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放っておいたら男は何も言わない。プロポーズビジネスの潜在的需要性

これはとてもよい記事。結婚において、今の問題点も整理されてるし、取材先もよい。

記事の中にプロポーズ専門店のビジネスが紹介されているが、この領域は需要が高い。運営するUcaの片山結花代表の以下の言葉は的を射ている。

片山さんは「プロポーズは多くの人が初めての体験なので不安に感じる。若い世代ほどピュアですれておらず、女性の気持ちがわからないことも多い。悩む人の背中を押してあげるのがわたしたちの仕事」と話す。

要するに、「男」はプロポーズできない(のが多い)」んですよ。

こちらの記事で、恋愛結婚夫婦の平均交際期間を出しているが、4年半とか実はとても長い。平均だからもっと長い期間のカップルもいる。

これは男がなかなかプロポーズという行動に踏み切れないという部分も大きいと思う。これは最近の男の問題というより、男は元来そういうものだ。

そもそも日本最初の夫婦といわれるのは古事記のイザナギとイザナミだが、結婚の儀式として男のイザナギの方から声をかけるという手筈が、いざという時にイザナギが照れてしまってなかなかいえない。焦れた女のイザナミが自分の方から声をかけたという逸話がある。

しかし、そうして成立した二人の結婚でできた子は未熟児となってしまう。困り果てた二人の天の神様に相談するが、「女のナミちゃんから声かけての?だめだよ、それじゃあ。男のナギくんから声かけないと」としかられて、プロポーズのやり直しをする。そうしてできた最初の国生みが今の淡路島というものです。

このプロポーズを「男の方からやり直させる」という逸話をわざわざ盛り込んでいるあたりに、放っておいたら「男はプロポーズしない」という神話時代からの事実に基づく言い伝えがあったのではないかと思うわけです。

「プロポーズの場で読む手紙を推敲(すいこう)してほしい」

これも昔からある。推敲どころか代筆業もあった。

徒然草で有名な兼好法師は、足利尊氏の右腕で悪名高き執事高師直の恋文を代筆したことがある。しかし相手は人妻で、手紙は読まれもせず捨てられた。師直は「兼好マジ無能!」と怒り、フラれた腹いせに兼好をその後出禁にしたという。

明治期に活躍した樋口一葉も、近所の銘酒屋で働く女性たちの恋文の代筆をしたと自身の日記に書いている。「手紙を書いてくれと言って頼みに来るが、宛名はいつも違ってその数は多い」と日記にあることからも、当時から「数撃ちゃ当たる」戦法を女性から仕掛けていたことがわかる。

男女の双方から「プロポーズは男性がするもの」という声が上がる。昔ながらの恋愛観が反映されているようだが、実際はどうか。

こうした「男からプロポーズすべき」という考え方も、実は日本人古来のものであったかどうかは疑わしい。万葉集には、貴族だけではなく読み人知らずの庶民の歌も含まれているが、女からのアプロ―チの歌もある。

というより、古事記に則れば、儀礼的に「男からプロポーズした」という体にしておくが、その過程なり実行のきっかけは、女側の巧妙なお膳立てによって、男はただその役割を道化的に演じさせられていたのかもしれない。もちろん全部とは言わないが。

江戸時代、武家や大商人の結婚はそれは本人の意思というより家と家との政略的な位置づけがあったため、個人の自由にはならなかったろうが、町人たちは「くっつき合い」だったわけです。恋とか愛とか以前に互いが「いいなあ~」と思ったらまず合体。「合」とは平安の和歌の時代からセックスを意味します。「どっちが声掛けたか?そんなんどうだっていいんだよ」的なおおらかさの影で、もじもじしている男はずいぶん救われたんじゃないかね?

そもそも日本の昔話の「鶴の恩返し」にしろ「炭焼長者」にしろ、多くの話のきっかけは女が男の家に押し掛ける体裁である。それもそういう状況を反映したものだろう。

「だから日本の男はだめなんだよ」と言いたい出羽守もいるだろうが、日本だろうとイギリスだろうと、フランスだろうと大差はない。

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所詮、恋愛も結婚も、基本的には女性主導なのである。にも関わらず、男性主導に任せている風潮があるから、未婚化が進む。こうしたプロポーズビジネスはそうした潜在的な需要をうまくとらえていると思う。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。