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「21世紀は違う」← どうして、そう思いましたか?

今は2022年。これまで何度ともなく「もう21世紀なんだよ!」「21世紀になっても、こんなことがあるんだ!」との忠告や驚きの言葉を見聞してきました。あたかも、時代を表す数字の表現が何かを規定するかのようです。

まだ1世紀の5分の1しか経過していないのだから、それは20世紀と変わらないことは多いでしょうに。

「未だ昭和を引きづっている」との嘆きが日本ではあります。1980年代以前の考えや習慣が根強いことを意味しています。偶然ながら、これは世界が大きく変わった1990年以降との間に一線を画すに都合が良いことになっています。

ぼく自身の考えや感覚を辿ってみても、1990年前後以降におこったさまざまなことを踏まえ、21世紀は20世紀とは異なる考え方が支配的になるのだろうと漠然と信じていたところがあります。言うまでもなく、新しい世紀への希望も大いに含んでいました。

そこで、ふと思いました。ぼく自身が「21世紀は違う」と漠然と思う、あるいは信じるにいたる印象に残ることって何だっけ?と。ここで振り返ってみます。あくまでも欧州に生活する個人の印象です。

1990年代に「移動の自由」が拡大した

1989年、ベルリンの壁が崩れたのは、大国間の緊張やイデオロギーの戦いが終わった事実もさることながら、物理的にも眺める風景が延々と地平の彼方まで続く時代の到来でした。実際、1990年夏、ハンガリー、旧チェコスロバキア、旧東ドイツをクルマで走り回り、軍が管理していただろう森の前にある「進入禁止」の看板が、ほぼ過去の産物となっていました。

どこまでもグングンと前進しても問題のない時が訪れたのです。

こうして大国間の核戦争の危険は大きく後退しましたが、限定された地域での小さなサイズの紛争は増していく。1990年代に生じた旧ユーゴスラヴィアで生じた数々の紛争ーボスニア紛争やコソボ紛争などーは、その方向を裏付けるものでした。逆に主要先進国にいる限り、紛争とは「向こう側」にある「小さなサイズのもの」である、との意識がより鮮明になる契機でした。

1993年、マーストリヒト条約によって「ヨーロッパ市民」の権利が確立され、1980年代に既に合意していたシェンゲン協定の実施が1990年代の中ごろからスタートし、国境を越えるにパスポートが不要になる地域の数が増加していきます。そしてEUにおいて人やお金が自由に往来できるようになります(ユーロの導入は今世紀初め)。

これまであった、国境を通過する前に両替し、入国審査のゲートの前で車が列をなして待つという光景が消滅していきます。かつてのゲートに立っていた物々しい恰好をした人は誰もおらず、そこを一度も停車することなく走り抜ける。この瞬間の解放感は格別なものがありました。過去、あるべきものと信じていたものは、いったい何だったのか?

国境の重要度が下がり、どこでも自由に往来ができる。ある一部の「辺境」地域での紛争を視野に隅に入れておく限りにおいて、良心の呵責をあまり感じることなく、移動の自由を満喫できる時代になったのです。そして、これが後押しするように、格安の航空会社のビジネスが繁盛していきます。

移動そのものからも解放される

1990年代はインターネットが世界に普及しはじめるタイミングでもありました。相手の都合を考慮することなく、物理的に離れたところにいる人にコンタクトをとることができるー電話は当然のこと、ファックスも相手の環境を想像する神経が求められました。欲しい情報も手軽に入手できます。

しかも、安い。国際電話の費用はバカバカしいほどに高かった。経済的条件が交信や調査を躊躇させる、との状況から解放されたわけです。

同時に携帯電話も普及することで、1対1の通話が気楽にできるようになります。従来、相手の住居か事務所に電話していたので、話したい本人とダイレクトに即話せるとは限りません。誰かほかの人の手を煩わせ、しかも、相手はその隣人の脇で会話していると想定して、内容を吟味する必要がありました。

「電話がかかってきたので、ちょっと席を外すね」と言いながら、電話機をもって部屋から出て話すシーンは稀だったのです。それが、話したい時に比較的フレキシブルに親密な会話ができる環境が整ったのです(その後、電話をするには、事前にメールなりで了解をとり、突然の電話は失礼だと思う人が増えていき、マナーが変更されていきます)。

とにかく、1対1の交信が気楽に安価にできる環境は、無駄な移動そのものをなくしていきます。移動からの解放です。ただ、同時に「どうしても会いたい人が増える」との状況がつくられていくのも忘れられません。いずれによ、行政区分を超えた低コストでの人々の自由な交流が一般化します。

個人プレーの増大は小集団の極端な行動を可能にした

こうした個人プレーの可能性が増大したことを、決定的に印象付ける事件が皮肉なことながら、2001年9月11日のニューヨークにおける事件でした。「もはや、世界を揺るがす存在は国ではなく、個人や小さな集団である」との大きな認識変換を迫られたわけです。

「1990年代の旧ユーゴスラヴィアは辺境の小さなサイズの紛争に一見見えたが、あの時点では国が重要な役割を担っていたことに変わりがない。しかし、今回の事件は、街中のどこにもあるネットカフェを使う小さなサイズの集団が世界を恐怖に陥れた」と考えられました。

つまり、前述した一連の「解放」と思われたものが、新たな恐怖をつくるツールになっている現実を突きつけられたのです。その後、世界各地で一般市民も犠牲になる事件が次々におきていきます。それを主導する人たちは、インターネットと携帯電話を使いこなす小さなサイズの集団に属しています。そして、容易に国境を越えています。

かつてはテレビのニュースで放映される画像の向こうに恐怖を煽る当人がいて、そのエライ人が何やら重々しい発言をしていました。国境を越えた口論とは、そういうレベルの話を想像させるものでした。

しかしながら、21世紀は、もしかしたら街中のカフェの隣にいる人が密に情報収集に励み、仲間と交信し、次の企みの準備をしているのかもしれなくなったのです。

21世紀の悪夢は「自由の獲得の裏返しに過ぎない」と思っていた

どこに、どのような恐怖のネタがあるのか分からない。しかし、移動も交信も、自由でありたい。そのために2001年以降、空港などでのX線チェックが厳しくなり、移動に余計な時間を要するようになりました。自由に制限が加わったというより、自由を享受するためには、ある程度の監視はやむを得ないと解釈するしかなかったのです。

そのような解釈をしながら、我々は考え方のうえで後退はなく、常に新しい事態に立ち向かいながら、新しい考え方ー21世紀を生きるに相応しい考え方ーを練り上げているつもりでした。世界の多くの人もそう思っているだろうとの期待感をともない、です。

少なくても、「自由」は誰もが獲得を望み、そのためには力を尽くすであろうと先進国の人たちは思い込んでいました。なにせ新興国の気の利いた人たちも同じようなことを語るので、「自由」をコアと考える人たちは多数派であると大雑把な認識をもっていました。そこに宗教的な、あるいは文化的な障害があろうと、基本、人は自由を最優先とし、これを鍵に社会システムはさまざまに更新される、と。

だから、次々と到来するあらゆる困難は、移動や交信の自由を悪用している人たちの手によるもので、それらは国家とは関係のないところでの試みであり、それこそが我々が乗り越えるべき挑戦であると思ったのかもしれません。これが21世紀への片思いです。

いや、そんな他人事ではなく、ぼく自身について言えば、国家という存在が当分なくならないのは、EUという大きな枠組みで生活しているからこそ、逆にヒシヒシと感じるのです。それなりに、ある程度の仕切りがないと、おさまりがつかないのは人間の性であろうとも。

「21世紀はこうだ!」って先走り過ぎた?

ほぼ日の糸井重里さんが、「自分の年代は真ん中に達したあたりで実感する」との趣旨のことを書いているのを見て、膝を叩いた覚えがあります。

どういうことかといえば、30代であれ、40代であれ、はたまた50代であれ、それぞれの年代の中間くらいの年齢に達したとき、「あ、〇〇代になったんだ」と思うということです。

31-2歳のときは20代への所属意識の方が強い。44-5歳になったとき、「そうか、40代なんだ」とやっと思うのです。四捨五入で次の年代を意識するとき、自分の所在を客観視できるようになるのです。

世紀への実感ってどういうものなのか?を考えてみた場合、20世紀に生まれた人間が語る「21世紀のあり方」なんて、かなり老人の冷や水みたいなところがあり、21世紀に生まれた人たちが2050年頃に実感をもって語るのがちょうどよいのでしょう。

それまでは、あくまでも願望そのものが、表現されている。よって「21世紀なのに!」との嘆息は、「もっと変わるように期待していたのに、現実はそうでもないのね」が本音です。

焦らず、希望を捨てず、ある程度は諦念の境地に慣れる・・・というところでしょうか。

本書は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の女性学長である著者が、未来に向けての「社会契約」の締結を訴えた話題作である。ここで、社会契約とは、「集団的機構のはたらきをつかさどる規範やルール」の意味で使われている。その刷新を求める背景には、現在、これまでの古い社会契約が機能不全に陥っているという現状認識がある。

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