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ギグワーク生活をしていたボクが学んだこと。

皆さんこんにちは、澤です。

前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!

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さて、今回のテーマは、「ギグワーク生活」です。

ギグワーク、という言葉をご存じでしょうか。
「短時間かつ単発で仕事をする働き方のことをさす言葉」というのがその定義です。
「ギグ」というのは音楽業界でよく使われる言葉で、定期演奏会などではなく単発のライブなどのことを指すそうです。そこから「単発仕事」につながって「ギグワーク」になったようですね。

そしてこの記事。

江戸時代にすでにギグワーカーとしてのフードデリバリーがあったとは!
たしかに、魚売りなどが浮世絵に描かれていたり、時代劇に登場したりするのは知っていましたが、ギグワーカーとしては認識してませんでしたね~~
あの肩に担ぐ道具を「棒手振(ぼうてふり)」と呼ぶのも初めて知りました。
まだまだ勉強不足やなぁ。

さて、この記事の中で書かれたこの部分。

井原西鶴の文学には棒手振をステップとして屋台を引いたり、店を構えたりした成功者が出てくる。

まさにキャリアプランのファーストステップとして棒手振を担いでいたのかもしれませんね。
ギグワークは「その日暮らし」的な受け取り方がされやすいようですが、これは働く人たちの考え方次第でどうにでもなるのかもしれません。

ちなみに、ボクも「ギグワーカー時代」がありました。
大学受験をまじめにやらずに、高校卒業と同時にフリーター生活を始めました。
運送業の仕分けセンターで、日雇いバイトでお金を稼ぐ日々。
やることは、ベルトコンベアーで流れてくる荷物の中から自分の担当エリアのものを見つけて、車輪のついた大きなかご(カゴ台車、と呼ぶみたいです)に積み込んでいくという単純な作業。

※カゴ台車っていうのはこんなやつ

ただ、重さのけっこうある荷物があったりして、それなりに体力・筋力は必要でした。
運動は苦手だったのですが、このバイトで自分が意外と力が強いことを知ったりもしました。
(40代になって遊びで背筋力を測ったら300キロくらいあって周囲も驚いてました)

このバイト、けっこう時給がよくて、生活もどうにかなってたんですよね。
自分の人生に何の希望も持っていなかったので、実家に住みながらダラダラとなんとなく時間をつぶす日々を送っていました。

その仕分けセンターでは深夜の時間帯に働いていたのですが、いろんな人たちがいました。
ボクのようなフリーターもいれば、学生さんもいました。そして、意外と多かったのが他に仕事をしている40~50代くらいの男性たち。
本業が終わった後で、小遣い稼ぎのために来ていたようです。

いろんな人たちが一か所に集まって、単純作業にいそしむ。
めちゃくちゃ不満を持ったりしていたわけではないのですが、なんとなく違和感を感じたのが、自分の父親くらいの世代の人たちの存在。
得意げに語るのは、いかに自分の息子が優秀かという話や、自分の勤めている会社が立派かという話。
本人自身の話がほとんど出てこないんですよね。
だから何だってことはないのですが「今ここにいない誰か」や「本人たちの仕事ぶりが見えない会社の話」をされても、あまり興味が持てませんでした。

半年くらいフリーター生活をして、秋くらいから慌てて勉強して大学に入ります。
運送会社の仕分けセンターは、ギグワークをする場所としては結構めぐまれていた気もしたのですが、「ずっとここで働き続けよう」と思うような仕事環境ではなさそうだな、と感じた記憶があります。

ボクのように大して賢くもなく「自分の人生を豊かにしよう」なんて考えもしないタイプの人間にとって、大学というのはなかなか便利な場所です。
高校時代と違って、自分でいろんなことを選べるようになり、社会の人たちとの接点もどんどん増やすことができるからです。

学生時代は、浦安あたりにあるでかいテーマパークで働いていたのですが、ここはバイトでありつつ「ギグワーク」というイメージを持たせないような工夫がされていました。
(トップ画像は、バイト時代のものです。若っw)
そのため、フリーターであろうと学生バイトであろうと正社員であろうと、同じように業務にあたる、ということが徹底されていたように思います。


それでもやはり、「フリーターと正社員」の間には、非常に大きな川が流れていることも分かりました。
フリーターには、「なんとなくバイト生活を続けている人」と「夢の実現のために定職にあえてつかない」という二種類がいたように思います。
なんとなく続けているタイプの人たちは、待遇がいい分なんとなく抜け出すきっかけをつかめていなかったのかもしれません。
ちなみに、フリーターの人たちが一気に危機感を持つようになるのは、言うまでもなく体調を崩した時。
時間をお金に換える働き方の宿命ですね。

今のボクは、「とにかく正規雇用がいい」とは思わないのですが、これは大学時代のバイトでいろんな働き方を見たうえで「自分の人生を自分でデザインする覚悟ができていれば、仕事はなんでもいい」という視点が得られたせいなのかな、と思います。

ギグワークで時間をお金に換えるのは大いに結構。
同時に、「自分の人生をロングスパンで眺める」というのも時には必要なのかもしれません。
フリーター時代のボクができていたかどうかは、はなはだ疑問ですけれど。

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