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改めて考える、リモートワークの必要性

新型コロナウイルス感染防止とそれに伴う非常事態宣言が出されたことによって、にわかにリモートワークや在宅勤務が注目を集めている。記事を検索してみると、この2月の記事の頃が、日本企業での動きが顕在化したタイミングのようだ。

COMEMOにもリモートワークを快適にするための方法をはじめ、様々なリモートワークに関する記事が多く出されているが、これらはリモートワークはするべきもの、または否応なくしなければならないもの、という前提に立っている。

私の周り及び私自身も、どちらかといえばリモートワーク推進派の人が多いのだけれども、それはバイアスの掛かった意見かもしれず、果たして本当にリモートワークは必要なのか、改めて考えてみたい。

この記事の調査によれば、7都府県に対する緊急事態宣言後も宣言地域で半数以上が出社している。また、この7都府県のリモートワーク実施率は4割を切り、全国平均では3割弱となっている。もっとも高い東京でようやく5割弱といったところだ。この調査以降にもリモートワーク比率は増えているだろうが、東京ですら、リモートワーク可能な職種でありながら、様々な理由で出社を続けている人が少なくないことは、自分の友人知人に聞いても実感することだ。こうしたデータからみると、リモートワークは緊急事態宣言下であっても、決して日本の主流になっているとは言い難い。

そもそも、リモートワークの必要性が一般的に認知されたのは2011年の東日本大震災の時であったと記憶している。この時、地震による交通の寸断に加え、福島原発の事故によって、しばらく自宅待機での勤務が実施された企業があった。この時に、いわゆる BCP の一環として、在宅勤務やリモートワークの必要性が広く企業人一般に認識されたはずである。

それから約10年が経ってこの新型コロナウイルス問題が起きたが、この間、私たち日本の社会にリモートワークが定着しなかったということは何か理由があるのではないか、そしてそうであるなら、今回もやはり緊急事態宣言の終了とともに終ってしまうのではないかとも思う。実際に、このウイルス問題が終息したらリモートワークは廃止する、と明言している企業もあるそうで、リモートワークは、決して多数派でもなければ、日本の企業社会が全体として積極的に推進しようという方向で一致しているものでもない、と思った方が良さそうだ。

こうした「少数派」であるリモートワークを実施するためのアイディアや工夫は多数シェアされ、記事にもなっている。

それにくらべ、この状況の中で、なるべく安全に出社するための特別な対策を取っている会社というのも聞いたことがなく(せいぜい、時差出勤や、いわゆる3密を防いで、会議室に入る人数を過密にしない、という程度しか寡聞にして知らない)、また個人として、そうしたアイディアや工夫を披露しているブログ等も見かけていない。

そもそも今回、リモートワークや在宅勤務が必要だとされたのは、通勤移動とオフィスで対面することをやめることで、感染防止をするためである。そうであるなら、満員電車で通勤してオフィスに出ても感染しないような仕組みや方法が見つかれば、リモートワークや在宅勤務をする必要はないのではないか。

例えば、会社が制服として通勤用防護服(医療用ではなく、着たままトイレ等にも行ける会社勤務用のもの)やゴム手袋、ウイルスを防ぐ効果の高いマスクやフェイスシールドなどを支給し、それを装着して出社することで、新型コロナウイルス感染の可能性が通常の風邪やインフルエンザに比べてはるかに低い、となれば、これは通常通り出社をしても構わない、ということになるのではないか。通勤用防護服には、一流のデザイナーを起用してファッショナブルなワークウェアに仕立て、ウイルスが一定量付着すると色が変色するといった機能も組み込めるなら、いわゆるクラスターの発生も視覚化され、効果的に防げるかもしれない。

夜の会食でも飲食店が個別に、一部のラーメン店に見られるような仕切りをアクリル板で作り、喋ったとしても飛沫感染をしないような工夫がされるのであれば飲食店が存亡の危機に立たされるということもなくなるかもしれない。

このようにして、これまで通り出社ができるような仕組みを整えるのであれば、都心のオフィス需要が減ることもなく、交通機関の利用も維持され、出張需要としてのホテルの稼働なども減ることがないので、今の産業構造をほぼそのままキープすることができる。その上、感染を防止するための通勤用防護服や飲食店の感染防止のためのアクリル板などは新しい需要が生まれるため、既存の産業に加えて新しいビジネスや需要が生まれてくるかもしれない。

そして何より、日本の企業に勤めている人が気になるであろう、キャリアの継続性、つまり管理職が部下の監督をこれまで通りおこない、ひいては日本型の雇用が維持されるということにもつながっていくのかもしれない。そうした視点あるいは希望が強いのだ、ということを、このニュースを見て痛感した。


さらに今の在宅勤務の問題は、それでなくても手狭な日本の住宅で執務環境を整備しなければならず、さらに学校が休校になっていることで子供の相手などをしながら仕事をしていると在宅勤務中にサボっていると上司から指摘をされるといった、非常に大きな問題がある。こうしたことについても再び通勤できるような環境が整うのであればこれも解決するだろう。

これは思考実験にすぎないのだけれど、なぜリモートワークをしなければいけないのか、ということをもう一度原点に立ち戻って考える必要があるのではないか、と最近思うようになった。

これはとりもなおさず、この状況における変化を、どこまで平時のものとして受け入れるか、つまりニューノーマル(新しい日常)とするのか、そうでなければ緊急事態下での一過性のものでしかないと受け止めるのか、という選択だ。

後者であれば一時的に異常事態を受け入れるだけだが、前者であれば、働き方はもとより、暮らし方や住まい方、大げさに言えば生き方を見直すことにつながっていく。

私自身は、いわゆるリモートワークや在宅勤務、それに近しい形態での働き方を長らく続けているので、自分としてはこのニューノーマルを受け入れる準備はある。

しかし、日本の労働法制はこうしたリモートワーク・在宅勤務に全く対応できていないという指摘も受けたし、また日本企業の評価システムをはじめとした大半の制度は、リモートワークを全く想定していないものであろう。それをこの10年手をつけずに置いてきたのだ。

そうであるなら、リモートワークを推進する動きの一方で、リモートワークをどうやってなくすことができるか、という考え方も、もう一つの選択肢としてあるのかもしれない。なぜなら、対面がなくなり、雑談から生まれるものを失い、心身の健康の維持に支障をきたしやすいというリモートワークのデメリットも厳然と存在するからだ。

以上は思考実験に過ぎないのだが、リモートワークが果たして本当に必要なのかどうか、この新型コロナウイルスの脅威が継続する中でもあえてリモートワークをしなくて済むのだとしたら、それはどのようなやり方になるのかということを考えてみるのも、今後より良い働き方を実現していくためには必要な検討だろう思う。そして、最適解は、ゼロイチではなく、その中間点のどこかにあるのだろう、という予感がしている。

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