バッターボックスのゴミを拾う大谷翔平選手の心―美しい日本②
その京都の和食のミシュラン店は、京文化を体感できる良い店だった。円安インバウンドブームで、日本料理が人気となり、予約困難店となった。コロナ禍前の1人3万円が7万円になった。普通の人には高すぎて行けない。その店に行った人から聴いた
あの店、変わってしまった
むごいほど落ちてしまった
なにが落ちたのか?店主は同じだが店のスタッフが変わり、料理の味が落ちた以上にお客さまへのもてなしが落ちた。長年お店を支えていたスタッフがいなくなり、その店の空気が変わった
インバウンドで日本人気があがればあがるほど、日本品質が落ちつつある
1 キティちゃんの目
日本が生き残る道を考えると、「日本の美しさ」が浮かぶ。美しい日本を創る核は、「日本人のセンス」、それをさぐる
美しい人は、3つの美しさのどれ?
3つのすべてに該当する。すっぴんで、そこにいる人が美しい(②)、化粧して何かを表現して美しい(⓵)、③のあるべきものが、あるべきカタチで、ある。では
キティちゃんは美しいか?
顔に目をトントンと描くと、キティちゃんになる。絶妙に計算されている。キティちゃんには、この3つ目の美がある
あるべきものが
あるべきところに
あるべきカタチで
ある
キティちゃんを見ると、安心する。この安心感が美しさの感動につながる。
「日本の3つの美しさ」をみていく
2 美しい国はあるのか?
美しい国は、あるか?
実は、この3つのどれにも当てはまらない。「国は美しい」と理解するものではない。美しい日本人、美しい食器、美しい着物は、分かる
「美しい社員」は、どうか?
礼儀正しい社員は、美しい
「美しい会社」はあるか?
社会に誠意ある会社は、美しい。これもある
「美しい所作」は分かりやすい
所作は目に見えるから、美しく見える。では目に見えないものはどうか?
「美しい音」はあるか?
不協和音を連発する人の音楽は聴いていられないが、その音に作為的なものを覚えて美しいと感じる人もいる。一方、
ピアノの鍵盤をひとつ押すだけで
美しいと感じたりする
映像やドラマに流れる音も、そう。あるべきときに、あるべきところで、ある音が流れてくるとき、美しく感じ、感動する。美しい音がある
3 3つ目の日本の美しさ
外国人が日本に来て感じる日本の美しさは、この「日本の3つの美しさ」のどれだろうか?京都の舞妓さんを見たら⓵、日本の風景を見たら②である
では、③の「あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチである」『日本の美しさ』は、なにに感じるだろうか?
日本のなんでもない風景に、3つ目の日本の美しさがある
街の飲食店の前に並んでいる椅子に、あってはいけないものがある。なにか?いちばん奥の椅子の下のペットボトルは、あってはいけないもの。捨てられたゴミではなく、置き忘れたものだが、あってはいけないもの。日本の美しい③ではない
この店の椅子のツラが合っている。これは、「あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチ」の日本の美しい③
なぜ美しく感じるのか?
この椅子のツラを揃えている人がいる
なぜその人はそれをするのか?
気持ち悪いから
なぜ気持ち悪いのか?
落ち着かないから
なぜ落ち着かないのか?
バラバラだと、秩序がなく、汚いと思うから
これが日本の強み
本来、こんなふうにツラを合わせる必要性はない。しかし日本人ならば、ツラを合わせることを誰も疑わない
綺麗に椅子を並べる
西洋人にはこれが理解しにくい。海外はこんなに椅子の面が揃っていない。椅子のツラを合わせている日本人は、綺麗に見えるためにやっているのではない
自然にしている
西洋人は自由を尊重する。どうだろうと、不合理でない限り自由と考える。椅子がどんな形に並んでいようが、椅子が椅子としてあれば不合理ないと考える
厨房のカウンターに、皿が綺麗に並べられている
均整がとれている。外国人は、こんなに綺麗に並べる必要はあるのか?と思う。しかし日本人は、このように綺麗に並べる。意識してやっているのではなく、そうする
ここコワーキングスペースのなかは
みんな、椅子に座って、前を向いて仕事をしている。横を向いている人は殆どいない。これを教育の成果だという人もいるけど、3つ目の日本の美しさを実現する能力を本能的に持っている
日本人の強さと美しさは、ここにある
4 バッターボックスのゴミを拾う大谷翔平選手
まだある。日本の家の玄関の靴は、大抵はきちんと並んでいる。子どもの頃から靴は並べるものと教えられ、教えられたうえで日本人は普通にそうする
日本人は、街に、ゴミをポイと捨てない
江戸時代の日本ではゴミが捨てられ汚かったという話もあるけど、現代日本において
そういうことを「自然」としない
あるべきものを、あるべきところに、ゴミは捨てる。それをしないと、「気持ち」が悪い。街を歩いてゴミが落ちていたら拾う
大谷翔平選手がバッターボックスに落ちているゴミを拾う姿に、アメリカ人が驚くが
あれは日本人のDNAレベル
日本人は、「あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチで、ある」ということに、精神的な安心感を覚える。それを美しいと感じる
人からモノをもらったら、「ありがとう」という。しかし言わない人がいたら、えっ⁈と思う。もらったのに、なにも言わない人を
「美しくない」と思う
LINEで「既読」にならなかったりレスポンスがないと、え⁈となる。あるべきと思っているもの、あるべきカタチと思っているもの、あるべきところにあるものと、みんなは思っているものが、そうでないと
気持ちが悪い
歩き方も、そう。日本人は教えらえれなくても、右側通行する。だから渋谷の交差点でぶつかることはない。自然でやっている。どこかで教えられているが、そういうことを社会で守っている
列にきちんと並ぶのも、そう。みんなが並んでいる列に、誰かかが入ってくると
美しくない
日本の強みは、そういうことを海外のように、社会的スローガンとしてやらなくても、みんなが自然にしていた。これが日本の強みであり、美しさだった
それが、そうでなくなりつつある。どうなってきたんだろう。それは次回に
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