
ポリアモリーへの批判を真摯に受け止めてみた。〜その3〜
先月、フジテレビの「とくダネ」という番組でポリアモリー特集があった。
ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまで僕がポリアモリーについて書いたシリーズはこちら。
この放送に対しては批判の声が多かった。
当事者として、これらの批判を真摯に受け止めてみるこのシリーズもこれで最終回。
今日は
💢批判4:子供の気持ち考えた?かわいそう
💢批判5:美男美女ならわかるけどブスばっかじゃん
について。
主に「子供」に関する批判について考えてみる。
■子供がかわいそうな理由
ポリアモリーを特集した番組は自分の子供と、2人の男性パートナーを暮らした経験を持つ女性を主に取り上げた。この女性に対してSNSでこんな声があがった
特集のVTR明け、スタジオのコメンテーターたちも「子どもがいる場合はちょっとね…」と口を揃えた。
親がポリアモリーだと子供がかわいそう、というこれらの意見。
あたりまえのように省略されているその理由について考えてみたい。
「そのくらいわかるでしょ?」と、言われそうだが、多分最初にあがるのはこんな回答だろう。
これは一見、回答になっているようだが十分ではない。
イジメで悪いのはイジメっこだ。たとえ親が犯罪者であっても子供をイジメていい理由にはならない。ポリアモリーに反対する前に、イジメに反対する方が先だろう。
故に「子どもがかわいそう」という批判の本質はイジメの手前にある。
こんな感じだ。
ここに入る理由はおそらくこうだ。
ポリアモリーはまだ一般的ではない。認知している人も、賛同している人も少ないマイノリティーだ。
「子どもがかわいそう」という批判の本質は
・子供をマイノリティーに追い込むな
・親のマイノリティー性に子供を巻き込むな
ということだろう。
■自分の軸と、世間の軸
僕はマイノリティーを世間の賛同者は少ないが、その人にとっては大切なことがある人だと捉えている。
そこには自分の軸と世間の軸がある。2軸で表すとこんな感じだ。
その人にとって大切なこと。それは特段否定されることではないこと。ただ世間では認めら難いこと。そんな右下の象限がマイノリティー。
ただ、今世間では多様性の時代だと繰り返し報道されている。そんな多様性の鍵となるのもマイノリティーだ。
マイノリティーを数の原理で潰さずに、個性として伸ばすことができるか?
これが今、ビジネスの場に限らず社会が突きつけられているテーマだったりする。
マジョリティー(多数派)だから正しいわけじゃない。
みんなが賛同しているからって、無理して賛同する必要はない。
ココまでは「そうだそうだ」と(それこそ)賛同してくれる人は多いだろう。
教育上だってそう教えようとしている。
しかし「子どもがいますが、ポリアモリーです」と言った途端に浴びせられる「子供がかわいそう」という批判の本質は
・子供をマイノリティーに追い込むな
・親のマイノリティー性に子供を巻き込むな
と、マイノリティーの存在を否定するものだ。
「多様性は尊重する。でも親がポリアモリーなのは子供がかわいそう」と言う人や社会は自己矛盾を孕んでいる。
「○○なんて、子供がかわいそう」を言い換えると「マジョリティーとして生きられないなんて、子供がかわいそう」になる。
なんの悪気もなく「○○なんて、子供がかわいそう」と言う人に考えてほしい。
あなたのその発言がなければ、「ただマイノリティー(少数派)なだけ」だった子供は、あなたの発言によって「マジョリティーになれなかった、かわいそうな子供」というプロフィールを押しつけられる。
子どもは弱い。
(こんな風に)その発言に抵抗することはできない。だから「自分はかわいそうなんだ」という感情を一生抱えて生きることになる。
親が水商売なんて、子供がかわいそう。
親が離婚してるなんて、子供がかわいそう。
親がゲイなんて、子供がかわいそう。
親がポリアモリーなんて、子供がかわいそう。
(ごめんなさい。感情的になります)
反吐が出る。
■優しさのツラをした暴力
(取り乱しました)
さて、ここまで読んでも「とはいえ、子供がいるならポリアモリーはやめておいた方がいい」と考える人も多いだろう。そりゃそうだとも思う。
では、親がそんなアドバイスに従って子供を理由にポリアモリーをやめたとする。
聞いてみたい。
その親は子どもに優しい親だろうか。
子どもはそれを聞いて親に「ありがとう」と言えるだろうか。
子どもが産まれるまでは自分の軸で生きていい。
ただ、子どもが生まれたことをきっかけに自分の軸は捨てなければいけない。
それは今当たり前になっている。
ただ、自分がそのきっかけになったことを押し付けられた子どもはどう思うだろう。
「あなたが生まれたから(やめた)」、「あなたのためを思って(やめた)」と言われる側の気持ちになってほしい。
それはきっと「あなたのせいで(やめざるを得なかった)」、「あなたさえいなければ(やめなかったのに)」、と聞こえるはずだ。
それに気づかないフリをして、親に「(自分のためにやめてくれて)ありがとう」と子供に言わせる行為は、優しさのツラをした暴力に思える。
子どもがいてもポリアモリーを続けることが親のエゴだと言うなら、子どもを理由にポリアモリーをやめることも親のエゴだ。
少なくとも僕は、自分の選択を誰かのせいにしたくない。
最後に
💢批判5:美男美女ならわかるけどブスばっかじゃん
という批判に対する意見も書こうと思っていたが、感情が力尽きてしまったので今日はここまでにする。
美男美女ならポリアモリーでもいい、と思う人は、たぶんロマンティックラブイデオロギーに支配されているので、こちらをどうぞ。
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