江原ニーナ
次なるリーダーシップ像の鍵はauthenticであること?
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次なるリーダーシップ像の鍵はauthenticであること?

江原ニーナ

先月のCOMEMOは"メンタルヘルス"を切り口に、現状や米国などを中心に新たに支持を集めつつある価値観の胎動や新興サービスを紹介した。また、私自身とメンタルヘルスと葛藤については、正直どんな反応があるか予想できず恐る恐る投稿したが、その後多くの方々から直接メッセージなどで共感を示す反応をもらい、書いてよかったと感じている。

わたしが先のnoteを書くきっかけになった大坂氏の告白に対して、日本国内では否定的、あるいはときに差別的な反応さえ見受けられた(こういった反応こそが、メンタルヘルスについての社会的理解の不十分さや議論に進む困難さの何よりの証拠であることは言うまでもない)。だが、考えれば考えるほどに、彼女のあり方はわれわれの価値観に一石を投じるアクションだと感じるようになった。彼女は次のリーダー像であり、スター像だ。今日はそのことについて考えてみたい。

求められるのは完全無欠のスター性(だけ)ではない

これまでのリーダーシップ像は、どちらかといえば、強さ(身体的・精神的さ)や抜群の統率力と、能動的でぐいぐいハイペースな推進力などが軸となり作り出される圧倒的で手の届かないカリスマ性のようなものに近かったと思う。フィクションなどで登場するリーダー像や、国のリーダーにしばし求められる像を想像するとわかりやすいだろう。

これらのリーダーは往々にして、いわゆる"強さ"が前景化し、より人間的な部分(感情を揺さぶられること、不安定であること、自分を大事にすること等)は、ギャップの演出として引き合いに出されることはあれど、しばし後景に退いている。

一方で、次のリーダー像(あるいは次なる"強さ"とも言えるのかもしれない)は、このようなあり方にとどまらないと考える。

前回のnoteでは大坂なおみ選手のアクションを切り口にしたが、もちろん彼女が唯一の旗振り役ではない。

アメリカ体操代表シモーン・バイルス選手は、リオ五輪で金メダル4つと銅メダル1つを獲得し、アメリカ国内で「もっとも偉大な体操選手」とも称される体操界のスーパースターだ。だが、彼女は7月27日に行われた東京五輪体操女子団体決勝を途中棄権しており、その理由を、期待に応えることへのプレッシャーと、自分のメンタルヘルスを守る必要性としている。(Reuters 体操で途中棄権のバイルス、心理学者「発言を称賛すべき」 より)

バイルズ氏は、"... I feel like a lot of athletes speaking up has really helped."(メンタルヘルスの問題で声をあげている選手がいることで勇気付けられている)と語っている。これまでメンタルヘルスが当人の強さ/弱さと結び付けられ、精神的に追い込まれたり一定状態に保てないことは克服すべき欠点だと暗黙的に理解されてきた。翻って、今まさに起こっているのは、弱点だとみなされてきたメンタルヘルスの問題について、オープンに話す空気が徐々に醸成され始め、「実は自分も・・」と連帯が生まれ、ありのままの自分や社会的にネガティブに扱われてきた特性を自分のかけがえのない一部として引き受ける、さらにはそれをポジティブな現象として捉え直していく作業だろう。彼女らを見て育つ世代は、それを「スター像」として受け止める。そうすると、スター/リーダー像には地殻変動が起こるのはないだろうか。

アメリカの人気アニメ局カートゥーンネットワークは、彼女らの勇気をたたえ、次のような投稿をしている。

さらに一歩踏み込むと、彼女がオリンピックに出場している理由も是非知ってほしい。昨年リリースされたNetflixドキュメンタリー「あるアスリートの告発」を見たことがあるだろうか。米国体操連盟のラリー・ナサール医師による性的暴行事件にまつわるノンフィクションだ。バイルズ氏はこの被害者の一人であり、この問題への説明責任を求めるアクションとして、オリンピックに出場している。この件については以下のツイートのツリーに簡潔にまとまっているためそちらを参照されたい。)

キーワードはAuthenticであること?

"強さ"やリーダーシップを織りなすのは、完璧で超人的なスター像にとどまらないだろう。これからのリーダー像について考える上で、Authenticであることが一つのキーワードになるのではないか、と考えている。

まだ自分の中でも「コレ!」と確立した像がまとまっているわけではないのだが、いま思い浮かべているアイデアとしては、その人がその人らしくあること、弱さ(とされるもの)を否定しないこと・受け入れること(バイルズ氏の言葉を借りれば、「弱っているときに抗うのではなく、対応すること」)、心や身体の状態のグラデーションを受け入れること相手に真摯に向き合うように自分にも真摯に向き合い、相手を大切にするように自分のことも大切にすること、みたいな部分が大事になってくるのではないかと思う。

では、従来的なリーダー像が悪いのか、もう時代遅れなのか、というとまったくそうではない。誰しも得意不得意やグラデーションを生きる中で、そのままであることが従来のリーダー像に当てはまる人や、すすんでそういった像を選び取る人もいるだろう。どちらが良いとか、優れているとかいうわけではなく厳密に同時存在的で共存可能であることが大事で、いろいろなリーダー像がそれぞれをリスペクトしながら残っていくんじゃないか、と思う。(そして、そう願っている。)

背景には、前のnoteで挙げたようなメンタルヘルスをめぐる社会的な受容の仕方の変化にくわえ、ソーシャルメディア等の圧倒的な浸透が寄与する部分も大きいのではないだろうか。SNSを通じて、われわれは今までとは比べ物にならないほどに、自分たち(日常生活やその写真等にとどまらず、考え方や価値観)をさらけだすことが可能になった。多くの人が有名・無名を問わず、なんらかの発信をするようになっており(実名・匿名含む)、さらにソーシャルメディア上ではそれらがインタラクティブな形で行われる。投稿を見た人が反応をするだけではなく、その反応を見て、投稿をした本人(これが有名人であるケースも増えている)が反応を返す場面も多く見られる。この様子を見て、なんとなく「ぐっと距離が縮まる」ような感覚を覚えたことがある人は多いのではないだろうか。

このようなインタラクティブ性が主流になる中では、もはや「手の届かなさ」だけがスター性ではない。その人が、実在する人間らしさをもっているか、取り繕うことなくその人として在るのか、つまりauthenticであるか?が極めて重要な要素になっている気がするのだ。ここ数年、企業アカウントの「中の人」の人気が出るようになったり、また投稿内容も従来のようなキラキラのビジュアルから日常生活に浸透するような画像投稿へシフトが起こったりしていたが、このようにSNS等でぼんやり起こっていた現象が、画面の先にいる「人」にも求められるようになってきているのかも?と思う。

おわりに

最近ぼんやり考えている次なるリーダー像について今回はまず現時点で思っていることを書き記してみた。もう少し考えた先に、「ここはやっぱり違うな」とか色々変わりうる部分はあると思うが、引き続き丁寧に考えていきたいトピックである。

参考


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江原ニーナ
1997年熊本生まれ。ANRIでベンチャーキャピタリストとして主にtoCサービスや女性の起業家への投資に注力する傍ら、スタートアップ業界のジェンダーギャップ是正に向けてあれこれ活動しています。ダイバーシティ&インクルージョン、SDGs、テクノロジーと倫理