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「破壊の学校」で「未来」と「軸」について考えましたよという話

(トップ写真は本田正浩さん撮影)


どうもこんばんは、uni'que若宮です。


もう気づけば先週(遠い目)のことですが、奥田浩美さん主催の「破壊の学校」に参加してきました。

「破壊」…名前からしてヤヴァイ感じがしますが、まじでヤヴァくって、色々と破壊されてきました。

こちらが募集時の趣意説明。

Society 5.0時代の「人間」を考えるワークショップ
Society5.0の時代、技術によって、新しいサービスが次々と創出され、人々に幸せや豊かさをもたらしていくと言われています。しかしながら、大きく変化している今の時代の「幸せ」や「豊かさ」とは何かを今の時代に合わせて考えてみたことはありますか。
人類がこれまで経験したことのない急激な社会変化を前に、今の時代とこれから訪れる未来の「豊かさ」について語りあってみませんか。
集まる場所は限界集落を多く抱える町、鹿児島県肝付(きもつき)町です。沢山の社会課題を抱え、集落の限界を迎えつつも豊かに日々を過ごす人々に触れながら、社会と自分について考えてみましょう。
「テクノロジーの社会実装」という言葉が広がる今、実装の前に社会が求めるものは何なのかを追求する旅、課題の現場に身を置く旅をぜひご一緒に。
そこには、これまでの価値観や行動様式を「破壊」する何かがあるはずです。
運営:株式会社たからのやま


これは場違いなところに来てしまったぞ…

「破壊の学校」は8/23-24の1泊2日だったのですが、前日に肝付町で奥田浩美さんの講演があるというので8/22に鹿児島入りしました。

空港からバスを乗り継ぎ、肝付町文化センターにつきました。一番最初の感想、それは…


これは場違いなところに来てしまったぞ…


会場にはお年寄りがたくさんいて、講演内容も高齢化した肝付町の取り組みの話。「福祉とかそういうやつやな。。。」そう思いました。

僕はいちおう、ファッションテック系のITベンチャーの代表をしています。まあ自分で言うのもあれですが、なんていうか、オサレで最先端な感じのアレなんですね。

そんな僕にとって、「福祉」というのは、正直に言うと「大事だとは分かっているけど、あんまり興味がないもの」でした。「いつかは向き合わなければいけないだろうが、かっこよくないし、今はあまり考えたくもないもの」、それが福祉でした。

そしてもしかしたらそういう引け目を持っているからなのか、福祉に触れると「道徳的ななにか」「共感し、自分もなにかしなければならない」という「24時間テレビ的なプレッシャー」を感じてしまい、いつも自己嫌悪を感じるのでした。

そういう居心地の悪さを感じつつ、肝付町役場の能勢さんからの地元の取り組みについての講演で、お年寄りが「サロン」というコミュニティをつくってサークルに活動し、「生きがい」を感じながら暮らしていること、障害者も含めて社会参画できている、ということを知りました。


「未来」ってなんだ?

続く奥田さんの講演では、最初に「未来」という言葉が出ました。

僕は少しホッとしました。スタートアップというのはやはり「未来」のことを語らなければ。ここからAIやらブロックチェーンやらロボティクスやら、めくるめく未来のハイテクノロジーの話が展開されるのだな!

それにしてもこの、自分の地元(青森)の公民館のような、半数以上が高齢者の場所のなにが「未来」なのか。

その「未来」をこちらのスライドが示していました。

奥田さんは2010年ころから肝付町に通っているらしいのですが、その頃の人口分布は2030年の日本の人口分布とほぼ同じ形なのです。

僕がその時いた「自分の地元の公民館のような、半数以上が高齢者の場所」は、紛れもなく日本の「未来」でした。僕らの暮らす社会は、ほぼ間違いなく、あと数十年で肝付町のようになるのです。

起業家は、「未来」を考えます。そしてそこで語られる「未来」とは、ほとんどが「未来的なテクノロジー」のことです。なんというか、ぴかぴかで、流線型で。それが相変わらず「未来」という言葉で僕たちが考えてしまいがちなものです。

