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「味方」の存在が、少数派にも居心地の良い職場をつくる

会議で女性が意見を出しても、無反応。しかし、同じ意見を男性が口にした途端、まるで初めて聞いたかのように議論が始まり、賛同が集まる――多くの働く女性にとって「あるある」だろう。言い方がまずかったのか、声量が足りないのか、と自問しながらも、腑に落ちない。ある女性幹部は、声の波長に男女差があることが原因なのではないかと、真剣に悩んでいた。

このとき、その場で当事者に出来ることは少ない。「私が先に言いましたけど・・・」というのは、あまりに大人げない。しかし、少数派の視座を理解する「味方」(男性でも女性でも良い)が、彼女が最初にその意見を出したことを、さりげなく(でもしっかり)フォローしてくれればー「そうですね、先ほど〇〇さん(最初に意見を出した女性)がおっしゃったときに、素晴らしい観点だと感じました」-どんなに心強いことだろう。

「味方」の存在は、少数派が阻害されず、尊厳をもってその場に参加していると感じられるために、大きな役割を果たすと、IMDのトーゲル教授の投稿は主張する。多様性とインクルージョンを担保するために、メンター、スポンサーに加えて「アライ(味方)」が重要な役割を担うという主張が、腑に落ちた。

確かに、そのような味方がいれば、希望が持てる。アメリカの調査によると、一般的に、男性は女性の話を遮る傾向が強いそうだ。Interruption(遮り)をもじってManterruption(男性による遮り)と名付けている。また、悪意はないとは言え、言葉の端々にカジュアルな差別を感じることは、これだけ意識が向上しても、まだなくなってはいない。こんなとき、味方が少数派を擁護することは、少数派には安心と自信を、周りには気づきを与えることになる。

もちろん、少数派と多数派を分ける軸は、ジェンダーだけではない。性的志向や宗教はもちろん、目に見えない障害を抱えていたり、家庭の事情があったり、多様性を生む軸は、実は無数にある。そう考えれば、だれでも、いつか何らかの軸では「少数派」であり、助けると同時に、助けられる存在でもあるはずだ。

しかし、味方として声を上げることは、実は簡単ではない。場の雰囲気を壊す心配があったり、年功序列のせいで「わきまえて」しまったりすることもあるだろう。ゆえに、「味方」がためらわず活躍できるには、普段からメンバーが自由闊達に意見を交わしやすい「心理的に安全な場所」が求められる。もし、リーダー自身が気付かず、少数派の「味方」になれなくとも、チームの誰かがなればよいのだ。

メンターやスポンサー制度は、だいぶ日本企業にも根付いてきた。だが、これらは上下関係を前提にした関係だ。一方、「味方」は縦横無尽な関係と言える。オフィシャルな制度である必要はなく、もっと流動的で、時によって「少数派」と「味方」の立場が入れ替わることも当然あるだろう。

さらに、昇進を主に目的とするメンターやスポンサー制度に対して、「味方」の存在は、日常の中に溶け込んでいる。それゆえに見えにくいが、実は多様性とインクルージョンにとって、力のあるものだと思う。

Death by a thousand cuts(千の切り傷による死)という言葉がある通り、ちょっとした嫌な経験が重なることにより、少数派は息苦しさを感じ、追い詰められる。それが続けば、組織から離反につながる。このような連鎖を起こさないためには、「安全な場所」と「味方」が必要だ。そんな組織にこそ、多様な人材を惹きつけてやまない魅力があるのではないだろうか。

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