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ハロウィンの渋谷に生まれた「接続するコミュニティ」

昨夜のハロウィン、渋谷はまたしても大変なことになっていました。先週の土日に僕は渋谷に行ったんですが、その時はコスプレしている人の姿もまばらで「あ~、遂に渋谷ハロウィンも終わりがきたのかなあ」などと思ったものでした。

しかし、やはり10/31の当日は違った!

 

これは20時48分の渋谷ライブカメラの映像です。

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右奥が渋谷109ですが、もう道玄坂の方は全面通行止めになっていて、車道にもあふれる人並み。

動き出すとこうです。

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キレイな写真はこちらをご覧ください。

まさに、人、人、人…。そして、このほぼ全員がコスプレをしているという…。人がこれだけ集まる様をどこかで見たような気がすると思ったらこれでした。

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これは隅田川花火大会における両国橋の状況を「三都涼之図 東都両国ばし夏景色」(1859年五雲亭貞秀)です。

江戸時代にもコスプレがあったという話は拙著「ソロエコノミーの襲来」にも詳しく書きましたが、天保十年-1840年、京都での仮装踊りを表した小澤華嶽の『蝶々踊図』にそれが描写されています。タコやすっぽん、なまず等クオリティの高いコスプレで踊る人達が描かれています。

時代が変わっても、人の行動なんてそんな変わるものではないのだな、とつくづく思います。

渋谷のハロウィンに関しては、その騒ぎっぷりに対して冷ややかな視線を送る大人たちも大勢います。確かに、今年も逮捕者が何名か出たらしいですし、毎年ゴミも多く捨てられたりします。が、こうしたハレの場でバカ騒ぎをすること自体は否定しちゃいけないと思うんですよね。「ハロウィンは日本伝統的な祭りじゃない」とか言い出すのは、それこそ無粋というものです。

何の面識もない人がこれだけ大勢(100万人くらい?)同じ場に仮装して集まり、互いに写真を撮りあったりして、刹那のつながりを作ることができるって、まさに僕の提唱する「接続するコミュニティ」そのものだと思います。

そんな中、こんな衝撃的なツイートを見かけました。ツマミ具依さんという方の企画です。

ハロウィンが終わりかけた深夜から朝にかけて渋谷で「不要な衣装を集めてます」という看板を立てて、まるで「ソシャゲーの初期アバタ―」のような恰好から、「わらしべ長者」のように道行く人から衣装をもらい、最終的にコスプレを完成させるという試みです。

なんて素敵な企画なんでしょう。そして、なんて天才的なアイデアなんでしょう。


彼女が書いた詳細レポートはこちらです。とっても面白いです。

レポートをお読みいただければ、この一晩で彼女が「接続したコミュニティ」の温かさがわかると思います。

一生二度と会わない人たちもいるかもしれませんが、それでいいんです。


衣装を集めて完成させるということは目的ではなく、手段でしかなくて、このプロセスにおける「刹那のつながり」こそが彼女の財産となっただだろうし(勝手にそう思っていますが)、彼女に衣装をあげたり交流した人たちにとってもそれは同じだと思います。

「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ。

キャプチャ

安全で強固な城壁に囲まれた今までのコミュニティから、今後は枠の内大海原に人々は投げ出されていきます。コミュニティは、枠でも囲いでもなく、接点になっていきます。その接点を通じて、出会ったり、関わった人たちとつながることで、人は自分の中の「新しい自分」を都度生み出すことができます。

僕自身、ツマミ具依さんとはお会いしたことはありませんが、このツイートとブログを通じて、自分の中に彼女との接点を通じて生まれた「新しい自分」がいることを感じています。だから、こうして記事化もしているわけです。さらに、この記事に触れた人たちの中にも何かが生まれることを期待しています。

今までのように、「自分の外側に人を集めたり、外側に城壁を作る安心」から、「自分の内側に新しい自分を生み出すことで安心だけではなく、想像もしなかった新しい刺激と可能性を得る」方向へ。

それが常々僕の言ってる「逆説的だが、ソロで生きる力とは、人とつながる力である」ということです。「所属するコミュニティ」の中でいつものメンバーと何度も話し合ったり、酒を飲んだりしても、その刺激や可能性は生まれません。

たった一回しか会わなかった人との交流でも、もしかしたら人生後々まで影響を及ぼす何かを得られることもあります。まさにグラノヴェッターの言う「弱い紐帯の強さ」です。

特に、今の若者の中には、たくさんの友達とつながっていても孤独を感じるという人が多いようです。「つながり孤独」というのだそうです。

でも、それは僕にいわせれば、「それはつながってもいなから」です。周りに大勢の人がいるだけ(所属)とつながる(接続)は全然違います。

独身であろうと、友達がいなかろうと、そういう状態が孤独を生むのではない。孤独とは、つながる接点を持たないからこそ苦しむのです。

そういうことを言うと「つながりとか面倒くさい。別に俺は一人で生きていけるし、誰とも関わらなくても寂しくない」と言う人もいるんですが、自立するってことをはき違えてはいないでしょうか?

自立とは、誰の力も借りずに自分の足だけで立つという意味ではありません。そもそも誰の力も借りずに生きるなんてことは不可能です。絶海の孤島にひとりきりでサバイバル生活を送っているわけじゃないんだから。無意識に恩恵に明日がっているけど、普段の食事にしたって、水にしたって、見ず知らずの誰かの力を借りている。誰かの力がなければ、3日ともたずに生きていけなくなるでしょう、誰もが。

逆に、あなた自身も、何気なく日常を送っているだけと思っているかもしれないが、仕事をして消費をしている行動が、どこかの見ず知らずの誰かを支えているのです。

自立とは、そういう誰かの力に支えられているということを認識することでもあり、いざとなれば誰かに頼っていいんだと心から信じられる状態を指します。

誰の力も頼らない(頼れない)というのは自立ではありません。それを孤立というのです。


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11/13に新刊「結婚滅亡」が発売です!他著書「ソロエコノミーの襲来」 「超ソロ社会」「結婚しない男たち」等。東洋経済等でコラム執筆したり、テレビ・新聞によく出ます。独身研究家として活動させていただいてます。メディア出演・執筆・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージから。
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