として論じてきました。

モヤモヤを共有してくれた学生は、就活を通じて面接官からたびたび「Z世代は〜」とそうした一般論を押し付けられるような気がすることや、一個人としてではなくZ世代を代表したフィードバックを求められているような気がすることを窮屈に感じたのだと思います。

ラベリング効果

少し話は変わりますが、2018年末に約7年の海外生活を経て日本に本帰国して以降、私自身も「女性」という形容詞が肩書きについて回ることに違和感を覚えました。「女性起業家」「元女性外交官」…一方で、「男性起業家」「男性外交官」という表現は目にすることはなく、女性であることは自身の属性であることに間違いはないものの何故敢えてジェンダーに言及しなければならないのか、疑問を感じてしまいました。少数派だからこそ、そこをハイライトし後押しする必要があるということはなんとなく理解しながらも、一個人として仕事に臨む前に、「女性らしく」あることを求められているような気がしてしまい(そんなつもりではないとは思うのですが)、モヤモヤを抱えたまま今に至ります。ある会合で、「女性を代表して意見をお願いします」と話を振られた時は、なんと応えればいいものか思わず言葉に詰まってしまいました。どれだけ多様な経験と発想を持った女性が世の中に存在することか…ということを思うと、とてもじゃありませんが、女性一般を代表することなんてできません。

どうして私たちはこうしていろいろなことにネーミングしたがるのだろう、一括りに整理したがるのだろう、どんな心理的な背景があるのだろうと思って調べてみると、「ラベリング理論」という考え方に行き当たりました。レッテルを貼って人を動かしたり、事象に影響を及ぼす心理効果、或いは及ぼそうとする心理操作のことを「ラベリング効果」と呼ぶそうです。本人固有の性格や特性からではなく、貼られたラベルに影響を受け、その人のアイデンティティや行動パターンが形成されることが、まさにそれに当たります。「男の子なんだからそんなことで泣いてはダメ」「女の子なんだから乱暴な言葉遣いはやめなさい」「○型っぽいよね」…というような性別や血液型を理由に方向付けするようなことも、ラベリング効果に当たるでしょうか。無意識に刷り込まれてきた所謂「当たり前」に基づいた、“アンコンシャス・バイアス”もあるかもしれません。

ポジティブな使い方という意味で、ラベリングを意識的にビジネスや育児に有効活用するという話題がネット上に散見されました。「ラベリング効果」には恐らく一方で、どんな人なのかわからない存在が目の前にある時、無意識にラベリングすることで相手を理解した気持ちになって安心しようとする意図が働いているような気もします。相手が何者かわからない時、ちょっと距離を取りたいなと思う時、自分はこちら側、相手はあちら側…と立場や土俵を分けることで、自分の心理的安全性を確保しようとしているのかもしれません。

ラベリング効果に影響された自分?

「Z世代」とそれに紐づく特徴で定義されることを窮屈に感じた学生は、外部からのラベリング効果に惑わされることなく、自分と向き合い表現することを追求しようとしているのだろうと思います。一般化された特徴ではなく、自分自身はどんな人間で、どんな考えがあって…ということを臆せず伝えるのは、とても勇気のあることだと思います。

彼女のように、自分自身に、あるいは目の前の人にタグ付されているいろいろなラベルを一度脱いでみて、本当の自分や相手と向き合ってみたい…と私も思います。

ミレニアル世代の一般的な定義が、その世代の自分の特徴としてもしっくりくるような気もする…と先に述べました。でも、本当にそうなんだろうか、世の中が想定するミレニアル世代像に本当の自分がマスクされていないか改めて考えてみたい、そんなきっかけを彼女からもらった気がしています。同時に、所謂世代の特徴を色眼鏡に目の前の相手に向き合ってしまっていないか、人に対する自分の見方も見つめ直していきたいと感じています。

皆さんの個性は、所謂「〜世代」に合致していますか?無意識のうちに目の前の相手をラベリングしてしまっていませんか?


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