しかし、そこにある「未来」はもっとざらざら・しわしわしていて、生きるということに近く、体温と手触りのあるアナログなものでした。それは僕らがいつも思う「未来」とはちがう軸の「未来」。

僕は奥田さんの講演を聞きながら、若林恵さんの「さよなら未来」を思い出していました。

未来というのは、なんと20世紀的なコンセプトなんだろう。そして、ここに、もれなく貼り付いてくるテクノロジーということばの、なんと「近代」なことだろう。で、このふたつは、なんでこうまで自動的にワンセットなんだろう。未来を考える、即、テクノロジーを考える。日本では、ことさらそうだ。テクノロジーがもたらす輝かしい未来。って、それ、1970年のコンセプトだろう。そんな未来、とっくに終わってるぞ。と、いくら言っても効き目はない。多くの人、そして企業は、いまだ50年前の思考回路のなかでぼんやり黄昏れている。1964年の亡霊なぞも引っ張り出しながら。


「ソリューション」ってなんだ?

「未来」のギャップにぐらぐらしながらも、翌日から「破壊の学校」が始まりました。

鹿児島県に行くならどうしても大好きな居酒屋「よか晩017」(焼酎と料理が鬼のように美味い)に寄りたかったので、肝付町からフェリーで鹿児島市に渡り市内に泊まりました。そして翌朝、例によってバス停を間違えてバスに乗り遅れるトラップ(単なる計画性のなさ)ニモマケズ、なんとかフェリーにのり、集合場所についたので天才。

そこからバスで肝付町の見学に向かいます。参加者がここで初めて集合したのですが、なんと15人中女性14人。しかも、なんというかあくの強…じゃないパワフルな女性ばかりで、僕は人見知りを2000%発動しましたよね。


最初のバスの行き先は肝付町の「くらしの保健室」。

ここには地域のお年寄りが週に一回集まり、一緒に何かをつくったり、歌を歌ったりします。驚いたのは齢90にもなろうかというお年寄りが手押し車を自作して、自分で歩いて通っていること。そしてなによりみんなとても生き生きとしていること。

とか書くとやっぱり道徳の授業みたいな感じが出てきてしまうのですが、本当にお年寄りのみなさんの笑顔がすごいのです。僕こんな笑顔ここ30年くらいしたことないぞ。なんだろうこれは。

みんなは週に一回そこにいくのを心底たのしみにしていて、台風で施設が開けられず一週空いてしまうとクレームがくるらしい笑。

僕の祖母も亡くなる前、デイサービスみたいなところに行っていて、絵を描いたり書道をしたり、唄を歌ったりなどしていました。でも、それとはなんか違う。祖母はデイサービスの送迎のバスを、ここまで楽しみにはしていなかったように思います。

現地でその屈託のない笑顔を見て、本当に楽しそうに湧くその空気を一緒に感じながら、僕はその秘密が「してあげない」ことなんだと気付きました。

肝付町では、彼女たち(奇しくも「くらしの保健室」も男女比が14:1くらいでしたが)に、町が「なにかしてあげる」わけではないのです。

みなさんは自分の力で「くらしの保健室」に通い、自分たちでやることを決めます。祖母が通っていたデイサービスでは送り迎えもしてくれるし、プログラムも組まれていますから、それに比べれば、ある意味「不親切」です。

しかしどうもこの「不親切」が、彼女たちの生きがいにつながっているようなのです。


一つ象徴的な話を聞きました。数年前、肝付町にロボットの「ペッパー」が来たときのこと。ロボットベンチャーが色々とプログラムを考えアプリケーションを準備してきたのに、いざ当日、ペッパーがまったく動かなかったのだそうです。

ロボットがくるというので集められたお年寄りたち。動かないペッパー。

しばらくピクリとも動かないペッパーを囲むうちに、徐々に不思議なことが起こりました。お年寄りたちがみんなペッパーの身体をさすりながら「がんばれがんばれ、ほれがんばれ!」とペッパーに声をかけ始めたのだそうです。結果としてこの日のイベントはとても盛り上がり、この日参加した認知症のおばあさんは、いつにもなく記憶がとてもしっかりしていたといいます。


