人が幸せそうな時にそれを許せない人というのが本当の不幸な人
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人が幸せそうな時にそれを許せない人というのが本当の不幸な人

荒川和久/「結婚滅亡」著者

未婚男性を一括りに見てしまうと確かに幸福度は低いのだが、恋愛相手のいる未婚男の幸福度は高い。それと同等にオタクの幸福度も高い。

こちらのヤフー連載に書いた記事が、多くの方に読まれています。

幸福度みたいな統計でよく使われるのが世界価値観調査で、あれを見ると、日本に限らず、大体どの国においても、幸福度は男性より女性が高く、未婚より既婚が高いという傾向がある。

個別のデータについては拙著「結婚滅亡」にてご説明しているのでご興味あれば参照ください。

男女別年代別でみると、これは私のラボでの調査結果だが、大体いつ調査しても、男女とも未既婚関係なく20代は幸福度が高く、40-50代は低い。40代がもっとも不幸度が高いことも共通している。

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単純にそれらをまとめると「未婚で40代男性は一番不幸」ということになるわけだが、それでも上のグラフみていただければわかる通り、40代の未婚男でも不幸なのは36%であって当然全員が不幸ではない。

そうなんだが、「40代で未婚のままの中年男は不幸」って言った方が面白いからという理由でメディアもそういうタイトルで記事を書いたりするわけである。そのあたり、かつて私が「結婚しない男たち」を書いて独身について語ったとき「結婚できない男なんて人間的に欠陥がある」と大勢が書いてよこしたヤフコメと何ら変わらない。

独身男のおっさんなら何を揶揄してもいいというわけではない。

大体、「不幸じゃねえし」という話だ。


不幸軸で語るともうふたつ、年収軸と恋愛軸がある。要するに、年収が低いほど不幸だし、恋愛経験がなければかないほど不幸というものだ。それも傾向としては間違ってはいないが、だからといって低年収は全員不幸ではないし、一度も異性と付き合ったことのない男が全員不幸ではない。さらにいえば、高年収が全員幸福ではないし、恋愛しまくっている恋愛強者が全員幸福ではない(むしろとっかえひっかえ多恋愛のせいで修羅場を経験しているかもしれない)。

要するに、大きな傾向としての総論は正しくても、それですべてが説明されるものではない。細かく条件分けをすることで見えてくるものがある。

今回は、平均年収以上である500万以上稼ぐ男と現在恋人がいるという男の幸福度とオタク趣味を持つ男の幸福度を比較してみたら、年収高い男より恋人がいる男より中年男ではオタクの方が幸福度が高いという話を書いたものだ。

実は、これは初出のデータではなく、かつて2020年12月アベブラでも紹介させてもらったものである。

今回の記事に関しても、賛同の意見が多かったが、中には反論意見もある。別にそれでいい。意見を統一させることが目的ではないので、むしろ大勢が自分の考えを書きだしたくなる記事こそが「良い問いのある」記事である証拠だ。

一番言いたかったことは以下である。

幸福な人とは、「不確実な未来を一緒に喜びたい相手がいる。そのために為すことがある人」ってことではないだろうか。

人は今日と変わらない安定した明日の方が安心すると思いがちだが、確かにそれはそれで安定なのだが退屈でもある。退屈は不幸のもとにもなる。本来未来なんてものはすべからく不確実なものである。どんなに幸せそうな人でも一秒後に車に轢かれて死んでしまうかもしれないからだ。

一方で、どんなに努力してもその努力が確実に結実するとは限らないこともみんなはよく知っている。しかし、不確実な努力だからこそ「今この時の努力そのもの」を慈しめることができるというものでもある。努力と書いたが、楽しい時はそれは努力とさえ感じないだろう。

お金をかけたからといって、そのアイドルが売れるとも限らないし、そのチームが優勝するわけではない。しかし、そうしたいのだ。経済的合理性や効率性など、そんなことはどうでもいい話である。未来に確実な成功や報酬が約束されていなくてもいい。むしろ、不確実な未来を一緒に喜びたいのだ。理屈やリスクではなく思わず行動してしまうこと。自分の役割をそこに見いだせること。それこそがオタクの幸せの正体なのかもしれない。

オタクじゃなくても没頭できる何かがある人は幸せなのである。

しかし、ここで「オタク=幸せ」であると認めたくない一部界隈の人がいることも思い出される。なぜ界隈の人達がオタクを目の仇にするのか?オタクが嬉々としている様を嫌悪するのか?

それについてひとつの以下の仮説を立ててみた。

界隈人にとっては、本来「女にモテるために努力する」男と「女子供を養うために金を稼ぐ・家事育児もこなす」男だけが幸せを感じていればいいのに(それが自分らの得になるから)、その義務を果たさないで勝手に幸せになるオタク未婚男は許せない。「冗談じゃない。何一つ私たちの得にならないような奴らに幸せなんか感じさせてたまるか」とでも思うのだろうか。

だから、漫画やアニメのどうでもいいような些細な表現をさも世界の終わりみたいに憤り、国連にまでチクるという暴挙に出るんだろう。日経が界隈を「全く相手にせず」という対応は実に正しい対応だったといえる。


人が幸せになることが許せないような人間の脳は一体どうなっているんだろう。誰かを不幸にしたところで自分が幸せになるわけじゃないのに、自分が不幸だからといって誰かを不幸にしてもそれで自分が救われるわけじゃないのに。理解できない人を相手にしても時間の無駄というものだ。


最近では、幸福度を数値化してランキングする動きもあるようだが、それ自体をひとつの指標として活用することは否定しないが、幸福は絶対指標じゃないことは忘れてはいけない。むしろ極めて主観的な感情が幸福なのである。

こういうことでも幸福度は高かったと後から振り返ってしみじみ感じる人もいるかもしれない。その時は幸福感じなかったことでも、後から回想すると「あれって幸せだったのかな」と思いたいこともある。そのように幸福なんて絶対的なものじゃないってこと。

あなたから見て「なんて不幸なの」と思っても、本人は幸福かもしれない。不幸だと思って可哀想だから手を差し伸べたのに、実は不幸じゃなかったなんて「私をだましたのね」「嘘をついたのねムキー」「そんなのが幸福なんて許せない」と意味不明の理屈で怒り出す界隈もいる。本当に危険すぎて相手にしてられない。

絶対的指標のないものを絶対的指標にすることの危険さはそういうところにある。つまり「年収が高く無ければ不幸じゃないと許さない」「恋愛できない奴は不幸じゃないと許さない」「オタクなんて不幸じゃないと許さない」…と。

それ、人種差別や優生思想と何が違うんだって話です。

そういう危険な考え感を堂々とSNS上でドヤ顔して書きまくっている人たちは、果たして幸せなんだろうか?ま、興味もありませんが。




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荒川和久/「結婚滅亡」著者

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荒川和久/「結婚滅亡」著者
11/13に新刊「結婚滅亡」が発売です!他著書「ソロエコノミーの襲来」 「超ソロ社会」「結婚しない男たち」等。東洋経済等でコラム執筆したり、テレビ・新聞によく出ます。独身研究家として活動させていただいてます。メディア出演・執筆・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージから。