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「証明する」とは、どういうことか? 理解すると何のスキルが高まるのか?

 そしてマーケターにも、日本人特有の悪い癖が見られます。商業化において、世界の成功事例にアンテナを張っておかなければならないのは当然のことですが、日本のマーケターは基本的に「何でも自分でやりたがる」という特徴があるのです。
米国人や中国人は、他者の成功事例からヒントを得て、そのアイデアをそのまま使ったり、少し手を加えたりして、より速いスピードで、より高い確率で商業化を成功させます。
 しかし、日本人はこれを積極的にやりません。職人気質で、全部自分でやろうとする。まず自社開発という苦労するところから始めます。しかし実際は、過去を振り返れば、世界中のどこかで同じ問題に直面した企業は必ずあるのです。自社でやろうとするよりも、世界にベストプラクティスを探しに行くほうがはるかに効率的で、速くて、成功確率が高い。何でも自分でやりたいと思うことは、マーケターのエゴに過ぎません。


仮説構築と仮説検証

ビジネスで語られる「データ分析」業務は、2つの側面があります。WHYを考える仮説構築と、仮説と結果を比較する仮説検証です。

分けて分析しないと大変です。「金儲けの種となる仮説を作ろう!」と言えばシンプルに伝わるのに「データ分析でビジネス課題を解決して事業をグロースさせる」とか格好付けて言っちゃうから、データの海に溺死するのです。

構築と検証の2つは意識して区分しましょう。絶対に混ぜてはいけません。塩素系の漂白剤と酸性タイプの洗浄剤、メントスとコーラ、えなりかずきと泉ピン子ぐらい相性が悪いからです。

仮説構築の目的は、提示された問いに裏付けの無い仮の答えを提示することです。言わば「拡散」です。「どうすれば売上は増えるのか?」という問いなら「Aをやるべき」「Bが良い」という仮説を見つけます。1つに絞る理由は無く、むしろ様々な仮説を生み出すべきでしょう。

仮説検証の目的は、仮の答えの裏を取ることです。言わば「収斂」です。複数出た仮説のうち、まずは1つ1つ正解か証明する必要があります。その上で、仮説に優劣を付ける必要もあるかもしれません。

このように分析の目的が拡散と収斂で矢印の向かう方向性が全く違うので、意識して「これは仮説構築のための分析」「これは仮説検証の目的」と分けて着手しないと、多くの場合は「この分析は仮説を作っているのか、仮説を検証しているのか」と途中から頭が混乱します。分析結果を聞いている側も「データからAが言えると表現するけど、本当にAと言えるか検証してないじゃん」とガッカリすることがあります。

個人的な経験談ですが、(私の場合がそうであるように)仮説構築と仮説検証を混ぜると、だいたい欠落するのが「証明」です。「やってみないと分からない」という結論になりがちです。実際、そうではあるのですが、もう少しやりようがあるのではないか、とも思います。

そこで仮説検証の本質である「証明」について、少し考えてみましょう。


「証明」とは何か?

「証明」という言葉は、どういった文脈で使うでしょうか。

「あなたのスキルが本物かどうか、仕事で証明して見せてよ」
「そんな曖昧な話では身の潔白を証明できないよ」
「新型ウイルスの後遺症や影響は、未だ全てを証明し切れていない」

いずれの場合も、説得力のある説明という意味合いで「証明」という言葉が用いられています。「理詰め」と言っても良いかもしれません。「証明」とは「理性的」なものであって、感情や感覚に依る「情緒的」なものでは無いとも言えます。

正確な意味合いについては、国語辞典を引いてみましょう。

ある事柄・命題が真であることを明らかにすること。
ある物事や判断の真偽を証拠をあげて明らかにすること。

データ分析の文脈に置き換えて考えると、仮説が真であることを証拠をもって理屈でキチンと説明することが「証明」と言えるでしょう。

ちなみに数学の世界でも「証明」という言葉は使います。ただし、数学用語の「証明」は、少し意味合いが違います。例えば、中学校数学の教科書には「すでに正しいと認められたことがらをよりどころとして、あることがら成り立つことを筋道立てて述べること」と記載があります。

「すでに正しいと認められた」事実があって、その事実を元に別の仮説が成り立つことを論理立てる。すなわち演繹的に「普遍的な大前提」を引用して具体な仮説に当て嵌めて真を説明するのが証明です。

例えば、足し算と掛け算の交換法則(与えられた演算の二つの引数を互いに入れ替えても結果が変わらないこと)が分かっているから、4+5=5+4だと分かるのです。

ある法則(抽象)を元に、ある事柄・命題・物事・判断(具体)に当てはめて考えるわけです。


2つの証明、実証と論証

問題。4.2kmを時速84kmで進むと何分かかりますか?

84km÷60分=1.4km/分
1.4km/分×1000=1400m/分
4.2km×1000=4200m
4200m÷1400m/分=3分
答え:3分

論理的に考えれば「4.2kmを時速84kmで進む」と「時速84kmで3分進む」が同じであると証明できました。これは論理によってある事柄が正しいことを確認する論証と呼びます。

実際に、時速84kmで4.2km進んでみて「3分ジャストである」と実験することを実証と呼びます。確かな事実を提示しているので、これも1つの証明と言えるでしょう。

ビジネスにおいては「実証」が多いかもしれませんが、数学における証明とは「論証」のみです。岩波数学入門辞典では証明について「いくつかの事実を前提にして、論理的に結論を導くこと」と記載されています。

ただし、えてして事実は「観測」を通じてであり、漫画「チ。」で描かれたように、古来から天動説こそが論理的な事実でした。実証的にも論証的にも天動説が正解でした。

しかし様々な事件を通して、事実は地動説へと変化していきます。自然科学における真理は時代と共に進化し続け、様々な検証を経て誤りであると判定され、新たな真理に上書きされることは珍しくありません。

数学の定理も同様で、「二等辺三角形の2つの底角は等しい」(底角定理)や「正多面体は4、6、8、12、20の5種類しかない」(正多面体定理)などは2000年経過してなお絶対の真理として君臨していますが、非ユークリッド幾何学の誕生もあって「絶対は無いんだ」と分かっています。

例えば、球面上に三角形を描くと内角の和が180度を超える。地球上に経度0度線、経度90度線、赤道の3つの直線で三角形を描けるが、この三角形はすべての角が直角になり、内角の和は270度となる。

つまり数学における証明(論証)とは「こう仮定を立てれば、理論的にはこうなる」という筋道こそ本質となります。冒頭の問題も「もし4.2kmを時速84kmで進んだなら、理論的には3分かかる」と言えます。


論証思考のマーケティング

さて、冒頭の話に戻ります。「やってみないと分からない」というのは実証であり、確かにそうではあるんだけれども、可能な限り論証の証明に力を尽くしたいものです。

マーケティングの成功事例も、いくつかの事実の1つです。その成功を元に自社に当て嵌め、論理的に考えれば成功することを証明する作法を、私は「論証思考のマーケティング」と呼んでいます。

冒頭、森岡さんは「自社でやろうとするよりも、世界にベストプラクティスを探しに行くほうがはるかに効率的で、速くて、成功確率が高い」と述べられました。論証に慣れれば、実証にかかるコストを削減し、短時間で実現します。かつ成功法則を元に演繹法を当て嵌めるなら、そりゃ成功確率も高いでしょう。

データ分析の仮説構築と仮説検証を起点に、証明とは何か、実証と論証について話を広げてきました。

証明とは面倒くさいようでいて、ちゃんとやれば楽に様々を明らかにできる作法であると伝わったのではないでしょうか。

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