子供の情報処理能力という才能について考えたことある?

8月に書いた子供の才能/能力に関する投稿が、割と好評だったので続編的な投稿です。

以前、保育園やベビーシッターのことを、学生時代に幼児教育を専門に学んでいた同級生と話していたときに言われた、「保育と教育は違うからね」の一言に衝撃を受けました。

いやいやいや、わかってる。わかってるんだけど、毎日(特にこれからの時期、風邪とか…胃腸炎とか…インフルエンザとか…家族全員襲撃される)生きていくのに必死で、今日も生き延びれたら100点満点ですそうですみなさま、本当におつかれさまです…。私たちはよくやっている…!えらい。頑張りましょうな冬がはじまる、訳で。

それからというもの、ショットでどういう教育ができるか、よりも、親としての姿勢やスタンスに興味を持つ日々です。その中で落ち着いて議論しておきたいことを投稿してみたいと思います。

才能は能力とほぼ同義で、現代においては、情報処理は重要な能力と言えるでしょう。先日、下記のような記事を目にしました。

この記事では、「発達障害」という切り口で語られていますが、これを見てなるほどふむふむと思ったわけです。

「視覚空間型」と呼ばれるタイプでは、言葉では伝達できない映像や動きにかかわる情報を、瞬時に、直感的に処理する能力が高い。ボールや体の動きとか、空間の位置や事物の形態といった視覚空間情報を素早く処理できる。
このタイプの子は、迅速で直感的な反応を必要とする運動やモノづくりが得意である。勉強は苦手でも、職人や技術者、芸術家やスポーツ選手として活躍することも多い。
「視覚言語型」と呼ぶタイプでは、文字言語や数字や記号、抽象的な概念を処理する能力に優れている。会話のやり取りは苦手でも、難解な言葉を用いた文章を読んだり書いたりするのは得意である。
詩や小説の読解で、作者の気持ちを聞かれると自信がないが、論理や数学を扱うのはお手の物だ。人と遊んだり体を動かすことよりも、本を読んだり頭の中で考えるのを好む。学者や研究者、専門技能をもつテクノクラートには、このタイプの人が多い。
それに対して、社会的な能力の発達が良いタイプは、聞き取りや会話言語の処理に優れているので「聴覚言語型」と呼ぶ。聴覚言語型の人では、勉強する場合に、自分で本を読むよりも講義や人の説明を聞いた方が頭に入りやすい。
視覚言語型の人では、自分で本を読んで独学した方が能率良く身につく傾向がみられる。視覚空間型の人は、話を聞いたり本を読むだけでは頭に残りにくく、実際に体や手を動かさないと身につかない。

多様性を受け止めることは自然

これについては、思い当たる節がある。私には6つ上の兄がいる。彼は学生時代、勉強するときに、「『教科書のここに書いてあった」と画面で覚える」と言っていた。一方で私は、教科書に書いてあることから勝手なストーリーを追加して覚える派。いつもラジオを聴きながら、もしくは歌を歌いながら勉強をしていた。すると母がいうのだ、「歌いながら勉強できる意味がわからない」そしてこう続ける母だった、「でも、兄妹でもこんなに違うんだから、色んなタイプがいるのね」と。私は、人の話を聞いてメモを取るのが、全くできない(中高時代のノートは全教科で1冊、その1冊ですら落書きと友達に手紙を書くのにちぎって、学期の終わりには表紙だけになっていた)。学校の授業も、「なんで先生は教科書に書いてあることを話してるんだろう?」とだけ思い教科書を読んで、授業はほぼ他のことをしていた。今でも、ラジオで野球など聞いていても、どっちが攻めているのかわからなくなってしまう。

これは、兄は視覚空間型、私は視覚言語型、母は聴覚言語型なのだろう。

でも、兄やノートを全く取れない私にテストの前になると親切にコピーを取らせてくれる同級生に、「画面で覚えられるの!かっこいい!」「話聞いてノート取れるとか天才では?!」と心から思っていた。これは、母が、自分と私、ないし私と兄を比較して、優劣をつける気を全くもたないでくれたからだと思う。

今は、昭和でも、平成でもなく、令和、調和の時代。記事にもあるように、タイプの違い=問題が生じると捉えて、差異を受け入れない方が不自然な気がします。色んな能力を持つ人が、助け合う方がいいに決まってる。多様性が重要だと思うのは、チームを組むなら色々な才能を持つ人が集まる方がいいからだ。

そして、その視点で考えると、自分と違う型になろうする必要はない。どの型に属していたって、その中で優劣があるのだ。自分がどの型であるかを自覚して、成長することだけがやるべきことだろう。そして、自分以外の人には、敬意を。

能力の自覚の重要性、あるいは

私も子が生まれて親になり、親としては自分の子には、自分の得意を伸ばして欲しいし、そのためには、今回で言うと子供それぞれがどのタイプか親が把握しておく、本人にもある程度の年になったら自覚させると伸びて行きやすいだろう。私も、そういう目で日々楽しみに子供達の才能を眺めている。

一方で!最近は、遺伝子検査などで自分の資質傾向をデータで見られるようになりつつある。このデータ、の取り扱いこそ、親なら一度考えたいポイント。

先日、自分(と夫)の細かな遺伝子検査をしたところ、8項目ある情報処理能力の項目のうち、6つは標準、2つはやや遅い、だった。項目の詳細には、「情報処理能力は伸ばせるのでその指針にしても」的なことが。私は、「情報処理能力で仕事してると思ってたのに、遅かったらしい!でも伸ばせるらしい!伸ばしたんだな!頑張った自分ありがとう」だった。

でも、もしこれが、自分の子供の結果に出てきて、本人が見たとき、「それでも伸ばせるから!がんばる!」と思えるか。親として、「この子はそこが苦手だから」と先入観を持たずに色々捉えられるのか。親として受け止めて、決めつけてしまう気もする。本人も、知らない方ががんばれるのかもしれない。

これから、データによる見える化はきっと進んでいくだろう。このことに対して、親がポリシーを持っていることは重要で、瞬間的な判断を迫られる前に考えておきたいと改めて感じた。

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