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ラグジュアリーブランドを再び考えよう

先週、ミラノの大学院でラグジュアリーブランドについて研究し教えている先生と話していて、ラグジュアリーブランドといえばエルメスやLVを語っていれば良い時代は完全に終わったと思いました。それは欧州のラグジュアリーブランドの成功例を中国人の留学生が知って学べることが減ってきた、ということを意味します。

欧州企業の凋落と中国企業の興隆という文脈で言っているのではなく、新しいラグジュアリーブランドのあり方が問われ、それをどう作っていけばよいか、欧州の人たちも必死になって考え試しているからです。大学の研究者が「こうだ」と言えるレベルまで、実践の中身がリサーチされてきていない、とも言えます。まだもっと閉じられた世界で動いている。

1970年代後半に生まれたイタリアのファッションブランドであるブルネッロクチネッリがエルメスと同等のブランド価値があると判断されているとするならば、それはなぜなのか?ウンブリアの田舎の貧しい農民の息子が、貴族や富裕層というイメージなく、一枚20万円以上のカシミアのセーターを売ることでブランドを築けた意味を考える価値があるのです。

もちろんラグジュアリーブランドという概念は19世紀からのものではなく、そのようなカテゴリーを企業自体が戦略的に意識しはじめたのは、ここ半世紀程度のものであり、また、何をもってラグジュアリーと称することがグローバル市場で徹底して定義されているわけでもないです。よく、「それ、ラグジュアリーではなくプレミアムだよね」という意見が出てくるのが、その証です。

しかしながら、かなり明確に言えるのは、モノでラグジュアリーブランドのカテゴリーに入る場合、そのほとんどのブランド拠点がフランスかイタリアに集中していることです。英国にはロールスロイスがあり、スイスの高級時計メーカーがありますが、ドイツに皆がすぐ思いつくブランドはあるだろうか?平等とガラス張りが基本のスカンジナビア諸国においては、少なくても一般に思うコンセプトにおけるラグジュアリーブランドでは、そもそもがラグジュアリーブランドの成立の土壌として馴染まないでしょう。

ここで前回に書いた『「アート寄りにふる」前に考えること』で触れたことを思い起こしてみます。ファインアートは欧州で近世以降に生まれたカテゴリーであり、装飾美術(上の写真は、イタリアのマテーラにある聖堂の天井で、16世紀にシンプルな板に描かれた絵画ですが、これは現代のビジネスでは装飾美術に入るでしょう)や工芸というジャンルが全ての中東やアジア地域とは異なる独自の成長を遂げ、作家だけでなく批評家・美術館・ギャラリー・コレクターが、1つの価値体系と価格体系を作っています。

この価値体系の主導権を握った、あるいは近い存在が新しいラグジュアリーブランドを作りやすいのです。

さて、このファインアートの作品の値段がグローバル市場で青天井なのに対して、装飾美術や工芸の作品はそうなっていない。ごく限られた地域でやや閉鎖的な取引のなかで極めて高い値段がついていたとしても、それがグローバルマーケットのなかで周知の事実というレベルには至っていません。

だからこそ、クラフトを扱う人はクラフトのものを高額で世界に売りたい価値体系をつくりたいと希望するわけですが、そこで「用を足すことを優先しない」ファインアートに近づこうとさせるだけでは不十分で、マーケットを形成するプレイヤー自身を揃えないといけません。

ここで一点、矛盾するトレンドをよくみます。クラフトが一方的にギフト市場に流れがちになる傾向です。そうしたい気持ちが分からないでもないですが、どんどん自分の足をひっぱることに力を費やしているようにも見えるのが気になります。青天井の価格になる市場を作りたいならば、または入りたいならば、デザイナーにギフト的な商品を作ってもらうのは方向が逆でしょう。

最後に。どこのラグジュアリーブランドも、ソーシャルイノベーションを重要テーマに据えていることは知っておいた方が良いです。ラグジュアリーブランドも単なる「旧勢力」と思っていると、大いに勘違いします。

写真はすべて@Frazer McKimmによるものです。

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