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働くことの本質

今年4月から働き方改革関連法が適用された。人手不足の中、企業にとって残業を減らし現場の生産性を上げることが喫緊の課題となっている。

短期的には確かに正しい方向性だが、長期的には、人工知能(AI)とデジタル化によって、雇用の需要は減る方向にある。また、絶対数以上に雇用の「中味」が大きく変化することの社会への影響は計り知れない。

2019年5月30日の日経経済教室記事が指摘するように、社会の基盤となる中間所得層を支える事務職やホワイトカラー中間層の雇用機会が大きく減る。その代わり、自動化されにくい肉体労働やギグエコノミーを担う低所得層が増えることが予想される。

実際、米国では、ハイテク企業を中心に一握りの企業幹部層に富が集中し、一般従業員の「使い捨て」は激しくなる一方。ギグエコノミーで成功する会社がIPO長者を生み出す裏側で、ギグでかつかつの生活しかできない新しい貧困層が生まれている。その結果、中間所得層が細り、不満は米国社会の分断に拍車をかけた。

すなわち、日本人が「ブラック企業、やだな~。ワークライフバランスが大切だよね」と暢気に思っている足元から、確実に「ワーク」自体が蒸発しているのだ。ワークがなければ、ワークライフバランスどころの話ではない。

AI活用、デジタル化を推し進めることで、大多数のひとが不幸になるのならば、本末転倒だろう。足元の「残業撲滅、ワークライフバランス向上」にまい進するだけではなく、長期的に日本に住むひとがどんな「ワーク」に従事し、その結果、充実した「ライフ」を送るのかというビジョンが必要だ。

そもそも、働くことの意味は何だろう?憲法第27条によると、勤労は国民の義務である。義務と言われれば反発したくなるのが人情だが、実際、働くことは1.賃金を得て(すなわち生活を可能にして)、さらに、2.生きがいをもたらし(ひとの役に立ち、同時に自分を高め、他者に認められて)、しかも、3.生活に規範を与える(朝起きてするべきことがある、必然的に他人とかかわる)という、なんとも大きなメリットの得難い組み合わせと言える。

製造業を中心とした経済では、製造現場に雇用が生まれ、多くの日本人が3つのメリットを当たり前に享受できた。その結果、日本経済がますます発展するというめでたいストーリーが描けた。

これからはどうか?製造業は既に自動化が進んでいる。今後、短期的なホワイトカラーのひっ迫がAIとデジタル化によって解消したとたん、3つのメリットを満たすような職が極端に減ってしまう。

中間所得を支える「ワーク」不足の救世主として登場するのが、ベーシックインカムである。確かにベーシックインカムは1.賃金のメリットを保証する。その反面、2. 生きがいや 3. 規範は与えてくれない。確かに、中には趣味を生きがいとし、自律によって生活に規範を持つひともいるだろう。しかし、ごく少数派ではないか?多くの場合、趣味や余暇は「仕事あっての」楽しみではないか?ベーシックインカムにより貧困層からは一歩抜け出ていても、生きがいや生活の枠組みを奪われたライフを送るひとが多い国が、果たして日本の目指す未来だろうか?

実は、ベーシックインカムだけが「ワーク」不足を解消する解ではない。もう一つの解は、減った分だけ新しく中間所得層を生み出すような雇用を作ることだ。AIの進化とデジタル化は世界の不可逆な流れで、日本だけが背を向けることはできない。

であれば、雇用の源泉は製造業や従来の中間管理職ではなく、サービス業が残る。単純な肉体労働ではなく、機械に置き換えられないような頭の使いかたが必要なサービス業の雇用を増やしてこそ、日本の中間所得層が守られると考える。もちろん企業は従業員に投資し、「使い捨て」にしないことが肝心だ。

日本でも起業が肯定的に語られるようになってきた。必ずしもAIやプラットフォーマーだけが起業の対象ではない。生活をよりよくするサービス業での起業が増えれば、中間所得層とサービスを享受する消費者の両方を生む好循環が生まれる。

政府は働き方改革を進め、AI人材の育成に本腰を入れようとしている。その一方で、長期的なビジョンの議論が足りているようには思えない。将来的に質、量が伴う「ワーク」とは何かを定義し、そしてそれを担保するような政策を打つことが求められる。


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