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日本は「ユートピア」でありつづける方程式

ドバイ経由ミラノからの海外航空の帰国便のなかで、キャビンクルーの日本人と話をした。「キャビンクルーは、みんな、日本に行きたがって、日本便の競争率はとても高い」と言うので、「どうして日本便が人気なのか?」と訊くと、「日本はとても綺麗で、清潔で、食事も美味しいから、日本に行きたがるキャビンクルーがいっぱいなんです」と


1 日本を「ユートピア」という世界の人たち

世界の人は、日本人のことが好き。日本人は親切で、日本の文化的な素質が好き。WBCでのチェコやイタリアの日本への評価はリップサービスではなく、本気でそう思っている

世界からみた日本は、ユートピア

世界に、こういう社会があるのかというのが、海外の人が見る日本のイメージである

ある種の日本人は、世界から軽蔑されたり嫌われたりしている人がいることはいる。ビジネス、経済、学術の世界では、切磋琢磨に競争するなか、その世界のなかで、日本人が、そう見えられることはある

たとえば捕鯨。日本と世界の国々との対立構造は長年つづいている。世界と日本の論点の乖離。単に食文化の違いだけでは理解できなく、このせめぎあいの本質はそれとはちがいところにある

しかし、そういう世界のなかでのルールの駆け引きを抜きにすれば、世界の人々はいたって仲がいい。そのなかで、総じて日本人や日本社会は高く評価されている。国と国という競争を避ければ、日本にはいい人がいっぱいいるという世界の日本観がある

2  世界が絶賛した一葉の写真

世界で観光が動きだした。観光の流れがコロナ禍前に戻ろうとしている。日本の観光地に、世界の人が来られ、賑わいはじめている。世界から来られる人たちは、日本に何のために来られるだろう?世界の人はなにを見て、どう感じられているのだろう?

日本を変えた一葉の写真がある。7年前の宮内庁のこの写真をサウジアラビアが世界に配信した

日本の美、すごい!
究極のミニマリズムだ

との賞賛、感動の声が世界で広がった。世界的な価値観、ミニマリズムの文脈で、日本美が捉えられた。しかしこの写真が20年前に配信されていたら、これほどまでに感動されなかっただろうか?おそらくそれまでのアラブの世界の価値観ならば、現在のように評価されなかっただろう。かくの如く、世界の価値観は変わる

このミニマリズムを期待して日本に着く。その習慣から、自国では感じられない安心とか豊かさを感じる。日本で食事している時間とか、街を散策している時間に、清々しさとか清潔さとか潤いを感じる。だから日本に行きたい

世界の人が日本に行くということの本質は、日本で有名な場所に行きたい、日本料理を食べたい、素敵なところで買い物をしたい、アニメの聖地に行きたいというだけでなく

日本で時間を過ごしたい

ということではないだろうか。それが、世界のユートピアといわれる本質ではではないか

3   日本人が気付いていない日本

日本料理の世界展開の勢いはすごい。コロナ禍前と比べて、イタリアのシチリアでもミラノでも、寿司店、日本料理店が増えていた。ドバイ国際空港でも、寿司、ラーメン、丼ものなど日本の料理を出す店が多く、世界中の人が普通に食べていた

日本の料理は世界料理となった

コペンハーゲンのフランスレストランで食事をしたところ、明らかに日本料理を意識した盛り付け、備長炭を使った和食風の調理パフォーマンスなどを見た。日本人から分かったのだろう、シェフがなんども声をかけてくる。出汁の質問も受けた

「昆布は、真昆布がいいのか?利尻昆布がいいのか?」

フレンチのミシュラン店シェフも、日本料理の旨味の研究をしている。自らの料理をさらにレベルアップしようとしている。明らかに、日本料理が世界最先端のひとつになっている

その外からの評価の実態を
日本の料理人はどう思っているのか?

