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肩書きは、覚悟と決意を表明するもの

日経電子版でのこちらの連載記事、多く反響をいただき、ありがとうございます。

ただ、「名乗りたいものを名乗ればいい」「名乗ったもの勝ち」はちょっと都合が良いというか、耳障りの良すぎる言葉にも感じるので(実際そういったツッコミもちらほらあった)(このシリーズは過去記事を再構成してつくられているのですが、記事原稿のもとになった文章が、私がもっと若手で無邪気だったころに書いた文章だったことも手伝っていそうです)
補足として、現在の自分が感じる、それに伴う責任や代償など、もう少しリアルなところを話していこうと思います。

何らかの肩書を名乗る=その分野で戦いの土俵に上がる覚悟の意思表明

例えばものをつくることが好きな人がいたとして、
「アート好きの学生or会社員です」「趣味で作品つくってます」と名乗っている限りにおいては、「アマチュア、お客さん」として優しく対応してもらえます。

しかし「アーティストです」と名乗った瞬間に、その分野の新参者として、本気でダメ出しをされたり、改善を求められたり、その分野の他のプレイヤーと競り合いになったり、その分野に対しての責任も発生してくる。
バトルのリングにあがる感じです。

その覚悟は織り込み済みで、この分野で修行していきます」「自分はアマチュアである、という言い訳はせず責務を引き受けます」「多少負荷のかかることでも、精進のために頑張ります」という意思表明や決意表明が、何らかの肩書きを名乗ることなのだと思います(自分独自につくった肩書を名乗る場合はそのかぎりではないですが。自分の場合の『メディアアーティスト』ではなく『妄想インベンター』の方とか……)

ただ、その覚悟表明がないと、行けない場所は多いと感じています。
本気で取り組んでいる人たちの熾烈なバトルフィールドで、「趣味です」というスタンスの人はそもそも門前払いされるか、リングに上がっても競り負けるからです。
自分も恐らく「趣味で作品つくってます」だったらそもそも回ってこなかったチャンスはたくさんあったと思うので、覚悟を決めて「アーティストです」と名乗ることの意義はすごくあったと思っています。
「趣味です」時代は無邪気でいられて楽しかったな……とも感じますが(かつて純粋に憧れてファンだった人が、ライバルや競争相手になってしまうので、やるせないと感じることはある)

ラベリングがあまりにも実力と乖離しすぎる場合、ルーキーとして優しく手加減してもらえるステージなら良いけれど、本気のバトルだとすぐ一発KOくらい「偽物」判定で淘汰されるので
現在の実力、覚悟、気力、メンタルのタフさ、その他諸々とのバランスを見極めつつ、自分に可能な背伸びのギリギリのラインを狙うのが良いのではと思います。

老害っぽいことを言ってしまいすみません(そういえばもう三十路だな……)。無邪気だった20代の頃に書いた文章に対して、その後修羅場をいくつかくぐって任侠マインドになった現在からのセルフツッコミでした。

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