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「働く人達がどうあるか」を追求する企業に未来を見る

「儲かる」だけでは起業のハードシングスは乗り越えられない

起業というと学生さんや若い人の特権のようにも思われますが、私のまわりには30代後半以降で起業した人も結構います。ざっと数えてみると10人くらいでしょうか。多くがそれまで各業界で活躍し、副業やフリーランスを挟み、ある程度成功の算段をたててから起業に漕ぎ着けています。

ただ、「成功の算段」というとき、その成功の定義は様々です。ある人にとってはシンプルに実入りを増やすことかもしれません。コンサルや美容師のような仕事では、顧客開拓や社員教育が自分でできれば、会社の取り分を自分のものにすることで実入りが増えます。ただ、このようにただ実入りを増やしたいという理由で起業する人は、私の周りには多くありません。

そもそも起業しようという発想が出てくるということは、やっていけるという自信があるからで、それは実力と実績に裏打ちされているのでしょう。いずれも未熟な私からはそういう発想がでてきません。そして、実力と実績があれば、すでに実入りは十分なはずです。そんな人があえて起業をするのは、どうしてもやりたいことがあるから、なのでしょう。

資生堂の美容室部門で講師を勤めていた美容師の知り合いは、隅々まで自分の目が行き届いたサロンがつくりたい、と独立しました。起業には「ハードシングス=辛いこと」がつきものだと聞きます。それらを乗り切る動機としては、よほどハングリーでなければ、ただ儲かるというだけでは不十分なのです。それには、自分自身が欲しい商品やサービスを形にしたい、という強い想いが必要なのでしょう。

理想の「働き方」を実現するための起業

やりたいこと=ミッションが明確にあり、働く人や自分自身でさえそれに引っ張られて進んでいく。それがベンチャー企業の「かくあるべし」です。このように、ベンチャー企業では、「何をやるか」に主眼が置かれています。一方、同じ小規模の会社でも、地元で50年続く印刷会社はベンチャー企業ではなく「中小企業」でしょう。そこでは新規事業を検討していたりもするでしょうが、主眼は既存事業を「どうやるか」に置かれています。

主眼が「どうやるか」に置かれている、という意味では大企業も同じです。大企業において新規事業の立ち上げが難航するのは、株主も、経営陣も、従業員も、大半が既存事業の「どうやるか」を見ているからでしょう。主眼が「どうやるか」というという軸では、大企業も中小企業も同じ側にいるのです。図にすると以下のようなイメージです。

最近個人的に最も注目しているのが、この意味での「ベンチャー企業」とも「中小企業」とも言えない小規模組織です。「パプアニューギニア海産」という大阪の水産物加工会社があります。この会社では、従業員は好きなときだけ働くことができ、予め予定を知らせておく必要もありません。嫌いな仕事を申告することができ、その仕事が割り当てられることはありません。

このように、働く人達がどうあるか、に主眼を置いて会社を立ち上げる人が私の周りにも増えています。働くうえで、自分はこうありたい。仲間にもこうあって欲しい。キャリアプラン=何をやりたいとは別に、そうした理想の働き方=自分としてのありかたが、長い社会人経験のなかでそれぞれに培われているはずです。そんな理想を実現する手段として、会社を立ち上げるのです。

フリーでも食べていける。でも、自分のような人に「居場所」をつくりたい

「ティール組織」と呼ばれるチーム形態があります。リーダーがおらず、上下関係がなく、意思決定はすべて担当者の判断でできる、という未来の組織です。このティールと現代的な組織の中間である、「グリーン組織」のような形態で会社を運営する知人がいます。自分や仲間が活き活きと働くためには、自分のことは自分で決める自律が重要だ。そう考えたとき、今の会社のシステムではそれが不可能だと気づき、チームごと居抜きで独立したのです。

人見知りで社交性が極めて低い自分には、野心家が出世を競い合うこの大企業に居場所がない。そう感じてプログラミングを学び、フリーを経て起業した友人のアプリ開発会社には、自分と似たようなタイプの人が多いと友人は言います。そういう人が自分らしく働けるよう、文化やルールやインフラが整備されているのです。フリーでも十分に食べていけたなか、自分のような人たちに居場所を与えたい、というのが起業の理由だったからです。

