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くら寿司「新卒年収1000万円」に慌てふためく人は、日本的経営に毒され過ぎている ―給与は何で決まるか?―

先月末(5月31日)に流れた、くら寿司が新卒で年収1000万円の幹部候補生を採用するというニュースには大きな関心が寄せられた。その反響は、好意的なモノもあれば、批判的なモノもあったが、社会に与えた衝撃は大きく「くら寿司にとって、非常に安い宣伝広告になった」と評する人もいた。某ニュースサイトでは、この騒動にかこつけて、特別討論番組まで企画していた。

30年以上、大きな変化がないと言われる、日本の大学新卒の初任給も、近年、少しずつではあるが上昇してきている。そのけん引役となっているのが、「新卒IT人材」だ。IT人材は、どの業界も人手不足であり、引く手あまたという状況だ。「年俸600万~1000万円」「最低年俸720万円」「固定年俸528万円から。加えて年2回のインセンティブなどあり」という条件も頻繁に飛び出している。DeNA、サイバーエージェント、LINEの提示額は、これまでの新卒採用の常識を壊していると言っても良い。

しかし、報酬制度がどのように出来上がっているのか、少しでも勉強したことがあれば、この現象に不思議なことはない。どちらかというと日本企業の給与・報酬制度が健全な方向へ進もうとしている兆候として見ることもできる。


日本の賃金制度は独特で柔軟性がない

人事関連の人々がよく口にする言葉に、「日本企業は人に仕事をつける、欧米企業は仕事に人をつける」という表現がある。日本企業は、職能資格制度に代表されるように、職場でどのような仕事に就くのか、曖昧な状態で給与が決められる。そのため、パート社員も、新入社員も、中堅社員も、下手をすると課長さんも、全員が同じ職務に就いているということがあり得る。

しかし、給与とは本来は遂行した仕事に対する対価で支払われる。全世界的に見れば職務内容の重要度や難易度が基準となって、給与が決められるのが標準である。

独立行政法人 労働政策研究・研修機構の西村研究員によると、日本の賃金制度には6つの特徴があるという。

① 企業横断的な相場形成力が弱い

② ブルーカラーとホワイトカラーが同じ賃金制度で運用されている

③ 昇格管理の基準が不明確で緩く、仕事内容が変わらないのに年齢やポテンシャルで決める

④ 降給管理が厳しく、給与を下げるルールだけは全社員適応である。そして、降格を伴わない降給がある(諸外国は一般社員層には降給のルールがなく、降給するときは降格も伴うなど、給与を下げにくい構造になっている)

➄ 能力査定による評価を被評価者が従順に受け入れている(諸外国の場合は、労働組合が交渉する)

⑥ 労働組合が組織化されているのに、個別の賃金交渉に関わっていない


このような特徴から、日本における給与の議論からは、「職務」や「事業戦略上の重要度」、「労働市場における価格競争力」という基本的な概念が抜け落ちていることが多い。その結果、「新卒」という企業における実態を何も捉えていない、カテゴリーにだけ焦点が当てられ、大騒ぎすることになる。


給与・報酬制度の基本的な考え方

それでは、給与・報酬制度の基本的な考え方とはどのようなものだろうか。

カンザス大学のJAMES P. GUTHRIE教授は、給与・報酬制度には2つの効果を目的として作られると述べている。

① ソート効果(Sorting Effects):企業にとって求める人材を惹きつけるための誘因であり、どのような人材を求めているのかを発信するシグナル

② インセンティブ効果(Incentive effects):従業員や部署(チーム)を動機づけるための誘因

つまり、どれだけ精緻で高度な給与・報酬制度を作り上げ、運用していたとしても、これらの効果を得ることができていなければ、その制度は失敗なのだ。


それでは実務において、どのように給与・報酬制度を作っていくべきか。米国の実務家向けのハンドブックである、The essential HR handbook を参照してみよう。米国のハンドブックを参照する理由は、米国の大手企業には報酬周りの制度を整える、報酬担当チーム(Compensation Team) が組織されていることが多く、常に市場環境の変化を確認し、給与・報酬制度が頻繁にアップデートされるためだ。

本著で書かれている内容を要約すると、5つの重要な概念があることがわかる。

① ポジションの明示:給与・報酬に対する組織としての方針を明示する。その上で、給与・報酬を設定するポジションの組織内での重要度を格付けする。

② 相場のモニタリング:労働市場から競合となる他社の条件を把握し、競争力のある金額設定を行う。運用時にも、常に労働市場をモニタリングし続けて情報を更新する。

③ 給与幅をもたせる:給与・報酬金額の設定には幅を持たせる。給与幅は、ポジションに対して人材の適合度合いを複数段階(25%、50%、75%等)で区切り、同一給与レンジ内での昇降にも判断基準となる根拠を示す。よく「米国は採用後に給与交渉をする」と言うが、基本的にはレンジ内でのポジション適合度を引き上げることで条件を引き出そうとする試みだ。

④ 従業員コミュニケーション:給与・報酬金額がどのように決められたのかについて、根拠を公開し、従業員一人一人とコミュニケーションをとる。

➄ ①~➄を遂行するために、裏付けや根拠となる調査やデータ収集を実施する。その際、複数の情報源を持ち、根拠を1つのソースに頼らない。


これら5つの点から、米国企業では給与・報酬の金額を決めるために、オープン且つ判断基準の根拠を明らかにすること、労働市場における相場観をモニタリングし、柔軟に給与・報酬の金額に調整を加えていることがわかる。


まとめ

これまでの内容を総括すると、給与・報酬制度は「新卒」や「入社〇年次」のように肩書や年齢などのカテゴリーで一括管理するものではないことがわかる。一括管理では、給与・報酬の目的である、「誘因」も「シグナルの発信」もできない。

給与・報酬の基本理念は、「仕事」に対して従業員に報いるために支払う対価だ。その上で、「労働市場における相場」を参照し、自社の「ポジション」と「事業戦略上の重要性」に照らし合わせたうえで、適切な金額設定をしていくものだ。

くら寿司の事例を振り返ってみると、「くら寿司の労働市場におけるポジション」×「幹部候補生獲得の緊急度」×「労働市場における相場」から判断した時に、適合度100%の人材がいれば、年収1000万円を支払っても構わないと考えることは合理的だ。

日本の伝統的な給与・報酬制度は、企業が労働市場の相場形成に及ぼす影響力が小さいと言われている。労働市場の相場から見た時に、厳しい状況であったとしても「総額人件費とこれまでの給与制度のしがらみがあって、柔軟に金額設定することができない」と答える人事部員は多いのではなかろうか。

もし、そのような状況に陥っているのであれば、給与・報酬制度とはどうあるべきものか、基本に立ち返ってみて欲しい。絶対的だと思っていたことは、実はそんなに大したことではないということも良くある。みなさんの会社も、「泰山鳴動して鼠一匹」で、変えられないと思っていた人事制度を変えることができるかもしれない。

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