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あなたにとって「ふるさとの風景」が愛おしく見える距離感は?

「いつか地方に移住したいんですよね。」「東京との二拠点居住できないか考えているんです。」週4社員、週1富山フリーランスという働き方をしているせいか、または30を超えた年齢のせいもあるのかもしれないが、そんな声を聞くことが多くなった。

20代から模索してきたふるさとの関係を見直しながら、「ふるさとの風景」がきれいに見える距離感は一人ひとり違うということを伝えたいと思った。

なぜ「ふるさと」がきれいに見える距離感が大切なのか?

なぜなら、「ふるさと」がきれいに見える距離感を知らないと自分自身が疲れてしまう人が多いからだ。

私はLancersで過去5年間、地方事業を担当しながら、”地方創生”に関わる人、数千人以上の話を伺う機会があったと思う。

その人達の顔を思い出しながら思うのは「地方活性化」を掲げながら、自分自身が活性化せず、疲弊している人が多かったということだ。

自分が良かれと思って地域のために奔走しているのに、それを地域の方に理解してもらえずイライラしている人や、地方の人は保守的だからと、不満を言い始めていたりする人など。

大切にしたい地域のために頑張った自分が認められなかったということで、愛しさが憎しみに変わっていったパターン。

愛したけど愛されなかったという切ない関係

それは、男女間だけではなく、地域と人との関係でも言えるのだと思う。

だからこそ私は、自身が、愛しいと思う気持ちが長く続けられる「ふるさと」との距離感を持つことが、地域と付き合う上で大切だと強く思う。


距離感が分からなかった20代

そんなことを今語っている私も、距離感を間違えていたひとりだったかもしれない。

私は比較的に「ふるさと愛」がある人だと言われてきた。18歳まで住んでいた富山県南砺市には、大きく広がる青空があり、キラキラ光る稲の上を風が吹き抜けていく景色があった。人間が自然界の1ピースとして気持ちよく生きられる環境が、ふるさとにはたくさんある。

東京にはたくさんの物があるけれど、東京は「ふるさと」になれない。

たとえ、中東から大金持ちの石油王が来て「ここを田園風景にしたい」と言って多額のお金を積んだとしても、100年かかったとしても、大都会にはこの大自然を創ることはできない。そう思っていた。

では、そんな想いを持ちながら20代にふるさとと程よい関係を持てていたかというと、私はふるさとを「愛しき憎い」存在と定義していた。

なぜかと言うと、親やお世話になった周りの人からの「実家帰ってきなさい」プレッシャーがすごかったから

地域に帰るたびにそんな言葉を受けていると、私の心は「お世話になった地方に帰らないといけないのか」と、目に見えない足かせをはめられているような感覚になった。

この言葉を吹っ切れる鈍感力があればよかったが、中途半端に責任感がある私は、就職活動をしても、海外や都内で働く機会を模索しながらも、ずっと小さな罪悪感があった。

わたしいは、「ふるさと」の存在を、20代のキャリアを縛る「足かせ」にしていたのだと思う。それ故に、キャリアも人との付き合い方もまだまだ未熟な点が多かった私は、ふるさとを「愛しき憎い存在」として扱わざるを得なかったのだ。

自分が心地よい距離をみつけられた30代

その一方で、私は30歳の時に、この存在と自分のやりたいことのバランスを保てる関係性を見つけられた。

それが、「10% for HOME」という考え方だ。

地方に必要なのは、お金ではなく人の時間だと思うようになっていった私は、私の人生の時間の10%をふるさとのために使うと決めた。なぜ10%かというと、消費税を参考にしたから。

払っているかどうか気づかない程度のボリュームなので、私としては、1年、2年だけ頑張るのではなく、きっと次の10年、20年もずっと疲れず関わり続けられると思ったから。

1年は365日なので、そのうちの36日ぐらいは富山にいる、富山のために時間を使う。それ以外は自分の人生好きなことに当てる。これを私は30歳のころから続けている。

富山での田植え仕事や人に会う時間を1年で36日持っていたら、そのうち地元での仕事をもらうことができるようになった。それが今の週4社員、週1富山フリーランスという働き方に繋がっている。


いい距離感は、周りとの関係もよくしてくれる

地元民からの「富山に戻ってこないの?」という質問に「う〜ん、わかりません。そのうち考えます」みたいな曖昧な答えをしていた私だが、今は、自分が決めた答えがあることで、スッキリと答えることができてる。

「年間36日、これが私の二拠点居住なんです」と言えることは、私自身とっても心地良い。そして、地域の人は、帰っても来ないけど、居なくなりもしないのだなという「よくわからないけど、繋がり続ける人」として私を認識してくれているのではと思う。

私も無理をしなくてもいいし、相手もがっかりさせない。そんないい距離感は、周りとの関係もよくしてくれる。

ふるさとの景色がきれいに見える距離感は人それぞれ

みなさんと、皆さんのふるさとの風景は、どのような関係だろうか?健やかな関係を持てているだろうか?

遠すぎて、もう少し近づきたいと思っている人もいれば。
近くからみすぎて、近視眼的になり、美しく思えていない人もいるかも知れない。

今や地域を応援する方法はたくさんある。

・ふるさと納税をする
・地域のイベントやマラソン大会に足を運ぶ
・地域の仲間をSNSで応援する

私は”時間”という単位で距離を定めたが、人によっては、時間ではなくお金だったり、SNS利用時間だったり、帰省の回数だったり、仲間への応援の数だったりするのかなと思う。

まずは、無理なくできるアクションを1つやってみる。そんな小さな行動を積み重ねていくことで、”今”いいとおもう距離感をつかめていくのではないかと思う。

その上で(人に依頼されたときではなく)自身が、もっと近づける、近づきたいなと思った時に、更に踏み込んで、自身が心地良いと思う関わり方が見つかると、それがあなたのふるさととの適切な距離になっていく。

一番切ないのは、地域活性化を目的として自分自身が疲弊すること

距離感が近くなりすぎて、全体像が美しく見えていないところに立ってしまうと、近視状態になり愛しさ余って憎さ百倍みたいなことにもなってしまう。

何事も楽しくないと続かないものだから。

そのために、自分が負担に感じてしまう言葉を受けていたとしても、無視できるものは無視してほしい。

都心と地域に住む人それぞれの、心地良い関わり方が新しく再定義できること。一人ひとりが、ふるさとの景色を気持ちよく見られるようになることが、日本中の「ふるさと」を長期的に輝かせてくれる一つの解になるのではと思う。


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