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これから空間テックに求められるのは、自分がいま生きている世界への没入と摩擦感覚

コロナ禍で外出が制限されたことで、自分がいまそこにいる「実空間」の大切さがあらためて浮き彫りになっているという記事が日経ビジネスに出ていました。

そこで実空間の価値を高められる技術が求められるようになり、記事はそれらを「空間テック」と呼んでいます。雲が浮かぶ空の風景や木々が揺れる風景を仮想的な天窓に映し出すことができるパナソニックの「天窓Vision」や、窓ガラスで黄色の波長をカットすることで風景が鮮やかに見えるようになる丹青社の「ポジカフィルム」などが紹介されています。

長野市の星光技研は、ミストに映像を映し出せる「ミストスクリーン」という技術を開発。単に映し出すだけでなく、スクリーンは単なる霧状の水なので、映像に「手で触れる」「身体でくぐり抜ける」こともできるとか。

「風景」ではなく「世界」として

このような空間テックの可能性は、非常に大きいと思います。

これからの空間テックに必要な要素とは何でしょうか。最も大事なのは、自分がいまそこにいる実空間を「風景」としてではなく、自分が生きていて自分を中心に存在している「世界」として捉えられるかどうか。

地理学者のイーフー・トゥアンは『個人空間の誕生』(ちくま学芸文庫)という著書で、コスモス(世界)とランドスケープ(景色)という概念を書いています。建築物も街も劇場も、古代から中世までは人間が生きる混沌としたコスモスだった。ところが近代になって自我が確立し、視覚が中心の世界に変わると、建物や都市や演劇の舞台は、そこにあるものを「目で見る」だけのランドスケープに変わったという話です。

いま空間テックに求められているのは、ランドスケープからコスモスへの回帰かもしれません。

システムの存在を感じさせない「没入感」への進化。しかし…

情報通信テクノロジーは、ユーザーがシステムやコンピューティングの存在をなるべく感じないですむような方向へと進化しています。目に見えるUIさえなくしてしまおうという「ゼロUI」という概念もあるほどです。これは正しい進化なのですが、しかし介在するシステムが滑らかになってしまうと、同時に「世界」との感覚も滑らかになってしまって、「世界」の実感が乏しくなるという問題も起きてきます。

たとえば自動車の運転を考えるとわかりやすい。今のクルマは電気信号で駆動輪とステアリングを結んでいるので、作ろうと思えばゲーム機のジョイスティックのようにまったく重さも引っかかりもない操作感を実現することは可能です。しかしそれだとタイヤがどのぐらい道路面にグリップし、ブレーキの踏み込みに駆動輪がどう抵抗しているのかという皮膚感覚を持つことができません。そこでステアリングへの反発を意図的に生み出し、擬似的な「車輪が路面をグリップしている感覚」を伝え、ドライバーが摩擦を感じることができるようにしています。

「没入」だけではなく、「摩擦」も必要

情報通信にも、このような摩擦の感覚だという話を、私は一昨年暮れに出した著書「時間とテクノロジー」(光文社)で書きました。「世界につながる感覚は、世界と一体化することではないということです。常にそこには摩擦という壁があり、その壁を障壁と感じずに、気持ち良いと感じるかどうかが大切なのです」


 このような摩擦のテクノロジーも少しずつ進化してきています。たとえばいまわたしが使っているアップルのMacBookProのトラックパッドには、フォースフィードバックが採用されています。トラックパッドは物理的に動かないのですが、裏側に振動モーターが設置されていて、指がトラックパッドの表面にタッチすると反応して振動し、押した感覚を擬似的に生み出しているのです。

 これが進化すれば、スマホのソフトウェアキーボードにも「タイプした感覚」を実現できるようになるかもしれません。気持ちよく入力できそうです。

Apple Pencilにはもっと摩擦がほしい

 現行のApple Pencilも、もう少し摩擦がほしいなと思います。万年筆や鉛筆などで紙に文字を書くとき、私たちはペン先が紙をひっかく摩擦を感じ、これが文字を書くことの気持ちよさを生み出しています。あまりにも引っかかりが強いと書きにくいのですが、逆にApple Pencilのようなスタイラスは引っかかりがなさすぎて物足りない。ここに鉛筆と紙の摩擦のような感覚が実現すれば、さらに素晴らしい手書きデバイスになるでしょう。

 大事なポイントは、「世界」との間に摩擦感を実現することです。ユーザーとシステムの間には摩擦は必要なく、なめらかに没入した一体感がある方が良い。人間とシステムの間の摩擦はたいていの場合は使いづらさにつながり、不快なだけだから。そうではなく、ユーザーの身体の延長として統合されたシステムがあり、そのシステムと「世界」との間に摩擦があると、私たちはその摩擦を気持ちよく感じることができるのです。


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