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数字集めてダッシュボードで可視化するだけでは良い意思決定は下せない理由

医療体制が逼迫しているかどうかを測る指標がいくつか検討されています。入院患者数を病床確保数で割った「病床占有率」、重症化しやすい60歳以上の感染者割合といった指標が有力です。これらの指標を、各都道府県が外出自粛や休業を要請する際の判断基準として活用する想定です。
一部自治体では感染状況を判断する独自の指標を設けています。東京都は「東京アラート」を6月30日に撤廃し、新たなモニタリング項目を採用しています。

様々な事象を計測して「指標」を作成し、データをダッシュボードに表示する。それらをモニタリングし、一定の基準を越えれば、自動的にアラートが発令される。後は意思決定を下すだけ。

ダッシュボードの理想像だった「東京アラート」は、それぞれの指標が警戒を発しながらも「実態に合致しない」「自粛すると経済が大変」等のよく分からん理由で無くなってしまいました。

まったく同じデータを見ているはずなのに、導かれる結論が人それぞれ全く違う。それが「新型コロナ」を巡る悲劇…いや、喜劇です。

図1

不思議なもので「単一指標」では、それが起きにくい傾向にあります。上図は私の勤めるJX通信社の提供している「NewsDigest」の画面です。感染者の発表があった施設がプロットされています。複数指標だと脳が一気にオーバーヒートするようです。

新型コロナ問題を日常的にデータと触れ合っている人間として「どこかで見た光景だな」と思ったら、以前に実体験していました。

指標をダッシュボードに落としたのに「あのデータは無い?」「このデータは不要では?」「この指標からはこう言える」「僕はそうは思わない」「それデータで言えます?」の繰り返しで、とても意思決定を下せる状況には至りませんでした。

皆様も、1度はご経験あられるのではないでしょうか?

安心してください。皆様の職場で起きている事件が、国の中枢でも起きているのです。菅官房長官なんかは、今まで注目を集めていなかった「重症者や病床数の推移」と言い出しました。

百歩譲って重要だとして、重症者数や病床数は遅行指標(やや遅れて変化する指標)です。

重症者数や病床数が増え始めてから対策をしても、潜伏期間+発症後のPCR検査実施期間+病院〜保健所〜都道府県の情報連携期間+症状悪化期間と既に約20日前後要しており、重症者や病床数が増え始めた頃には、さらに新規感染者数が増えています。

そりゃどちらの指標も大事ではありますが、先行指標(やや早く変化する指標)でもある新規感染者数の方が「重要」ではないでしょうか。

…と言っても、ネットだけでなくリアルでも「それはあなたの意見であり、私はそうは思わない」とする論者がウジャウジャいます。そうした人が省庁やら官邸やらに押し掛け「私はこう思う」「俺はこう思う」と言うのです。いや、そりゃあ安倍首相だって判断できまへんわ。

私たちは無意識のままに「意思決定には正しいデータが必要」だと思ってきました。そして「正しいデータ」のために基盤を整理し、データの整合性に心血を注ぎ、お金をかけてきました。

ですが「東京アラート」を引き合いに出すまでもなく、7月以降の新型コロナ感染爆発に到る過程を見ていると「データがあれば万事解決」では無いとわかるはずです。むしろデータが意思決定の邪魔をしています。

ましてや「何が正しいか」は見る人が決めるのです。人の数だけ正義があるので、人の数だけ「正しいデータ」が生まれます。それをダッシュボードに落とし込んで意思決定をするなんて無理です。

大半の人が「正確なデータ症候群」に陥っていると言えるかもしれません。

では意思決定を下すには何が必要なのでしょうか。私は「観察力」と「分析力」だと考えています。


観察力とは何か?

