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医療とナラティブ

こんにちは、ナラティブベースのハルです。今回から少し、自社が大切にしている「ナラティブ」という概念を切り口に記事を書いてみたいと思います。社名に「ナラティブ」をつけた10年前は一般的には知られていなかったこの言葉が、今では経営、組織、キャリアといったビジネスパーソンに馴染みのある領域でよく耳にするようになりました。今なぜ「ナラティブ」が注目されるのか?専門家としてではなく実践家の視点で、自分の身の回りからオピニオンをまとめてみたいと思います。どうぞお付き合いください。

ナラティブとは

そのまえに、実は、父がひと月半前に他界しました。71歳、「肺がん」による死でした。1年半前にがんが発見され治療を開始、実家の隣に家を構えていることもあり、通院にはできる限り付き添いました。実は実は、同時期に18歳の娘も「パニック障害」を発症しその通院も重なり、わたしはこの1年半、今までにない形で医療の場をたくさん体験することとなりました。娘のことはまた別の記事で触れていきたいと思うのですが、今日は父のがん治療を通して感じたことを書きたいと思うのです。

わたしが「ナラティブ」という単語を初めて知ったのは、たまたま読んだビジネス書で目にした「ナラティブベースド・メディスン(NBM)」という医療用語でした。「ナラティブ」は、簡単には「語り」「語ったもの」といった意味で、「ナラティブベースド・メディスン」は患者さんの話(語り)に耳を傾け、その背景(コンテキスト)をよく見極めた医療方針をとっていくこと。つまり、検査結果や記録といったエビデンスに偏りすぎた医療へのアンチテーゼから生まれた考え方でした。

当初、Webマーケティングの仕事をしていた私は、Web上に溢れ出した語りは数値分析以上の意味を持つことを実感していて、この考え方にピンときて社名を「ナラティブベース 」としました。後に、専門性を脇におき、フラットな対話から相手の重要な背景を引き出し解決策を探り出すアプローチ手法ナラティブ・アプローチも、積極的に自社の組織づくりや、お客様へのサービス提供の中でも取り入れていくことになります。

父の悲しみに触れて

話は父のがんに戻ります。父のがんがみつかったのはすでにステージ4の段階で、治療方針については「完治」を目指すものではなく、「延命」を中心に見据えたものでした。オプジーボなどで有名な免疫チェックポイント阻害薬や、ゲノム(遺伝子)解析など様々な最新治療や検査を試しましたが、治療後半に至っても「延命」を超えた道筋を見つけることはできませんでした。

そんな中、病院での待ち時間に父が口にしていた主治医への批判は、ずっとわたしの頭から離れませんでした。「自分の考えや様々なケースを語ることが立場上難しくリスクになることは理解できる。でも自分のような選択肢が限られた患者にこそ個人的な考えを語り、いっしょにがんばろうといってほしい」。孤高の人だった父の『いっしょに』という言葉が胸に刺さりました。

父は自分の考えを主治医に非常に積極的に伝えていて、わたしからみても返答が難しい投げかけや質問もたくさんありました。主治医の先生はとてもやさしく紳士な方だったのですが、それゆえ、物言いがやんわりしていて曖昧で、大きな病院の診察時間は限られていることもあり、じっくりと意見や考えを聞くことがむずかしかったのです。

人生の最後に、死に向き合う大事な局面に、最大のテーマを「いっしょに語れない」ことの辛さ。父はそのとき、「医療には人格が必要だ。」とひとこと言い足して、ゆっくり悲しそうに黙りました。そしてわたしは「なぜもっと親身になれないのか」と、主治医の先生の顔を思い浮かべ暗い気持ちになっていました。

医療における「人格」「親身」「対等」

前述のとおり、「ナラティブ」「ナラティブ・アプローチ」といった切り口から物事や事象をみつめることが習慣化していたわたしは、検査や入院が多い父の診察や通院姿を通し、医療についても色々なことを考えさせられました。忙しい病院の限られた時間、医者と患者という知識・経験の差、自分の考えを語ることのリスク、親身になりすぎることの線引きの難しさ…。

