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熱量の低い社会

各国がコロナ災禍から出口戦略を模索する一方、経済の大幅な悪化は避けられない。民間エコノミスト平均によると、日本の4-6月GDPは大きな落ち込みが予測されている。

たとえ感染の抑え込みに成功し、目下の医療危機が去ったとしても、経済は部屋の明かりをともすように、スイッチ一つで戻ることはない。冷え切った需要はすぐに伸びないし、供給側の混乱も続くだろう。まるで、一旦水をかけてしまった焚火をもう一度たきつける努力のように、長い時間がかかる。経済危機はこれから何年もくすぶり続けることが予想される。

経済の悪化は数値化されるが、心情の変化は、見えにくい。しかし、このパンデミックにより、ひとの考え方や生き方は大きなショックを受け、経済以上に不可逆な変化をたどるだろう。政府は「新しい生活様式」を発表したが、これは表層的なルールに過ぎない。いったい、行動の背後にある「新しい価値観」とは何だろうか?

人間が自然を支配できるような錯覚さえ生んだ近代の「進歩」は、まるで中世を思わせるような感染病で、一気に足元をすくわれた。自然を支配どころか、私たちは自分や家族の健康さえ守れない、途方もない非力さを感じている。

この集団体験により、人生の指針となる「成功」の定義が静かに、しかし大きく転換するだろう。貧困や環境破壊など都合の悪い(しかし、自分自身には「関係ない」)副産物に都合良く目をつぶった拝金的な立身出世を「成功」とみなすひとが少なくなると予想する。

その代わり、新しく生まれる成功の定義とは?

多くの人にとって、それは「ほどほどに生きる」ことではないか?がむしゃらに上を目指すことなく、あまり消費せず、あまり生産もしない。実は、このような価値観は、パンデミック以前からじわじわと若者層を中心に浸透していたと思う。例えば、友達と銭湯に行って、帰りに缶ビールを買って部屋飲みするような休日が典型だ。

日本だけの話ではない。アメリカンドリームをどん欲に追うイメージがある米国でも、40歳までに引退しようというFinancial Independence, Retire Early(“FIRE”)運動がパンデミック以前に勢いを得ていた。

ビジネススクール的に発想すれば、20-30歳代は投資銀行で死ぬほど働き、年間何億円もの報酬を得て40歳台で悠々自適かと思うかもしれない。が、それは旧来のアメリカンドリームに近い。FIREは、主に節約によって経済的自由を得る点が異なる。

FIREは熱量の低い生き方を推奨する。貧困や環境破壊といった世界的課題に直接影響を与えることは難しいとしても、少なくとも自分の生き方が、世界を「積極的に」悪くはしていないという安心感が得られるだろう。

もうひとつの考え方は、まさしく「積極的に」をキーワードとする。「ほどほどに生きよう」派と比べれば、圧倒的に少人数かもしれないが、積極的に世の中に「役に立ちたい」と考えるひとが増えるのではと期待する。

例えば、国家のリーダーシップと危機管理体制の優劣が、いかに国民の存亡を左右するかがコロナ危機で明らかになった。有事に頼れる基盤がなければ、危機はアナーキーを招く。トップ校の就職先としても人気に陰りのあった国家公務員や政治家を目指す若者が、危機をきっかけに増えるのではないか?

私が米国ビジネススクールに通った2000年代前半は、まだ社会的起業は、VCやPEファンド人気の王道から外れた、周辺の存在だった。資本主義に疑問を抱く「ちょっと変わったひと」しか興味を持たないと思われていた節がある。しかし、いまは、例えば環境問題に真正面から取り組む起業が注目を集め、大手との提携も進む。

「ブームに乗って一攫千金」のために起業するのではなく、社会をよりよくするため、一見地味な起業をする社会起業家が、これから「かっこいい」生き方の本流に位置づけられると考える。

実は、企業や投資家にとって、短期志向の資本主義を見直す動きは、パンデミック以前から起こっていた。しかし、その動きが本物になるには、産業界だけではなく、我々一般の意識が変わることが必要条件なのだろう。例えば、2008年リーマンショックから雪崩を打った経済危機が本格的な社会の価値観見直しにいたらなかった根幹には、人々の意識が深く変わらなかったことにあると考える。

ところが、死が突然身の回りにあふれ、人類の驕りを直視せざるを得ないコロナ危機には、私たちの考え方や生き方を根本から揺さぶる力がある。危機は個人的にとらえられ、経済・医療分野にとどまらない。この思いがけないきっかけによって、私たちの「成功」の定義が不可逆的に変わる可能性があるだろう。


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