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ずっと一緒にいたい、の解釈がズレると危ない。

「ずっと一緒にいたい」





「私も」
「僕も」


ドラマでも現実でも、そんなロマンティックなシーンをよく見る。

一方で

「ずっと一緒にいようね、って言ったじゃん!」

と、モメている場面にも出くわす。

「ずっと一緒にいたい」という会話が交わされた時、本当にずっと一緒にいたいならその認識はすり合せた方がいい。

今日はそんな話。

■ロマンよりリアル

突然だが、僕はポリアモリーというライフスタイルを実践している。

ポリアモリーとは、お互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築くスタイル。対義語はモノアモリー。過去のシリーズはこちら

そんなポリアモリーにとって重要なのが、この認識のすり合わせだ。ポリアモリーには「普通のカップルなら○○するものだ」という前提が既に通用していないので、逐一お互いの認識をすり合わせる必要がある。

例えば複数恋愛には合意していたとしても、自分以外の相手を知りたいか、知りたくないか、はポリアモリー実践者の中でも分かれるところだ。
この辺りは以前のnoteを参照してもらいたい。

さて、ここからが本題。

認識のすり合わせが重要であることは、ポリアモリーに限ったことではない。例えば冒頭の「ずっと一緒にいたい」というロマンティックなセリフもその認識はすり合せた方がいい。

「そんなの野暮だ」「雰囲気が壊れる」なんて思うかもしれないが、ロマンに流されて後にモメるよりはよっぽどマシだろう。

■「ずっと」って、いつまで?

では「ずっと一緒にいたい」という言葉の認識について考えていく。

(当たり前だが)この言葉は「ずっと」と「一緒にいる」という2つのパーツに分けられ、それぞれに確認するべき点がある。1つ目は「ずっとって、いつまで?」という点だ。

同じ言葉でも、別れ際に「今夜は帰りたくない」的な意味で使うこともあれば「死ぬまで一緒にいたい」という意味で使うこともあるだろう。もしくは「墓まで一緒にいたい」とプロポーズ的な意味で使うことだってある。

「ずっと、ってどのくらい?」その認識をすり合せないと、一夜の誘いをプロポーズと勘違いしてしまうことだってあるかもしれない。

■「いる」って、なに?

次は「一緒にいたい」について。「いる」は難しい。文字通り「居る」と捉えれば物理的に近くに居ることだが、大抵はそうじゃない。関係を持ち続けることや、連絡を取り続ける Keep in touch 的な意味で使うことが多い。また「他の人の元へ行かないで」という排他的な意味で使うことだってあるだろう。

関係値を保ちたいという意味で言った「一緒にいたい」を物理的な意味で捉えられ、ずっと自宅に居座られたら相当なストレスだろう。

■「ずっと一緒にいたい」の早見表

「ずっと」と「いる」について3×3で考え、パワポで早見表をつくってみた。ぜひトラブル回避に役立ててもらいたい。

例えば、トラブルに発展するケースとしてありそうなのは

送り手⑥:受け手⑧

の場合。

不倫関係にあるカップルの片方が⑥の「ずっといい関係でいたい(お互い死んだら葬式くらいは)」程度で放った「ずっと一緒にいたい」を、⑧の結婚へのプレッシャーとして受け取り「妻/旦那と別れてきた!」なんて言われたら目も当てられない。

そんなことがないよう「ずっと一緒にいたい」と言われた時はこの早見表で指差し確認をしてもらいたい。たぶんそれが本当に「ずっと一緒にいる」ために近道になる。

■ずっと一緒にいたいは外来語

僕がポリアモリーを実践してから大切にしているのは「ずっと一緒にいたい」のように、何気なく使っていた言葉を見直すことだ。

恋愛制度、束縛の2500年史』には「日本にとって恋愛は輸入品」という一説がある。

日本にとってロマンティックな恋愛感とは輸入された概念だ。しかし私たちはそれが輸入品だと気づかずロマンティックラブと過ごしている。習慣で言えばクリスマスのようなものだ。

しかしロマンティックラブを代表するロミオとジュリエットが「ずっと一緒にいたい」と言い合うのには階級社会や家文化で引き裂かれることが前提となっていたというその国、時代の背景がある。今の日本にそういった背景はないが、私たちはその雰囲気だけを真似て「ずっと一緒にいたい」など口にする。

「ずっと一緒にいたい」とは言葉こそ日本語だが、中身は外来語のようなものだ。

このように私たちの身近には、日常に溶け込んだおかしな習慣が多く存在する。恋愛はその1つに過ぎない。恋愛でもビジネスでも家族関係でも「こういうものだ」という思考停止の雰囲気に流されず、常に自分の頭で考えて選択する姿勢を大切にしたい。

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