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サイバー空間でプロスポーツ選手が競い合う 〜バーチャル版ツール・ド・フランスに見る身体性とデジタル・ツイン~

サイクルファンでなくとも、「ツール・ド・フランス」という単語は聞いたことがあるのではないだろうか。

毎年7月にフランス全土で約20日間にわたって行われる最高峰の自転車ロードレースである。1903年に第1回が開催され、今年開催されれば107回目となる予定である。路上での観客数は1000万人、テレビ中継を入れると30億人が視聴すると言われている世界最大級のスポーツイベントである。

今年は新型コロナウイルスの影響で開催が延期されており、今のところ8月29日に開催される予定だ。しかし、現在のコロナによる影響から、注目すべき大会が開催されている。それがバーチャル版ツール・ド・フランスである。

バーチャル版ツール・ド・フランスとは?

バーチャル版ツール・ド・フランスはZwiftという自転車のバーチャル・サイクリングのプラットフォームを利用して開催される。Zwiftは2014年にカリフォルニアで創業されたZwift社が開発しているが、同社は2019年にFast Company誌の「最もイノベーティブな企業」のスポーツ部門を受賞している。2018年にシリーズB投資を受けており、スタートアップ企業と言っても良いだろう。

このZwift上で、実際のワールドクラスの選手たちが参加して行われるレースが、バーチャル版ツール・ド・フランスである。従来のツール・ド・フランスは全21ステージにわたって行われるが、バーチャル版は7月4日から毎週末2ステージづつ行い、合計6ステージでレースが行われる。なお、本物と遜色ない実況中継が行われており、公式サイトからインターネットで観戦できるほか、J SPORTSでも全ステージ中継されている。

7月4日には男女の第一ステージが行われ、女子はエイプリル・テイシー(イギリス、ドロップスサイクリング)、男子はライアン・ギボンズ(南アフリカ、NTTプロサイクリング)が優勝した。

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(仮想世界Watopiaを進む選手たち。画像は公式サイトより)

身体性に基づくデジタル・ツイン

バーチャル・ツールドフランスの仕組みを理解するためには、Zwiftについて簡単に解説しておく必要があるだろう。Zwiftでは、参加者は実際の自転車を、様々なメーカーから発売されているサイクルトレーナー(通称ローラー台)に設置し、自宅などで自転車を漕ぐことになる。

近年のスポーツ用自転車を取り巻く環境は、実はハイテクの塊となっており、心拍数、ペダルの回転数、スピード、ワット数(どれくらいの力でペダルを回しているか)などをリアルタイムで計測することができる。こうしたセンサーを利用することで、サイクリストがどれくらいの出力で自転車を漕いでいるかをリアルタイムに把握することができる。

一方、Zwiftはサイバー空間内にバーチャルのコースを3Dで構築しており、自分の「アバター」がバーチャルコース内を走ることになる。サイクリストが生み出すワット数をもとに、傾斜や風圧(他のサイクリストの後ろに付いているか)等を考慮して、どれくらいのスピードで走っているかを計算し、画面内に再現する。

さらに、最近は「スマートトレーナー」と呼ばれる負荷装置が普及しつつある。これは、Zwiftのコース内の傾斜によって、負荷が重くなったり軽くなったりするものだ。Zwift内の世界と、自分の足にかかる負荷が相互にインタラクションを行うことで、より実走感を高めている。中には、Zwift内でのスピードに合わせて風の強さが変わる扇風機や、前輪を浮かせて傾斜を再現する機材も登場しており、よりリアルさを追求するイノベーションが続いている。

このZwiftの最大の特徴は、実際の身体的な運動に基づき、それらをサイバー空間上に再現し、そこでユーザー間での競争のような相互作用を行える点にある。さらに、傾斜や風圧など、サイバー空間内での環境をフィジカル空間にフィードバックすることも既に行われている。これは、日本政府が掲げるSociety 5.0で謳われているサイバーとフィジカルの融合であり、スポーツ版のデジタル・ツインだと言えるだろう。

スポーツとテクノロジー分野では「eスポーツ」も注目されているが、通常のeスポーツは、競技そのものに必要な身体性を前提としていないのに対し、Zwiftはあくまでもそれに必要な身体性に立脚したゲームとなっている点に特徴がある。

バーチャルならではのメリット

さて、こうして開幕したバーチャル版ツール・ド・フランスだが、デジタルならではのメリットもある。

例えば、毎年21あるステージの一つを一日だけ、一般参加者がサイクリングできる「エタップ・デュ・ツール」というイベントがあるが、世界中から約9,000人しか参加できず、毎年すぐに参加枠が埋まってしまうそうだ。しかし、バーチャル版ではそのような制約はない。バーチャル版では毎週末、エタップが複数回開催され、選手と同じコースを一斉に走ることができる。

また、データが常に可視化されているため、各選手がどのような出力で漕いでいるのかを、リアルタイムで見ながら楽しむこともできる。

さらに、物理的な落車の心配が無いということもメリットの一つだろう。ツール・ド・フランス級の大レースになると、落車によって大きなケガを負う選手も少なくない。サイバー空間であれば、落車の心配なく競技を行うことができる。

今後の課題

そうはいっても、当然のことながらスポーツ、競技としてのリアルなサイクリングには到底及ばないことも多い。風を切る爽快感、観客の声援、フランス全土を巡る際の各土地の雰囲気など、サイバーでは味わうことができない。また、チームメイトとの連係プレーや戦略性の発揮などにも限界があるかもしれない。選手としては、他の選手と気軽に会話して、「前半は抑えめに行こう」といった相談もしたいところだろう。

おそらく、こうしたバーチャルな競技は、実際のスポーツイベントを代替するものというよりも、オルタナティブとして定着していくのではないだろうか。そして、コロナのような問題があった際には、イベントのレジリエンスとして、バーチャル版のみが開催されるということになるだろう。

一方で、競技として確立していくための最大の課題は、データの信頼性だろう。フィジカル空間で漕いでいるのは本当にその選手なのか、データは改ざんされていないか。そうした信頼が無ければ、競技の面白さが半減してしまう。

今回のバーチャル版ツール・ド・フランスでは、実際に部屋の中で自転車を漕ぐ選手たちの映像も度々映し出された。これは、信頼の問題が競技において重要であることを主催者が良く理解していることを示している。

バーチャル版ツール・ド・フランスの開催は、身体性に立脚したデジタル・ツインがスポーツの分野では既に実装され、競技として成立することを示した。センサー類によるデータ化、サイバー空間での再現、フィジカル空間へのフィードバックなど、他のビジネス領域にも大いに参考になるのではないだろうか。


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東京大学大学院情報学環准教授。既存の枠組みを超えて内部要素を組み替える「デフレーミング」概念をはじめ、ビジネスモデル、イノベーション、産業構造などを研究しています。詳細はhttps://soichirotakagi.wordpress.com/をご覧ください。

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