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「学び直し」は、学び直す人の葛藤からも考えなくては。

リカレント教育、学び直し、そういう言葉がよく聞かれるようになりましたよね。人生100年時代、定年延長で70歳まで働くことは当たり前になっていくでしょうし、一方でテクノロジーの変化や社会環境に対応するには経営層の若返りが必要。40代の経営者をもっと増やすべしという論調もあります。そうなると今後、役職定年は今より早まるのかもしれません。

70まで働くとして約50年、仮に役職定年が50歳くらいになるとしたら、企業で働いて役職が上がっていったとしても、折り返し地点すぎくらいでその企業で会談を登っていくというプロセスは終わりになる。つまり、ひとつの場所で階段を上っていって、その階段の一番高いところでキャリアが終了、というわけにはいかなくなりますね。

むしろ、いったん上った階段を踏まえて、じゃぁ次はどんな階段を上るか、そういうことも考えなくてはいけない。それは10年後には誰もが直面する課題なのかもしれません。例えるなら、大学3年生くらいの就職活動時期みたいな葛藤を、50代くらいでもう一回することになる、というイメージなのかもしれません。

そんな中で、企業がどのようにミドル・シニア層の学び直しを支援するかというのはとても重要な課題になってくると思います。先日も下記のような取り組みが紹介されていました。

リスキリング、また新しい言葉が出てきましたね。この記事を読むまでもなく、ITに代替される仕事が多いということは多くの場面で実感しますよね。

一方で、ITリテラシー高めないといけないということは自明の理なのに、そういうことに消極的な人が少なからずいるというのが、不思議だなと思っていました。ある企業で秘書を務めている友人の話では、社長のオンライン会議の設定をするために出社することがあるそうです。私も打ち合わせで、いまだにオンライン会議に慣れていないんだなというシーンに出くわすことがあります。10人くらいのミーティングで、ほとんどの人がカメラOFFの状態だったり。

そういうのって、いかがなものかと思っていたんです。そんな矢先に昨夜、NHK大河ドラマ『青天を衝け』を見ていたら、明治維新後に刀を手放せない武士の姿が描かれていました。刀を置いて算盤を持つことに異様に抵抗を示す人々。現代の私たちからしたら、「そんなところに意地を張っても仕方ないよ」って思う。でも、確かにそうやって急に変化を迫られて戸惑う葛藤もわかる。ちょっと離れた時代から見ると、客観的に見えるものですね。

つまり、ITリテラシーの問題も、もちろん変わらなきゃいけないことはわかっていても、でも変われない。不安もある。恥をかきたくない。そういう葛藤があるということを忘れてはいけないな、と思ったのです。

だから、みんなで、相手の気持ちを理解しながら、変化の機会や機運をつくっていく。あたたかい社会の変わり方というのがあってもいいんじゃないかな。そのために何ができるだろうか。そんなことを考える今日この頃です。

そして、かく言う私も、テクノロジーをすべてキャッチアップして使いこなしているかというとそんなことはない。いつか取り残されるんじゃないかとびくびくしている自分もいるわけです。ということで、まぁみんなで、がんばりましょう。それでは。

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