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オフィスはなくならない、それは「編み物」になる。 〜「編み物としての建築」論序説


お疲れさまです。uni'que若宮です。

緊急事態宣言が解除となった地域もありますが、引き続きリモートワークの方もけっこういらっしゃいますでしょうか。

この、過去に例をみないリモートワーク化の時代に、今日は改めて、post/withコロナ時代の「オフィス」ってやつのあり方について書いてみたいと思います。


オフィスは不要か?もしくは大きくなるのか?小さくなるのか?

御存知の通り、コロナ禍によって、これまでリモートワークには消極的だった企業でもリモートワークが急激に推進されました。

リモートワークメインとまでいかずとも「仕事の半分くらいはリモートでOK」になると、改めて見直されるのが「オフィス」の価値です。単に「あんま使わない」のみならず、コロナ禍のような不測の事態(震災もそうですが)で売上減があると「固定費」は経営を圧迫するので、オフィス不要論も出てきます。

とはいえ、オフィスを完全になくすのはなかなか難しい。リモートワーク経営の第一人者であり尊敬する友人・倉貫さんのソニックガーデンでは完全リモートワークになるまで、10年試行錯誤したといいます。(「リモートワーク」のメリット・デメリット、そして工夫についてとても参考になるのでぜひブログをぜひ読んでみて下さい。「評価ゼロ」など組織のフラット化でも先駆者のとてもおもしろい会社です)


弊社uni'queも、もともと出社という概念がないので、コロナ禍で働き方にほとんど変化がありませんでした。こういう非常時には「リモートファースト」だとたしかに強いです。とはいえ、平時にはまだまだ悩みや難しさがあるのも事実。リアルで集まらずに(さらに複業だと時間も合わないので)一体感やマインドシェアを保つ、のがなかなか大変で、日々悩みながら工夫を続けています。


リアルに集まるのには時間もお金もかかるけれど、やっぱり対面のパワーは強い。「5億の商談決まったぜ、Zoomで」とか「今日は腹割って話そうぜ、Meetで」とか、重い話もオンラインに代替というのはなかなか難しいでしょう。なのでオフィスはきっとなくならないと思います。しかし変化はおこるはず。それは、どのような変化でしょうか?


↓の記事で興味深いのが、post/withコロナのオフィスのあり方について一見反対の見通しが語られていることです。


一つは、post/withコロナにはオフィスは縮小する、という見方。

スタートアップのオフィス移転を仲介するヒトカラメディア(東京・目黒)によると、常時扱う100件程度の案件のうち、オフィス縮小の依頼が半数近くを占めるようになった。
2019年までは増床移転の依頼が9割強を占めていた。潮目が変わったのは、新型コロナの流行で外出自粛の動きが広がった3月下旬という。田久保博樹取締役は「新型コロナの収束後も、従業員の人数分のオフィスを確保する企業は減る」とみる。(※強調は引用者)

オフィス仲介メインの不動産業を営む生の意見としてとても説得力があります。そしておそらく、「オフィスは小さくなり、減る」という意見の方が多数派でしょう。


しかし一方で、世界のあの人は真逆の見解を示しています。

グーグルのエリック・シュミット元最高経営責任者(CEO)は10日に出演した米テレビ番組で「(今後は)社員が距離をとって働く必要性が高まり、必要なオフィスの面積はむしろ広くなる」との見方を示した。(※強調は引用者)

一体、どちらが正しいのでしょうか。


オフィスは小さく、そして大きくなる。

僕の見解はというと「両者とも正しい」と思っています。

え、矛盾してねえ?と思われるかもしれませんが、それでは聴いて下さい。

「全員複業」で3年ほど経営をしてきて、オフィスは以前のように固定的なものではなくなる実感があります。少なくとも「全員が一箇所に」集まるものではなくなる。この意味でヒトカラメディアさんの見解は正しく、一拠点ずつのオフィスサイズは小さくなるでしょう。

