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「消費」って言葉、好きですか?僕はあんまり好きじゃないんですが。 ←← 社会を動かす消費とは?のお題に応えて

日経新聞のnoteの今月のお題は、「消費について」である。

「最近、応援消費やエシカル消費をした経験がありますか?」「応援消費は一過性のもので、コロナが終息すれば終わるのでしょうか。」「その他、社会を動かす消費についてあなたのご意見を投稿してください。」

それついては、この器でコーヒーを飲みながら答えたい。この器でなくてはならない理由がある。

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最近、僕の事務所ではこの器でコーヒーをよく飲む。お客さんにも、これに白のフチのついた黒のデザイン違いのもので出す。

この2対のコーヒーカップを買ったのは、長崎は雲仙市小浜町。その町にある、ショップ、刈水庵。

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うちの事務所は、昔画廊として使われていたこともある壁が真っ白な空間なので、黒が締まるな、と思って、ここで見つけて買った。

刈水庵のオーナーである城谷さんとは会ったことはないが、彼のお弟子さんから彼の哲学について聞いたことがあり、

「ミラノでプロダクトデザインの仕事をされて、地元に戻ってこられた。ものを消費するのではなく、長く使う向こうの文化を、九州にたくさんある伝統工芸と組み合わせて、日本でも体現するために。」と。

伝え聞きで正確でなかったら申し訳ないのだけれども、多分そんなに間違ってないと思う。なぜなら、僕がこの器を買った動機は、それと同じだからだ。

買ったが「消費」はしないと思う。器は消えないし、費やさない。ずっと一生使うつもりだし、または子供たちにも引き継いだり、誰かにあげたりして、ずっと誰かが使い続けると思う。

だから、これは消費ではない。消費なんかするつもりはない。


みなさんは、消費という言葉、好きでしょうか?僕ははっきり言って好きじゃないです。

今回消費、という言葉がテーマだと、聞いて、改めて考えたとき、なんか言葉の成り立ちがおかしいような気がした。日本の伝統が持つ雰囲気と違う。もしかして、、と思ったら、当たった。

文明開化前後に、輸入された言葉。それをその時期の人が日本語に訳した造語の中の1つだった。Freedamに当たる言葉がなかったから「自由」という言葉が造られた、とか、そういう中の1つ。

作ったのは『百学連環』の西周。consumeの語源は「不可逆的に完全に(com-)取る(sumo)こと」が語源らしいから、「消費」という言葉は、訳する造語としては、その通りかもしれない。

それにしても、どうして、「consume : 消費」という言葉がなかった日本の方が、刈水庵の城谷さんが経験してきた西洋のイタリアよりも消費ということに力を入れてしまう国になってしまっているのだろう。

おかしな話だ。

大量生産大量消費。地球を壊してきた根元だ。

消費者。そんなカテゴリーで呼ばれたくない。

消費税。それより、似たものである西洋の付加価値税の方が、ネーミングとしてもいい。

応援消費とか、エシカル消費とか、コト消費とか、誰が言い始めたんだろう?

なんで、応援購入とかエシカル購入ではダメなんだろう?

さようなら、消費という言葉。もう、使うのやめませんか?

1年10カ月前の、このnoteに、日経からこの切り抜き含めて、この記事をアップした。

(大好きな歴史学者の)磯田道史さんの記事の切り抜きをいくつか引用したのだが、その中にこんなくだりがある。

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お金の価値についての、ユニークな、しかも子供時代の実験が素晴らしいが、「お金はそれ自体に価値はなく、物に変換されたり、人の幸福感を増す使い方をしたりした時に初めて意味が生まれる」わけで、

エシカルだの応援だのそういういい言葉がついたとしても

「消して費やす」ためにお金を使ってたら、それこそそんなの負の意味しかないだろう。

地球を消して費やすために、お金を使うのはやめましょう。

社会を動かす消費、なんて、そんなのやめましょう。

いい流れを生み出すために、お金を使いましょう。

ま、当たり前のことですよね。でも、そんな背景がある言葉がこんなに流通してるってこと自体がもう、やばい世の中だと思います。

今日から僕は、消費という言葉を使うのをやめます。

日経新聞も使うのやめたらどうですかね?消費という言葉を使わない経済新聞は、素晴らしい新聞になると思いますよ。

#日経COMEMO #そのお金どう使いますか




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