わたしがビジネス上で「ナラティブ・アプローチ」を用いる際には、「上下関係を脇におく」「目的に立ち返る」といったことを大切にし、対等な場作りこそ対話を生み、相互理解を促すと信じ、実践を重ねていました。しかし医療の現場を通し、様々な想いが頭をめぐる中、自分の中でいろいろな角度の問いが増え、それがきっかけで考え方が変容していったのです。

「対等」であれば、対話は生まれるのか?
「人格」があれば、対話は生まれるのか?
「親身」になれば、対話は生まれるのか?
その先にあるものは何か?

根強く語る、お互いのナラティブを知る

そして父が亡くなりました。
コロナ禍、感染者病棟もある病院は常時忙しない状況で、もちろん面会もできない期間が続いていました。それでも最期となる数日や、亡くなったときには、主治医の先生や看護師さんや緩和治療の先生などにも、顔をあわせ様々なお話をゆっくり聞くことができました。

特に最後の1週間に病院で起きた主治医とそのチームの先生方の方針決定や、父への説明、声かけを具体的に知ることができて、父の意向や気持ちがはっきりと伝わり、以前とは違った関係性が主治医との間に築かれていることがわかりました。そして、看護師さんからは、入院中いつも父と主治医の先生が廊下で立ち話をしていた姿が印象的だったというエピソードが聞けました。

治療の後半、何度も入院を繰り返していた父は、入院期間を利用して主治医の先生と対話を続けていたのでしょう。そういえば、父はわたしにあの話をしたその後、気がつくと治療とは関係ない先生のこと(過去に海外で医療従事していた経験があるとか)に詳しくなっていました。きっと自分のこともたくさん話したのだと思います。短い診察では叶わなかった、対話の時間が持て、関係性が育めて本当によかったと、心の底から思いました。

求めるのではなく「間」につくるという考え方

止まらない涙と鼻水と格闘する数週間、父を亡くした悲しみとともに、自分の問いと、父の行動を何度も噛み締めていました。父は相手の人格の批判から一歩抜け出し、言い訳をせず、最後まで先生と自分の間に関係性をつくることを諦めなかった。

「対等」であることはあくまで手段、最重要のファクターではありません。そして、「人格」や「親身」などは相手(もしくは自分自身)に求める一方的なリクエストで、批判や諦めなど関係性を育むことの障害になります。

「どちらか」に、「何か」があることを求めるのではなく、
「間」にあるものを探り、つくる。

そのことこそ対話の本質であり、わたしたちが日々悩み、格闘する様々な関係性の課題を解決する糸口なのではないか。これまでいろいろなコミュニケーションに関する本を読んで理論上はなんとなく理解していたわたしですが、やっとそのことが腹落ちし、血が通った経験となったのを感じました。

思えばあの時心に刺さった「いっしょに」という言葉も、必ず人と人との「間」にあるものです。わたしたちが求めるしあわせと密接に結びついているからこそ、死を前にした父の口からついて出たのだと思います。
そしてこの「いっしょに」こそ、医療に限らずわたしたちが必要とする対話の先にあるものではないでしょうか。


今回は、父の治療を通して個人的に感じた「医療とナラティブ」について、わたしなりの気づきのストーリーをまとめてみました。あくまで個人の経験がベースとなっていますので、ご承知おきください。

さて、もともと医療の場から広まった「ナラティブ」という言葉が、今さまざまな分野で注目を集め求められる理由については、他にも色々な角度で考えられるかと思います。次回の記事では組織とナラティブをテーマに、ナラティブベースが直面した課題や自社で取り組んでいる「ナラティブ・アプローチ」の手法をお伝えしながら、別の視点で気づきのストーリーをお届けできればと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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