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マインドフルネスとは、瞑想でも座禅でもない【禅を知らない日本人】

企業や自治体などで瞑想サロンによるマインドフルネスが人気だそうです。

一般の人の多くが勘違いしていると思いますが、そもそも、マインドフルネスは瞑想ではありません。今この瞬間に感じているこの感覚をそのままに受け止める。否定も評価も価値判断もしないということがマインドフルネスであって、実はそんなことは瞑想しなくてもできることなんです。ごはんを食べる、仕事をする、というすべての日常生活の中で感じられることの方が大切。

坐禅と禅をはき違えることにも似ていて、坐禅は足を組んで瞑想することですが、禅は生き方そのものです。

瞑想は単なる呼吸法でしかない。瞑想というハウツーばかり取り上げるから、ちっともマインドフルネスになれないのですよ。

なんて偉そうに書いていますが、これは臨済宗建長寺派林香寺のご住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんと対談した時に教えていただいたことです。こちらの対談記事は、いろいろ学べることが多いので、お時間あるときにぜひご覧ください。

この対談でも話題になったことでもありますが、コミュ力といわれるものとか、人との対話というものも多くの人が勘違いしています。

コミュ力って、べらべら自分の言いたい事を上手に喋れる能力ではない。相手の話を傾聴する能力です。相手の話を聞いて理解し、それってこういう事だよねとうまくまとめてあげられるのが最強のコミュ力。話を聞いてくれた、わかってくれたって快感はセックスに匹敵するから当然モテる。ここていうモテるとは異性間の恋愛に限らず、同性の友達関係でも仕事でも同じです。

恋愛でも友達同士でも仕事でも、うまく意思疎通がとれないと嘆く人は大抵この傾聴力が足りないのです。そもそも相手の話をちゃんと聞いてない。相手が喋っている時に、次自分がどう話すかということばかりを考えている。

それって言ってしまえば、互いに相手を目の前にしながら自慰行為しているようなもので、そりゃあ永遠に結ばれないって話ですよ。

あとこういう話をすると必ず出てくるのが、「それってこういうことだよね、って整理するの得意」とか言い出す、「話が上手なだけのコミュ障」の人。

得意って本人は思っているかもとれないが、大抵それ違います。

何かを訴えたい時でも、相手の話は出来事の羅列になりがちです。でも、伝えたいのは事実では本当はない。事実をまとめて整理してほしいわけじゃない。

「今日ね…こんなことがあったの。隣のおばさんがね…」という事実の羅列だったとしても、話し手は事実の整理ではなく、その事実に対する話し手の感情を客観的に言語化してくれる事を望んでる。事実の整理ではなく感情の客観的言語化なのである。但し、話し手の主観的な感情の言語化ではなく客観的に、という点が重要。

よく理屈っぽい人がやりがちなのが、事実だけを整理して、「それはこういう事情でこういう問題があってそうなったんだね」なんて事実の因果をロジカルに説明する人いるが、そんなことはどうでもいいのです。

そうした事実に直面した「この私のモヤモヤした気持ち」を言葉にしてほしいだけなんだから。


人間は年を経て、経験を積み、知識を仕入れたりすれば考えるようになる。それは分別と言われます。分別があることは決してダメなことではありませんが、分別こそがマインドフルネスとは対極にあるものなんです。

言い方変えると、人間のストレスは分別によってもたらされている。義務というのは分別です。「〇〇しなければならない」「〇〇すべきである」という分別によって、人はストレスを抱えています。

「日本的霊性」を記した鈴木大拙は、「無分別智」といっていますが、たとえば「私が花を見ている」という状況があったとしましょう。これが分別です。しかし、「私が花を見ている」ということは、「花も私を見ている」ということも存在しうるわけです。

人間が考えるということは大体主観です。しかし、「私が〇〇している」ことだけが世界のすべてではない。世界をもっと直感的に見ると、主観も客観もないことがわかります。主観の思考だけで世界をとらえるのをやめるということが、ありのままの世界をそのまま受け入れるということであり、これこそがマインドフルネスなのです。

主観も客観もない状態に自己を置くと、真ん中が何もない「空」となる。空とは「空っぽ」ということであり、なにもないということでもありますが、「空っぽ」だからこそあらゆるものを無限に受け入れられる可能性があるということです。

それを具体的な形にしたのがiPhoneです。

ご存知の通り、iPhoneは買っただけではあまり使いものになりません。自分が使いたいアプリというソフトを入れることによって使うものです。つまり、もともと「空」なのです。そして、iPhoneは主客を明確に分けないツールです。「メーカーが作った完成形の機能をユーザーは使うだけ」というものではなく、「ユーザーが入れた、もしくは、作ったアプリを入れることでメーカーが作ったiPhoneの機能が拡大していくもの」でもあります。いわば、iPhoneという商品は永遠の未完成なのです。

スティーブ・ジョブズが禅に傾倒していたのは有名な話ですが、彼は座禅とか瞑想とか表面的なことではなく、ちゃんと「禅とは生き方そのものなのだ」を理解していたといえるでしょう。

彼の言葉「内なる声を聴け」などはその最たるものです。

とはいえ、日常生活において分別を捨て去ることはなかなかできません。しかし、一日の中で時には分別を忘れて、直感で世界を感じるという瞬間があってもいいと思います。直感で感じるといっても、それは理屈に基づいた怒りとか喜びというものではありません。

感情の大部分は理屈でできています。もともと分別として自分の中においてあるの理屈にあわないものが出てくると不快になるというのが感情です。

直感で見るとは、感情的になるということではありません。否定も評価も価値判断もしないということです。


難しそうですか?

でも案外、みなさん、日常生活の中でやっていたりするんですよ。

何か没頭して時間を忘れて絵を描いたり、物を作ったりすることありませんか?その瞬間、分別は飛んでいます。何も考えていないと思います。

何かに没頭して時間を忘れる。それこそが実はマインドフルネスのひとつだったりするのです。



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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。