僕たちは「ソリューション」を考えます。ニーズを探し、それを叶えるソリューションを。

デイサービスのプログラムも、ペッパーのプログラムも、お年寄りを「助けよう」という思いでつくられます。しかし実際には、「なにかしてあげる」ことよりも、自分たちの力で誰かのために帽子や料理をつくってもてなしたり、動かないペッパーを応援したり、という方がよほどその人達を生き生きとさせていました。


僕たちは「ソリューション」を考えます。

誰かのニーズを、ペインを解消するために「なにかしてあげる」事を考え続けています。でももしかすると「してあげない」ことの方が相手にとっていいことかもしれない。僕がおもってきたのとはちがう軸のソリューションが、そこにはありました。


「ユーザビリティ」ってなんだ?

「くらしの保健室」を後にして、限界集落に近い村まで行き、そのさらに先にある限界集落になった村の話を帰り道で伺いました。最年少が74歳、最高齢は94歳、いま集落には、実質6人しかいないのだといいます。

肝付町の広さは300平方キロ、東京23区の半分ほども広さがあるのに人口は1万5千人程度しかいません。東京23区に900万人もの人が住んでいることを考えると人口密度はなんと300分の1(!)。

近隣や家族ともそれなりに距離があるわけです。そこで一時期、テレビ電話が導入されました。テレビ電話をつかって、遠くの村にいるお年寄りは家族と話すことができた。しかし、今は使われていないといいます。

なぜか?当時メインで使っていた方がいなくなってしまったこともありますが、OSが古くなってしまったり、部品がなくなってしまったりしてつかえなくなってしまったらしいのです。

肝付町役場の能勢さんはいいます。

アップデートもいいけれど、10年使えるテクノロジーがほしい。


IT業界にいる僕らは、ユーザビリティのために、日々改善を続けます。頻繁にアプリケーションをアップデートし、ユーザーに少しでも使いやすくする。そしてその速さこそ、価値だと信じています。しかし、速いアップデートが、ユーザーを置き去りにし、「ユーザビリティ(ユーザーが使えること)」自体をその根本から消し去ってしまうことがあるのです。肝付町では、ユーザビリティの軸もまた、今まで思っていたものとはちがっていました。


「押し付け」ず、待つこと。そして見届けること。

限界集落となっている地域では、おそらくいずれ、集落の存続が難しくなるでしょう。肝付町自体、さらに高齢化が進んでいきます。

「肝付町の取り組みは素晴らしい。だからこそこのまま終わってほしくないし、もっと広く推進してほしい」

2日目の朝、参加者からはそんな声が出ました。肝付町は、実際に訪問するまで想像もしなかった高齢化した社会で、想像もできないほど幸せにくらしています。しかしもちろん、そこでの生活は楽なことばかりではないでしょうし、そこには沢山の「ハードシングス」があるはずです。昨日まで一緒に楽しんでいた友人を見送ることもあれば、昨日まで楽しみに通った道を歩くことすらできなくなるひともいるでしょう。そしてそれは、病院まで何時間もかかる場所でのことなのです。


「なんとかしたい!」「もっとこうできるはず!」外から来た僕らは、ついそこに課題を見出し、解決策を考えてしまいがちです。しかし、いくらそれが合理的な「ソリューション」にみえようと、そこに暮らす人達が本当にそう望まなければ、なんにもなりません。むしろ「してあげない」ことの方がよいかもしれない。

「ソリューション」は時に短期的です。こうした方がいいよ、と思いついたからといって焦ってしまうとそれは「押しつけ」になってしまいます。

肝付町の取り組み、そして奥田さんの関わりは、焦らず、じっくりと進められています。それはむしろ、もっともっと進めたいけれども我慢して時を待っているようにも見えます。そしてそういう町だからこそ、長い取り組みがこうやって徐々に僕たちのような人を「引きつけ」始めているのです。


それはある種の「覚悟」ではないか、と僕は思いました。


ITベンチャーをしていると、「フルコミット」とか「爆速」とか、とにかく全速力で進むことが「覚悟」だと思ってしまいがちです。しかし、何かを変えようとすることは時として「押し付け」になってしまうかもしれない。それは提供者のエゴかもしれない。変えたくても焦らない、という「覚悟」もまたある。

