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ファッションの審美性はどの程度に語るのが適当か?

5回目のポッドキャストです。

このポッドキャストは、シナリオを事前に決めて話すのではなく、ぼくと立命館大学経営学部の八重樫文さんが、その場であるテーマについて思いのままに話し始め、全体の筋が通っていなくても気にしない(!)、というポリシーです。

出発点のテーマは、ミラノ市内のカフェでワインを飲みながら雑談しているなかで、「これ、ちょっと記録にとっておきたい」と思ったところで決めます。よって2人とも黙っている時間があり、もし放送なら絶対「事故」扱いになります(笑)。

今回は、ファッションについて話しました。最近、ハイヒールを巡り騒がしい論争があります。ハイヒールを履くことが強権的な社会の横暴に沿っているとみる向きと、美しいと思うものは好きにはきたい、と。これについては当然ながら、世界の各地でさまざまな意見が出ています。

ファッションのトレンドがカジュアル化に進んできたのは明らかな一方、それを疎んじる人もいます(実は、ぼくの個人的趣味としては、この蘊蓄系は苦手です。「ファッションは人の内面を表現する」と強く言い過ぎる人も)。

このような議論のなかで審美性や美意識が、人のライフスタイル(ファッションだけでなく、料理やインテリアデザインも含め)において、どの程度に配分されるのが適切なのか、ということをポッドキャストで話し合っています。人はすべてに神経を配れないので、どうあればその審美性の分野による凹凸が他人の不快感を招かないか、ということでもあります。

さて、こういうところからはじまって、先週のポッドキャストの内容に近づくのですが、デザインがエキスパートだけでなく非エキスパートも扱うツールとなってきたとき、審美性をどう位置付けるか、そこはエキスパートの手が入るのが必要。仮にそうだとすると、ファッションにおける審美性の議論とどうつながってくるのか・・・というのが問いです。





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