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謙虚なデブキャラになる道は、生涯終わらない修行である

筆者は小学6年生のとき、身長168cm、体重70kgと、相当大きな体躯をしていました。
当時は勉強もよくできていたので、目立つ存在であり、尊大でイヤな子供でした。先生のことをからかったりしたことも思い出されます。

そんなある日、父の書斎にあった書籍を、何気なく手に取りました。デール・カーネギーの「人を動かす」です。

一読し、衝撃を受けました。
そこに描かれたことと真逆な、日々の自分の振る舞いに、冷や汗が出てきました。

その日から、私は自慢めかしたことを口にするのを止め、人の話をよく聞くことに努めました。今から考えると、級友は突如振る舞いを変えた私を見て、相当不思議だったのではないかと思います。

程なく中学に進学し、初対面の新しいクラスメートとも、同じ原則で接しました。すると筆者を「いい奴」と評価してくれる友人が何人か出てきて、新鮮な喜びを感じました。それまでは「頭がいい」とか「強い」「しっかりしている」などと言われることはよくありましたが、「良い人である」と言われたことは一度もありませんでした。

この経験を通じて、筆者は謙虚であること・穏やかにコミュニケーションすることの大事さ、力を知りました。

それから十数年後、筆者は外資企業のマーケティング部で、あるプロジェクトに従事していました。3社がアライアンスして、世にない新しいサービスを創る案件のプロジェクトマネジャーを拝命していたのです。

そんなある日、筆者はオフィスで途方に暮れながらため息をついていました。アライアンスパートナーのある部長さんが、筆者のいうことに全然耳を貸してくれず、自社・自分自身が進めたい方向への合意が取れる見通しが全く立たないのです。

見兼ねたのでしょう。上司が声をかけてくれました。
「富永さん、何かお悩みですか?」
「え、はい・・。XX部長さんが全然話を聞いてくれないんですよ。。」
「それは大変ですね。ところで、富永さんはXXさんの靴はお舐めになったんですか?

今度は上司の言葉に、衝撃を受けました。

私は、自社や自分の理を、ある種の「正しさ」として主張し、XX部長や彼の会社の意向に配慮することなく、一方的にぶつけていたのです。

小学6年生の「気づき」以来、自身のコミュニケーションスタイルを大きく修正し、人に受け入れられることが得意になった気でいました。
しかし、何のことはない。そんなのは表面を取り繕っただけの話であり、理屈で固めた正しさを、他者にぶつける自分勝手な本質は全く変わっていなかったのです。

表面は謙虚だが、中身は尊大。そんな薄っぺらな人間が、うまくプロジェクトマネジメントできるはずありません。上司の一言は、そんな私の目を覚ましてくれました。

以来私は、論理や賢しらさを全面に出すことを極力少なくし、とっつきやすいデブキャラを押し出すことに努めました。
XX部長さんも徐々に話を聞いてくれるようになり、その他の仕事もスムーズに行くようになったように思います。

さらにそれから十数年後、私はやはりある外資企業でマーケティング部門責任者をしていました。そんなある日、上司のCEOからアドバイスを受けました。
「富永さんが怖い、というフィードバックがある。もっと穏やかに振る舞ったほうがいい」
「自分は謙虚にしてるつもりだし、なんならとっつきやすいデブキャラをやってるつもりなんだけど、そういう風には見られていない、ということですか?」
「いや、それは見えている。でも富永さんはマーケティング部門として大事にしている企画に対して意見や批判が入ると、途端に理屈っぽくなり、柔和さがなくなる。」

これもこたえました。
会社のために仕事をしているつもりだった自分。しかし、何のことはない、会社のためにやっているつもりが、自身を自部門の代表のように考え、振る舞っていたのです。

平常時にいくら謙虚にデブキャラをやっていても、真剣勝負時やストレス下でそれを忘れるようでは、まさに馬脚を表しているようなもの。

それ以来、筆者は他部門と自部門のことを「あいつらと俺たち」という感覚で捉えるのをやめ、会議などで何か問題が見えた時も「これはXX部の問題(なので関係ない)」という見方をやめ、全ての問題を自分・自部門の問題として考える、ということを心がけるようにしました。
すると、周りから相談されることが増え、職掌がだんだん広がっていきました。それはマーケティングという考え方や方法が、通常はマーケティング部門が担当しない分野に拡張していくような、とても新鮮で、私にとっては喜ばしい感覚でした。

今回のCOMEMOのお題「#私の学び直し」に触れて、私が想起したのは上記のストーリーでした。

多分、元々の題意は昨今話題のリスキリングなのではないかと思いますが、私にとってはこのストーリーこそが、終わらぬ学び直しです。

何やら大上段に書きましたので、今はだいぶマシな人間になったような印象になってしまっては汗顔のいたり。筆者の周りにいらっしゃる方から見たら、こんな話はちゃんちゃらおかしい。何言ってんだあいつ、というところだと思います。

まぁそれでも、今まで10年ごとくらいに、ありがたいどなたかのフィードバックを通じて、それまでの自分には、自分が必要な品性が備わっていなかったことに気づいてきました。

ここまでの経緯を改めて俯瞰すると、現在の自分が完成形であるとはとても思えず、きっとこれからも定期的に「気づき・ため息・行動修正」というループを繰り返していくのだと思います。

読者の皆さんにとっての「学び直し」は、どんなことですか?


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