一方で、after/withコロナの世界では、E・シュミットパイセンのいうように、「小さいオフィス」といってもそこに「ぎゅうぎゅう」に集まりはしないでしょう。

つまりこれまで以上に(自宅も含め)拠点は分散化し、「複数の小さな拠点に入れ代わり立ち代わり人が出入りする、しかし接続された状態」が「オフィス」呼ばれることになるのです。

たとえば、仙台に2人、港区に3人が二箇所、大田区に1人、九州に1人、LAに5人、しかも時間帯で入れ替わり、といった感じです。コロナ禍で先鋭化しましたがが、出勤時の都市間移動にかなりのリスクを伴うとしたら、都市間の距離そのものがソーシャルディスタンスだということもできます。

そう考えるとシュミットパイセンのいう、

社員が距離をとって働く必要性が高まり、必要なオフィスの面積はむしろ広くなる

というのは、一つながりの空間のことに限りません。考えようによっては仙台からLAまでの巨大なオフィスになるわけです。(そしてもちろん、この「編み物」化には「網(net)」の力が一役買っています)


オフィスは「箱」から「編み物」になる

「全員複業」経営をしてきて、これからオフィス(そして組織)は「編み物」になる、と最近言っているのですが、オフィスは以前のように固定的なものではなくなると僕は考えています。少なくとも全員が「一箇所」に集まるようなものではなくなる。この意味でヒトカラメディアさんの見解は正しく、一拠点ずつのオフィスサイズは小さくなるでしょう。

WeWorkをはじめコワーキングスペースも増えたんだしそりゃそうだよ、リモートオフィスのコンセプトなんて別に新しくないじゃん、と思われるかもしれないのですが、「編み物としてのオフィス」をちゃんと考えると、いくつか見過ごされていた重要なことに気づきます。


それは、

1)編み目が必要である
2)伸び縮みする
3)ほどいて編み直せる

ということです。


まず一点目、1)編み目が必要である。これ故に、僕は物理オフィスも不要にはならない、と考えています。コロナがちゃんと終息するのか日常化するかはわかりませんが、沈静化すると今の「全員が疎」な状態ではなくなるでしょう。濃淡はありますが人は必ずどこかに結節点をつくるはず。安宅さんの「開疎化」はその通りだと思いますが、とはいえ「一様に疎」にはならないとおもうのです。糸を間隔を空けて並べただけでは「編み物」がほどけてしまうように、要所にはきゅっと「編み目」が必要です。オフィスや組織の設計において、「編み目」という考え方がより大事になってくるでしょう。

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二点目に、2)伸び縮みするということ。これも重要です。「編み物」というのは箱とはちがい、伸縮するのが利点です。「ニット」は身体や動きにフィットして変化します(その分体型が出るのでぜい肉がバレます)。

ここで勘違いしてはいけないのが、伸縮するけれどもゴムとはちがう、という点です。素材そのものが伸縮しているわけではなく、片方を引っ張ればどこかが縮みます。オフィスや組織においても、全てが均一に離れるわけではなく、あっちを引っ張ればこっちが縮み、と、動的にその距離や重心が変わるのです。そのような「動的な間隔の感覚」が経営者には求められるでしょう。


そして最後に「編み物」には、3)ほどいて編み直せるという特徴があります。勿論「箱」だって壊してつくることはできるのですが、建築的にはこれはけっこう大変です。

「編み物」もやり直すのは大変でしょうが、「壊す」というより「ほどく」という感覚ですし、部分的にやり直したり編み足したりが可能です。そんな風に、オフィスにも集合離散するプロジェクト的な柔軟性が求められてくるでしょう。(とはいえ、編み物も一回編むと癖がつくのでゼロクリアされるわけではありませんが)

