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成長における目と手の法則

美術系の高校に通っていた10代後半、毎日のようにデッサンをしていました。ヴィーナスやラオコーン、マルスやモリエールなどの石膏像がありました。僕は、ヘルメスの胸像を木炭で描くのが好きでした。

「ああ、なんて俺はうまいのだろう」

そんな風に天狗になっていたことがありました。しかし、数ヶ月もすると、「あれ?」と気付きました。形がとれていない。量感も正しく描けていない。隣の級友の方が写実できている。どんどん自分のアラばかりが見えてきて、描くのが辛くなっていきました。

「こんなにも下手なのに、どうして調子に乗っていたんだろう」と恥ずかしさでいっぱいになりました。

描いても描いても、描いても描いても、自分の至らないところばかりが目につきました。しかし、しつこくしつこく描き続けているうちに、次第に描けるようにようになってきました。見えていたアラが見えなくなって、形もとれるようになってきました。そして、「調子にのる」→「アラが見える」→「苦しむ」→「できるようになる」→「調子に乗る」をくり返しました。

成長は坂道ではなく、階段型なのだと思うのです。坂道を登るようにじわじわと伸びていくのではなく、様々な成長の要素が潜在し、あるときにカチッと結びついて次のステージに一気に上がる感じ。

ただし、目が先に、一段上に行ってしまうのだと思うのです。それゆえに、一段上の目からすると、まだ成長できていない手のアラが目につき、気になります。なんであれができないのか、これができないのか。

この状態は、とてもきついのです。自分で自分のダメなところばかり見えてしまうのですから。何をどうやってもダメな自分にしか見えないのです。ただ、ここでしつこくやり続けると、手が目に追いつきます。次のステージに登ることができます。

成長とは、このくり返しだと思うのです。だから、今でも仕事をしていて、自分のできていないこと、ダメなことばかりが目につき、本当にきついなと思ったときには、上記のデッサンを思い出します。ああ、今、成長の一歩手前なんだ、と。目が先に次のステージに上がったからこそ、ダメな自分に気づけるようになったのだと。

視座が高くなり、その目線に追いつく。その成長の一歩手前のとき、本当に自分がダメに思えるのですが、それは成長痛みたいなものなんだと。そう思って、日々、調子に乗ったり、落ち込んだりしながら、成長し続けられることって幸せなんだと思うのです。

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