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ポリアモリーは恋人を共有する。

夫婦は2人で1つ。

そんな美談をよく耳にする。
確かに一般的に結婚をすると、2人で1つを共有することは多い。

「居住空間」を共有するのが夫婦。
「財産」を共有するのが夫婦。
「苗字」を共有するのが夫婦。

それが一般的な夫婦像だろう。

ただ「夫婦は2人で1つ」という考えは、
「恋人は1対1」という価値観の延長線上にある。
では複数との関係をベースとするポリアモリーの場合はどうなるのか?

今日はそんな話。

ポリアモリーとはお互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。対義語はモノアモリー。過去のシリーズはこちら。

◾️友情があれば、結婚はいらない? 

結婚すれば喜びは倍になって、
悲しみは半分になる。

これもまたよく語られる美談だ。

今や結婚式での常套句のように使われるこのセリフ、
元々は結婚ではなく、友情のことを表現したドイツの詩人シラーの言葉だ。

「友情は喜びを倍にして、悲しみを半分にする」

これがいつしか「2人で1つ」と言われる夫婦関係と結びついて、
結婚特有の素晴らしさのように語られるようになった(と考えられる)。 

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つまり喜びが倍になって、悲しみが半分になるのは結婚特有のメリットではなく、友情関係があれば享受できるメリットだ。

では結婚特有の共有メリットとはなんだろうか。

それが

「居住空間」を共有できること
「財産」を共有できること
「苗字」を共有できること

だろうか。

結婚が弱者を救うこと、もしくはどちらか一方に寄りかかることを前提にしているならわかる。

どちらか一方は居住空間が広くなり財産が増え相手の苗字を使えるようになるのだから。

しかし結婚が対等の関係を前提にするなら、これらの「共有」はどれもデメリットが多く見えてしまう。

別れる時だって大変だ。別居も、財産分与も、せっかく変更した苗字を戻すのにも(僕の経験上も)かなりの手間がかかる。

◾️️結婚の共有メリット「独占」

結婚の共有メリットがあるとすれば、それは「独占が公的に保証される」ことだろう。

結婚相手と共有している住居も財産も苗字も、突然誰かに奪われることはなく、自分だけが享受できる権利として公に保証される。

これは恋人関係で保証されることは(基本的に)ないので、結婚の共有メリットと言える。

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よって「相手と居住空間、財産、苗字を共有したい」と考える人には結婚の共有メリットがある。

逆に「好きな相手とでも居住空間、財産、苗字は共有したくない」と考える人に結婚の共有メリットはない。

それ以外の共有メリットである喜びを倍にして、悲しみを半分にするという事象は友情関係さえベースにあれば代替可能なのだから。

◾️2人で1つとは、相手の半分を奪うこと

僕はポリアモリーを実践しはじめて2年になる。

ただ、複数との関係を前提にしてもなお、自分の「独占欲」について考えることがある。

この人が「自分のことだけを好きだったらいいのに」、「自分以外の人に一生目向きもしなかったら安心できるのに」そんな気持ちが芽生えそうになることはある。

だけどそのモードになった時はいつも「独占欲のその先」について考える。

「独占欲が満たされる」ということは、自分は満たされる一方で、相手にとっては(本人が許容したとしても)この先の人生における気持ち、行動、所有の制限になる。

そう捉えた時、僕は相手の半分を奪ってしまったような感覚になる。

「2人で1つになろう」と言うと「僕のために自分の半分を殺してくれ」と頼んだような感覚になる。

だから僕はポリアモリーを選択した。

こんな発言はモノアモリー的な価値観からすれば

・2人で1つになる勇気がなかっただけ
・相手の人生の半分に責任を持たなかっただけ
・自分の自由を守りたかっただけ

とツッコミたくなるかもしれない。

モノアモリーとは「恋人関係は1対1」とする現在一般的とされる価値観

実際に言われると耳が痛い気もするが、少しだけ補足をさせてほしい。
おそらくそこには「共有」に対する感覚の変化がある。

僕がモノアモリーの価値観を選択していた時、
相手の一部と同化し合うことによる「共有」が愛の形だった。
しかしポリアモリーの価値観を選択してからそれは
相手の一部を解放し合うことによる「共有」が愛の形に変わった、ということだ。

図にしてみるとこんなイメージだ。

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ポリアモリーというと気ままな自由人というイメージを持たれがちだ。

しかしポリアモリーを選択するとは、常に自分の恋人を他の誰かと共有する可能性を享受しているということ。
それはモノアモリーが「2人で1つになる人生」を選択することと、同じくらい勇気と責任を必要とする選択だと思う。

無関心故の解放ではなく、自分と相手を尊重した上で、その全てを解放する。

少なくとも、僕にとってのポリアモリーはそうでありたいと思う。

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