
新しい習い事をしてわかった、身体性の伴う学習の重要性
こんにちは、電脳コラムニストの村上です。
今年最後の記事は、1年の振り返りとして自身の新しい学びについて書きたいと思います。この場でも度々「リスキリング」など継続的な学びの重要性について論じてきましたが、ビジネスと全く関係ない習い事の話です。
実は1年前に前々から興味のあった茶道を習い始めました。元々器が好きで自身でも陶芸教室に数年通っていたのですが、グローバル企業に入社してからより客観的に日本文化について知り、その魅力を伝えていきたいという思いが強くなりました。以前華道の体験に行っていた時期もあったのですが、当時はなかなか時間がとれずに本格的に習うまではいきませんでした。今回はご縁もあり、とてもよいお師匠につくことが叶いました。やるべきときというのは意外とトントン拍子にいくものかもしれません。
長引くコロナ禍で自宅時間が増えたこともあり、より安らぎを求める人が増えています。近年のビジネスパーソンの間でのサウナブームも心身ともに「ととのいたい」というニーズを受け止めているのでしょう。
また、マインドフルネスという言葉も一般的になりました。瞑想が有名かもしれませんが、今この瞬間の体験に意識を向けることで内なる気付きを得て、心身を整えるような方法論と言えるでしょう。仏教における「サティ」(気づき)が元になっていると言われ、瞑想における呼吸法「アーナパーナサティ・スートラ」(息を吸って吐いて内なる気付きを得る。スートラは経典のこと)が実践方法として挙げられています。
さて、茶道の話に戻しますが、最近では自宅に茶室を設けたり、オフィスやカフェに設置したりすることも増えてきているようです。
マンションをリノベーションしたり、オフィスやカフェに設置したり。心安らぐ上質なおもてなしの場として茶室を求める人たちが増えている。そのミニマルな造形は、ものづくりに携わる人たちの創造力も刺激するようだ。武士の時代から脈々とつくられ続けてきた茶室が現代にどう溶け込み、またどんな新しい空間を生み出しているかをのぞいてみよう。
茶道の稽古というのは、とにかく見て覚えることが中心です。稽古中にメモはとれませんので、他の人がお茶を立てている一連の動きを追って、自分がやっている気持ちになって一挙一動に目を配ります。その上で自宅でもその動きを練習して、また見て修正していくような地道なものです。
先日ついに人生初の亭主役、つまりお茶を立てる側を練習しました。これまではお客としてお菓子とお茶を飲むことや、半東というお茶を運ぶ係を経験してきました。それでも一連の動きを覚えて実際に行動するのは非常に大変です。
ほぼ全編に渡って先生のツッコミと教えをいただきながら、なんとか一通りのことを練習できました。するとどうでしょう、今まで見えてなかった景色が見えたことで、より楽しく、そしてもっと頑張らねばという気持ちが芽生えました。
似たような体験をしたことがあるなぁと思ったら、楽器演奏の練習に近い体験であることがわかりました。ギターを演奏する方であれば、最初の挫折ポイントである「F」のコードができるようになった感覚と言えばわかるでしょうか。要はラーニングカーブの話なのですが、あるハードルを越えるまでは本当に地味な練習が必要なのですが、あるときにポンっとそれを越えるときがくる。それがいわゆる「アハ体験」となり、ぐっと練習も楽しくなってくる。そんな感覚です。
これはビジネスの世界でも言えることで、新人のうちはなんでやっているのかわからないような地道な作業でも、あるときにそのコツやなぜ必要なのかが「わかる」ときがきます。すると視野が広がってより事業そのものへの理解が深くなっていきます。
これは読んで学習しているだけでは得難いもので、どうやら実際に手を動かしたりする作業、つまり身体性が伴うことで得られるようなものなのかなと思います。情報過多の時代はどうしてもインプット偏重になりがちですが、なんらかの形でアウトプットする作業をすることでよりスキルがついていくのではないか。そんなことを考えた年末でした。
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タイトル画像提供:Fast&Slow / PIXTA(ピクスタ)