鶏か卵かはありますが、オフィスのあり方が変化すると、事業のあり方や働き方も「編み物」のようになっていくでしょう。これまでは「企業の成長=箱が大きくなること」であってオフィスを大きいところに移転すると胡蝶蘭が沢山送られてきたものですが、これからは、成長するから大きくなるとは限らず、その時々で集まったり離れたりしながら重心を調整し、ほどいたり紡いだりと変化するものになっていくでしょう。


無重力化する社会

僕が考えるに、これは実は、労働や企業の価値観パラダイムシフトとも関連しています。

以前何度か「働き方」文脈で書いたことがあるのですが、僕は「働く」の価値はこれから「無重力化する」とおもっています。


そうすると、宇宙っぽくなる。(宇宙好き)

宇宙では「重力」はなく、星と星が「引力」っていう糸でつながっているわけですが、その結果つくられた「宇宙の大規模構造」ってば、まさに「編み物」みたいなんですよね。


そう思うと、そもそも「箱」っていう概念の方がそもそも地球的・人間的な(不自然な?)もので、「編み物」のほうが自然なあり方な感じもしてきませんか?してきましたよね。宇宙には「箱」はないんです。


「編み物としての建築」

僕がこういう構想をもったのは、実は「オフィス」についてだけのことではありません。「建築」そのものが「編み物」になっていくのでは、と考えているのです。

賢明な読者の諸君は覚えているかもですが、僕はもともと建築の人です。しかしどうも建築に馴染めなくて、気づけばふわふわと(ソフトな)ITの人になっていました。

でもいまも結構、ITとか事業つくるのって「建築アタマ」使ってる感じがするんですね。エスキスっぽい感覚とかもそうですし、webアプリケーションも「設計」とか「アーキテクチャー」とかいいますし。

じゃあ、そのちがいは何かっていうと、これはずっとあった違和感に通じるのですが、「建築」は「箱をつくる」ことにこだわりすぎているのではないか、っておもうんです。

以前↓の記事でも「タンジブルなものを「建てる」というパラダイムからのシフト」という文章を書いたのですが、

建築家は「箱」をつくることからもう少し自由になってもいいのではないか、と実はずっと思っているんです。

XRや「あつ森」など、「ヴァーチュアルな場(ヴァ)のヴァリュー」(WIRED風)の重要性は上がってきています。そしてこれから先、人口が激減してくる日本では、明らかに「箱」は余り始めます。そういう時代に、建築家がすべきことは、「新しい箱」をつくることだけではなく、「既存の箱」の関係の結び直しやその「編み目」の設計なのではないでしょうか。

すこし前に「リノベーション」という言葉が流行りましたが、「リノベ」すら必要ないかもしれません。建物はまったくそのまま、時々で結び、ほどき、また編み直す、そんな建築こそこれから面白いのではないかとおもうのです。


(もはややれるんだかどうだかわかりませんが)「東京オリンピック」が「コンパクト」なオリンピックとかいいながら、ウン千億も出して、やっぱり中途半端な国立競技場をつくったりしたのをみると、そういう想いを強くします。(ザハと関係なくなってしまったあれを建築界の人たちはどうおもってるのでしょうか)

(象徴性を求めるわけでもないなら)わざわざそんなでかい箱つくらず、というより、なにも新しい建物をつくらずに出場者や観客を中継で結んで新しいオリンピックをやってのけたら、よほど「クールジャパン」だったのになあ。


ここでもまた感じたんですね、昔っから思っていた違和感。「建築」って建てなきゃだめなの??それだけが命題なの???


僕は3年後くらいにまた建築に戻る気もしているのですが、いわゆるハードをつくる建築には興味がなく、「建てない建築」とか「見立ての建築」と呼んでいるソフトな建築をしたいとおもっています。それは言い換えるなら、建築を「編み物」にしたい、ということかもしれません。

そういう「建築」って今は亜流でしょうが、楽しそうな気がしませんか?きっと楽しいのでいっしょに「編み出す」実験をしてくれる街や企業があったらぜひご連絡下さいませませ

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