そうした会社にとって、経済的な実入りも、何をやるかも、もちろんどうでもいいわけではないでしょう。現代の社会・経済システムのなかで会社を存続させるには、財務や事業戦略にもしっかりと目配りする必要があります。しかし、あくまで主眼は「自分や仲間がどうあるか」なのです。そんな理想のあり方が、今の会社でもほかのどの会社でも実現できないから、それでは、と自ら会社を立ち上げたわけです。

このような新興企業を、ベンチャーと呼ぶのは違和感があります。経営者たちも働く人たちも、自分たちをベンチャーだとは思っていないでしょう。世界を変えたいわけでも、上場を目指しているわけでもありません。かといって、中小企業かというとそれもまた違和感です。つまり、これらは、何かまったく新しい起業・企業の形態なのです。

これまでのdoing追求型企業に対する、being追求型企業という選択肢

「何をやるか」に主眼があるのがベンチャー。「どうやるか」に主眼があるのが、大企業と中小企業。そうした分類をしている限り、この新しいタイプの企業の立ち位置は見えてきません。そこで、「何をやるか」「どうやるか」をdoingとして一くくりにし、それとは別にbeingという軸を立ててみましょう。

すると、doing追求型企業とは別の、being追求型企業という立ち位置が浮かび上がってきます。図にすると以下の星印のようなポジションです。ベンチャーとも中小企業とも呼ぶことができない、このような新興企業を、ここではbeing追求型企業と呼びましょう(もっと気の利いた名前を考えられるといいのですが)。

今後、このようなbeing追求型企業は増えてくると予想します。なぜなら、色々な面で有利だからです。まずは何より人材採用です。多くのdoing追求型企業で働き方「改革」が叫ばれていますが、実際には「改善」であり、深く根付いたシステムや文化を抜本的に見直すのは不可能です。理想の働き方は、自分としての理想のあり方でもあり、それは想像以上に多種多様です。そんな多様なあり方のうちの細かい一つを、一からビルトインして立ち上げられた企業に、強く惹かれコミットする人たちがいるのは当然です。

自分らしさ=オーセンティシティーの力が、リーダーシップの分野で注目されています。人は自分らしくあるときに、最も強さを発揮するのです。ここでいう強さとは、抗う強さではありません。しなる強さ(レジリエンス)です。いつどこからどんな力がかかるか想像もつかないVUCAの時代には、柳の枝のようにしなる強さこそが求められます。それを支えるのが、しなる枝の根っこである自分らしさです。これを体現できている個人や組織は、変化を生き延びる強さを持っていると言えるでしょう。

being追求型起業を立ち上げる、とう選択肢。そこに転職する、という選択肢

何を隠そう私自身がそうですが、誰もが「やりたいこと」を持っているわけではありません。しかし、こうありたい、という自分の姿は、はっきりと言語化できないまでも、多くの人がもっているはずです。特に、すでに数十年の社会人経験を積んだ30代以降の人は、「こうはありたくない」という否定的な経験もいくらか積んできているはずです。そんななかで、自分の理想のあり方、の輪郭はシャープになっているのではないでしょうか。

「やりたいこと」がなくても。世界を変えたい! という情熱がなくても。上場を目指す野心がなくても。そんな「こうありたい」を実現するために、起業をするという選択肢があるのです。

もっとも、とはいえ会社を立ち上げ存続させるには、人並みならぬ才覚や胆力が求められるでしょう。「こうありたい」はあくまで主眼であり、「何をやる」「どうやる」にも十分に目配せが必要だからです。

これも同じく私自身がそうですが、そんな才覚も胆力もないという人には、しかし自分の「こうありたい」を実現してくれる会社を探し転職する、という選択肢があります。大企業を含めそんなbeing追求型企業の選択肢が増え、多くの人が自分の理想の「あり方」を追求できる社会。そんな社会を想像すると、この変化の激しい時代を前向きにとらえることができそうです。

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