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「東京」という場所に対するボクの思いの変化。

皆さんこんにちは、澤です。

前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!


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さて、今回のテーマは、「東京生活」です。

ボクは生まれたのは兵庫県ですが、生まれてすぐに千葉県に引っ越し、大学卒業まで千葉県で過ごしました。
高校までずっと千葉県内の学校に通い、大学に入ってから東京に通う生活が始まりました。
立教大学に入ったのですが、とにかくお金持ちが多いなって思いました。
東京生まれ東京育ちもたくさんいましたし、地方出身だけど都心のマンションで一人暮らしってのも何人もいました。

正直、ボクにはとても羨ましい存在でしたね。
特に、バブル絶頂期に大学生活を過ごしたので、実にバブリーな連中がゴロゴロいました。
キャンパスのあちこちで、ルイ・ヴィトンやグッチのボストンバッグを持った連中が楽しそうに集っておしゃべりに興じてました。
当時のボクは「LV」がなんの略かもわからんくらい、アッパークラスの人たち(と当時ボクが思っていた)の知識は欠落していました。

当然、なんとなーくそういうヒエラルキーが生まれてきて、ボクは「立教生」としては下層に位置する学生で学生でした。
ただ、入学してすぐに浦安のテーマパークのスタッフとしての生活が全ての中心になったので、あまりそのヒエラルキーで困ったりすることはなかったのですが。
とはいえ、やっぱりどこかに東京に対するコンプレックスというのは常に抱えていた記憶があります。

東京に対する憧れを抱いていたことを思い出したきっかけは、この記事でした。

コロナ禍で価値観が大きく変わった学生さんは、かなり多いかもしれませんね。
ボクが学生だった頃は、情報へのアクセス手段が今より圧倒的に少なかったので「目の前にあるものが全て」という印象でした。(ボクがアホだっただけですけれど)

そして、キラキラした人を見ては、自分と比較してがっかりするという、残念な思考の無限機関を自分の中に構築して、日々せっせと運用していたのです。
こうやって書くと、ボクって本当にアホだったなぁw

さて、社会人になってから晴れて東京都民になります。
と言っても、最初に住んだ東京都は、なんと青梅市!
会社の寮で、ほとんど強制的にそこに収容されてました。
ほぼ山梨県ですよあそこ。
勤めてた会社の本社が府中のあたりだったので、まぁそこに行くには遠くないのですが、ボクが配属されたのは、なんと新宿の事務所。
片道1時間半くらいかかってましたね。
でも、自然豊かでドライブ好きにはいい場所だったな〜。
5年弱くらい住んでました。

そして、次に住んだのは聖蹟桜ヶ丘。
ジブリの名作「耳をすませば」の舞台ですね。
ここも、いわゆる「都下」で、都会暮らしとは縁遠い場所でしたが、これまた住みやすい土地でした。
ジョギングする場所には事欠かず、桜ヶ丘ってだけあって春にはあちこちで見事な桜を楽しめました。
ここには8年ほど住みました。

そして、いよいよ23区内へ!
現在も住んでいる世田谷区に分譲住宅を購入。
新宿にも渋谷にも10分以内で行ける生活の始まりです。
かなり都会生活楽しみました。
深夜まで飲んでタクシーで帰っても、都心ならどこからでも数千円程度。
都会生活を思いっきり楽しみました。

でも、意外と飽きるんですよね。こういう生活。
結婚してからは、かみさんと自宅近所で食事をすることが増えて、都心で深夜まで・・・という機会は減りました。
会社員時代に自宅近から徒歩10分の場所に事務所を借りて、副業の拠点にしたのも、さらに出歩かなくなって一つの要因です。

そして、コロナ禍。
完全に価値観は変わりましたね。
すっかり引きこもりが行動の初期設定。
街に出ることが、実はかなりのストレスになっていたことを実感しました。
家と事務所の往復以外にであることがほとんどなくなり、人と会うのもオンライン。
快適そのもので、「なんでもっと早くこうしなかったんだろう」と思うくらいでした。

一つ残念なのは、海外旅行に行けなくなったこと。
それを埋め合わせるためにとった行動が、千葉県山武市の別宅購入。
旅行で使うはずのお金は、この家にどんどん使うようになりました。
徒歩3分で海を見られる生活は、ボクの人生をしっかり豊かにしてくれています。

緊急事態宣言も解除され、新規感染者数も激減している昨今、なんとなく街に戻る流れができていますね。
ボクはも少しだけその流れの影響を受けて、月に数回は都心で仕事をしたり食事をしたりする機会があります。

東京は、確かにいろいろなものが集まっていて、面白い街です。
ただ、ボクの人生の価値の中心では、もはやないかなって感じています。
もちろん、学生時代に憧れていた連中の住んでいたであろう場所に、自力で家を購入できたことも大きいと思います。

それ以上に、「住んでいる場所」や「生活の中心地」が、自分の人生そのものではない、と今では分かることが大きいですね。
「ありたい自分」は、肉体がどこにあろうとも、常に一緒に存在できるものですからね。

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