突然ですが、問題です。先ほどお見せしたキャプチャのうち、一部を黒く隠しました。ここには何があったでしょうか。

図2

マルがあったでしょうか、実は無かったでしょうか。

色は何色でしょうか。

人数は何人だったでしょうか。

(正解は画面を上へスクロールして下さい)

あぁ〜、となったでしょうか。写真自体は見たことを覚えているのに、黒枠に何が写っていたのかを覚えていない。それは、なぜでしょうか。

そもそも、この写真に限らず、見ているのに見ていない、聞いていたのに聞いていない、そういう人は非常に多いです。集中力で片付ける問題でもありません。視力の問題でもありません。

この現象を、非注意性盲目(Inattentional blindness)と言います。

視野の中には入っているが、注意を向けていないため物事を見落としてしまう現象。脳は、一度に入ってくる視覚情報をすべて処理できない。そのため視覚情報を取捨選択し、必要だと思った情報のみ注目する。脳の処理の問題であり、視覚の問題ではない。

私たちは、絵画1つをとっても同じものを見ているようで、違うものを見ているのです。注目する点は違うし、記憶に残る点も違います。その違いこそが「観察力」だと言えます。

図1

人によって差が生まれるのは、脳がヒューリスティックス(heuristic)な状態にあるからです。

全ての意思決定で脳を働かせると疲れるので、脳はヒューリスティックスと呼ばれる「直感的な意思決定」に頼る。経験則とも言う。「脳が考えるのを止める」のではなく「脳が省電力モードで稼働する」と同義と考えて良いだろう。ちゃんと見ていないので、だいたい正解だが、よく間違う。間違った後に「あれぇ?おっかしいなぁ」と言う。

ちゃんと見ていなかった。ちゃんと聞いていなかった。あまり覚えていなかった。いずれにせよ非注意性盲目にある人に何を言っても無意味です。意識が向いていないのですから。

意識を向けなければ存在しないと同義です。

仕事柄、BCP対策や危機管理に触れる機会が多くなりました。災害に遭われた方の多くが「まさか水没するとは」「まさか被災するとは」と口にしますが、これまでも兆候はあったはずなんです。それを見逃してきたことを、どうすれば理解してもらえるだろうか…と感じています。

意思決定に、なぜ観察力が必要か。繰り返しになりますが、それは「同じものを見ているようで、違うものを見ている」からです。

データを様々な観点から穿り返すように見て、意思決定を下す前に「こういう見方がある」「こういう見方もある」と多角的に見るからこそ、本当に必要なデータを絞り込めます。

観察力が無い人は、1つのデータを1つの意味でしか捉えられない人です。そういう人は数字を見ても、数字以上の"気付き"を引き出せません。


分析力とは何か?

突然ですが、問題です。以下の図から「事実」を述べて下さい。

図1

図はNewsDigestの新型コロナウイルスページからのキャプチャです。

7月に入ってから、再び感染者数が増え始めた。

…これは「事実」でしょうか。いいえ、単なる「意見」です。7月に入る前からも、感染者数は増えているからです。内容が主観的過ぎます。

7月1日から13日間で3358人増加した。6月30日の感染者数を起点に3358人分引くと、58日前の5月4日にまで遡る。

…これは「事実」ですね。言外に増加の勢いが約4倍だと伝えたいんだろうなぁ、とも感じます。内容が客観的です。

多くの人が「分析」と聞くと、プログラムであったり、大量のデータであったり、何らかの手法に特化した話をしがちですが、違うんです。

データの集計や統計手法の活用は「分析」とは呼びません。

事実と、なぜ発生したのか背景、原因、理由を洞察し、事実を集め、今は何をするべきか考えるのが真の意味での「分析」です。データの集計や統計手法の活用は、そのための手段に過ぎません。

多くの「分析」が、"事実"の手を抜いています。空想と妄想と想像の前提に立った「だったら嬉しい」という主観を元に分析するから「このレポートは使えない」と切り捨てられるのです。

「事実」を知るために、魔法の合言葉があります。

①私は何を知っているか?
②私は何を知らないか?
③私は何を知らなければならないか?

特に重要なのは②です。事実を知らないから頓珍漢な分析になるのです。だから意思決定が下せないのです。

何を知らないかを知れば、分析力は一気に高まるはずです。


「真」に必要なのは観察と分析(ポジショントーク込)

多少のポジショントークもありますが、「データがあれば良い」は真っな嘘だと考えています。

データだけでは何もわかりません。

脳を起こし、意識を向けて事実を発見し、洞察を導き、裏付けを行ってこそデータは役に立つでしょう。そこまでデータを見れば、良い意思決定ができるはずです。

言い換えれば「正しいデータ」が10種類集まるより、観察力を高めて気付いたデータの分析指標10種類の方が、良い意思決定を下せるのではないでしょうか。

では、意識を向けるにはどうすれば良いでしょうか。それは、人間の認知は歪んでいると知り、そのために以下の書籍を読むのです…!


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