そしてそれは、「終わり」を見届ける覚悟かもしれないのです。


僕は僕の軸で生きる

「破壊の学校」では本当にいろいろなことを感じました。

そもそも、「破壊の学校」に参加してみよう、とおもったのは、恥ずかしながら日頃ITベンチャーとして「走って」いることになにかもやもやを感じていたからです。

最近アート・シンキングについて考えているのもあり、特にアート界隈の人と話すとき、そういう「もやもや」を感じていました。

ビジネスチャンスをさがし、テクノロジーをつかってニーズを創出し、速く、大きく、というレースを走る。でもアートをしているひとと話すと、たびたび「速く、大きく」なるのがいいことなのか分からなくなります。そういう価値観では彼らは生きていないので、「速く、大きく」という話をしている事自体がなんかちょっと恥ずかしい。そういうもやもやを抱えて「破壊の学校」に参加したわけです。

そしてそこで出会ったのは、思っていたのとは全く別の軸の、「未来」や「ソリューション」や「ユーザビリティ」でした。僕は改めて思いました。僕らは間違ったことをやっているのか?


最終日、奥田さんはこう言いました。

「肝付町に何ができるか、を考えなくていい。肝付町に何ができるか、といったら私も何も出来ません。
そうではなくて、”肝付町を知って、なにができるか”を考えましょう。」


この言葉によって、僕はなにかすっと楽になりました。

僕はいま、ITベンチャーを経営しています。トレンドを読み、ビジネスチャンスを考え、テクノロジーを使ってソリューションを提供し、利益を得ます。また同時にこれが本当にやるべきことなのか、もっと日本や地球や真理や、のために、すべきことがあるのではないか、といつももやもやしながら、走っています。

おなじ日本には、高齢化し、やがて消えてしまいそうな集落があり、そこでは要介護のはずのお年寄りが満面の笑みで過ごしていたりします。そしてもしかするとそれは日本の「未来」かもしれません。


とはいえ。

僕たちは、肝付町に暮らしてはいません。僕たちは結局、自分ができることしかできないのです。


僕はどうもいろいろと悩みがちです。

世の中は思うほど単純ではありませんし、いろいろ難しいことがあります。

奥田さんや能勢さんや肝付町のお年寄りのような、ピュアな太陽のような笑顔に出会うと、自分の打算的な性格を思ってしまいます。「福祉」を頑張っている人をみると、そういうものを見てこなかった自分の視野の狭さを考えてしまいます。

一方で、スタートアップ業界で全力で走り成長していく同志にもおなじような引け目を感じることもあります。なにをうちうちしているのかと。もっと全力でやりきらなきゃ、と。


でも、「ま、いっか」。色んな価値観が、色んな軸があっていいのです。「未来」は高齢者の社会かもしれないし、ぴかぴかした流線型かもしれない。悲しさに満ちているかもしれないし、笑顔に満ちているかもしれない。「イノベーション」の軸は、実はたくさんある。

そこに正も誤も、善も悪も、有も劣もない。

つまるところ僕は、こんな風にうちうちと考えてしまうのですし、それが自分です。

「肝付になにができるか、ではなく、肝付を知ってなにができるか。」

肝付町という異質な世界と出会い、”もやもや”はなくなるどころかもっと増えて帰ってきました


「ITスタートアップなんてやってていいのか」と思う5秒後には「もっと会社を成長させなきゃ」と思います。「福祉のこともっと考えなきゃ」とか「お年寄りには優しくしなきゃ」とか思う2秒後には「本心で思ってる?」とか「結局言い訳ばっかじゃん」と思う。


でも、そういう、悩みをもっているのも自分。どれがいいとか、どうあらねば、じゃなく、自分ができることを自分の軸で、するしかない。


「なにか変えなきゃ!しなきゃ!」ととかく焦りがちな僕が、今回「破壊の学校」で「破壊」した一番大きなものは「自己嫌悪」だったのかもしれません。

もやもやと、肯定と、を持ち帰った「破壊の学校」でした。

amor fati!


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