それは、観光やアニメや日本料理だけではない
中国の深圳の若手経営者たちと議論をした。深圳速度と言われるスピードとイノベーションを生み出す風土・メカニズムを学ぶためだったが、ある深圳の若手経営者は、こう言った

「技術では深圳が日本を上回っている部分は多い。しかしデザインでは日本に50年遅れている」

彼のいう「デザイン」とはなにか?意匠という狭義の意味ではない。もっと広義のデザインのことをさしている。ものごとをつくる、人々を感動させるモノ・コト・サービスをつくりあげるデザインという意味だろう。つまり、こうではないか。日本性をつくりあげる公式を考えた

日本性=機能性×(精神性×洗練性)×多様性

機能とは、そのモノ・コト・サービスの基本が満たされていること。たとえばスリッパならば、快適に履けること、長く履けること。そしてそれに見合った価格であること、納期があること。それは前提である

精神性とは、スリッパならば日本の歴史・文化性にもとづく、ウチとソトの場の精神的価値観を踏まえた意味が込められていること。料理ならば節句の行事に見立てた料理をだすこと。洗練性とは、磨き込み、練り上げて、優雅で、上品で、心を感じていただけること。この「精神性×洗練性」が日本フィルターとなり、日本性を創りあげる

そして多様性とは、日本フイルターを多面的に展開すること

そのモノ・コト・サービスの機能性を担保したうえで、「精神性と洗練性」という日本フイルターを掛け合わせ、すべてのそれを一気通貫に展開、多様化させることで、日本は日本性を創り育ててきた。この方程式が崩れつつある

4 日本の未来は、現在の日本にある

しかしなんとなく、みんなが感じていることがある。わたしたちは、大切ななにかを失ってしまったのではないか?

今、世界から、すごい・素晴らしいと言われている日本性・日本文化って、いつのものだろうか?過去、古いモノ・コト・サービスに、現在の私たちは便乗しているといえないだろうか

まだ一部残っている日本性・日本文化が薄れていこうとしているのではないか。どこかで蔑ろにしているのではないか。「ユートピア」日本は、なにかひとつで創り出されるものではない。一つひとつ、一人ひとりの日本性が磨かれて、いっぱいの日本性が結合されてこそ、ユートピアとなりうる

日本性や日本文化は決して高尚なものではない。伝統的で、一部の人や店や組織がするだけではない

2月に行ったイタリアで、なんども日本語で声を掛けられた。日本のアニメを知って、ユーチューブで見て、日本語を勉強して、日本のことを知り、日本に行きたいと願う

彼らにとっての日本は、アニメが起点である

日本のアニメや特撮モノを幼いときから見ている。ルパン三世、ドラえもん、ドラゴンボール、グレンダイザーを見ている。なにが世界の子どもの心を捉えているのか

日本のアニメは、あまり殺しあわない。アンパンマンは毎回、パンチでバイキンマンを吹っ飛ばすが、翌週にはバイキンマンは元に戻って帰ってくる。
日本アニメは、いい人も悪い人も、いいところがあり、悪いことをしても

許し、許される

これが日本の精神性であり、そして描写が圧倒的に洗練されている。ここでも、「日本性=機能性×(精神性×洗練性)×多様性」がまわっている

自動車は雇用を生む、2次3次4次5次の下請けを生むが、アニメはマスの生産、マスの雇用を生まない。観光や日本の食などサービス業は産業連関性が乏しい。それでは、日本を牽引できない。だから別の大きなものをぶちあげないといけない。それは本当?

アニメも日本の料理も、日本性・日本文化として世界から志向されているが、コスプレの世界市場をおさえているのは日本ではない。世界での寿司店・日本料理店を経営しているのは日本人ではない店が多い。勿体ない

もう大量生産・大量販売の時代ではない。それは分かっている、だから変革だ、イノベーションだというが、まだまだその成功体験の思考から抜け切れていない人が多い。売れなくなった売れない、どうしたらいいのだろうかと悩んでいるが、今、世界から評価されている日本性のモノ・コト・サービスがたくさんある。世界が求めているのに、日本はそれを全力でしない、勿体ない

世界は日本性を評価しているのかの本質を読み解き、それを再定義して、再構築して、再起動させ、磨きあげることで、真の日本性を世界に展開できるのではないだろうか。世界が気付いている日本があり、日本が気付かない日本がある。本当に勿体ない。日本だけを見るのではなく、世界を見て、本当の日本を知る。そしてどうする

日本性を創りあげる方程式をまわす。「日本性=機能性×(精神性×洗練性)×多様性」を再起動させる。日本の未来は、現在の日本にある

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