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週3日、休んでいいですか?

 その起源を辿れば1965年に松下幸之助が導入し、今では一般的となった「週休2日制」。週休1日文化を打ち壊し、「一日休養、一日教養」という指針を打ち出した松下は、社員の自主的な学びと成長を重んじたという。「週休2日制」は教養を高めることを重視して始まった。

 それから五十と余年、ついに「週休3日制」の導入が一部の企業で始まった。副業解禁と併せて、一つの仕事に囚われない、働き手の自由を実現しようとするものだ。週5日間、朝から晩まで会社に拘束される従来の社会人の在り方は、いま大きな変革期にある。これは私たちにとって福音と言えるのではないか。

 そうなると次は「自由業」時代の到来か。ともすれば私のような一介の大学院生の悩みも、煎じ詰めれば今後社会の抱える問題へ投じる一石となるのではないかと思った。

失われる「境界線」

 世間一般では大学院生といえば、いい年をして仕事にも就かず、学問というよりは、知的享楽に耽りながら気ままにモラトリアムを延長させている人間という印象がある。毎日朝から晩まで働いている友人は、そのような大学院生の生活をみて羨むことが多い。

 だが、それほど話は単純ではない。24時間すべてを委ねられると、気がつけば研究と趣味の境界線を失っていることがある。コロナ禍で在宅勤務が増えたことで、多くの人にとっても「自由と仕事の境界線」が今大きな問題になっているのではないか。自宅が「住まい」と「職場」を兼ねることで、家族との寛いだ時間に急に電話がかかってきたり、それとは逆に、仕事中に家族に振り回されたりすることは、誰しも経験があるのではないかと思う。

 大学院生にとって、限られた時間の中で最高水準の研究を完成させなければならないというプレッシャーは大きい。睡眠時間を除くすべての時間を研究に注ぎ、かえって自由とは程遠い、仕事の奴隷状態に陥ることも珍しくない。体調・精神のバランスを崩す人は多く、SNSではそのような状況を揶揄して大学「院」に進学することを「入院」と呼ぶスラングもある。

 私の周囲に限っても、博士論文を書き上げる最中、体調を崩さなかったという人は一人しか知らない。例え毎日が自由であっても、正気を保ちながら、研究成果をコンスタントに世に出すことは容易ではない。ある意味大学院生というのは、突然経験もないのに多忙なフリーランスさながら週7日間を自己の完全なる制御下に置き、生活と研究(仕事)を両立させなければならないのだ。これは至難の業である。

仕事や義務がなければ自由なのか

 「偉大なる知者たちは閑暇に最高の価値を置いた。だれにとっても自由な閑暇は、自分自身と同じように貴いものなのだから」。だが、「凡人にとって自由な閑暇はまもなく重荷となる」と言ったのはショーペンハウエルだ(ショーペンハウエル『幸福について』より)。

 いかなるものにも拘束されない自由は、多くの人にとって理想的に映るかもしれない。だが、例えば子育てを終えた専業主婦が、家事以外には特段の義務もない生活を送っていると、徐々に心に不調をきたし、キッチンドランカーに陥る光景はわりと日常に溢れているのではないか。

 張り合いがなさ過ぎてもいけない、などと言うと卑近に過ぎるだろうか?

 仕事に疲れた市井の人々にとっての自由とは、何の規則も義務もない世界の事である。しかし一度そのような野放図の状態に人間が放り出されると、実は人間というのは自らを規制するものの全く無い世界では逆に依って立つものを失って倒れてしまうのである。

 ショーペンハウエルが示唆するように、人間が「自由な閑暇」を楽しむためには知性を伴う。それ故、アリストテレスは「幸福は余暇にある」と言い、ソクラテスは「余暇をもっともすばらしい財宝として」称えたのではないか。すなわち、閑暇ではなく余暇にこそ人間の幸福があると言ったのである。

太宰治、ショパン、村上春樹、君塚直隆

 それでは企業に属さず、学問や芸術で身を立てている人間はどのように自身の生活を律しているのだろうか。

 私は、古今の文豪や音楽家、研究者の生活スタイルに範を取ろうと考えた。すると、作品の多寡に関わらず、彼らの生活のリズムには、ある共通点が浮かび上がってくる。それは、好きな時間に寝食し、好きな時間に仕事をするというようなイメージとは程遠い、彼ら独自の哲学から一日の時間割にグリッドを刻むような、ある種の勤勉さである。創造性の高い仕事の性質からは想像できないような、極めて理性的な生活スタイルがそこにはある。そして、そこでは「自由」というものが、仕事とバランスよく対を成す要素としてうまく制御されている。

 彼らの生活スタイルは、働き方が多様化するこれからの時代に、大変な示唆を与えてくれるものではないだろうか。

 例えば前回の記事でも取り上げた太宰治はどうか。最も頻繁に太宰に接した編集者の一人、野原一夫は、回顧録のなかで太宰の仕事に対する姿勢を次のように書き記している。

「太宰さんはそこ(仕事部屋)に朝の九時すぎに出勤し、午後の三時頃まで仕事をした。まじめな勤め人の几帳面さである。書けても書けなくても、朝、机に向かうのだと言っていた。」
                (野原一夫『回想 太宰治』より引用)

 あの乱れた私生活とは対照的に、自らに課した「就業時間」に忠実な姿は興味深い。太宰はさらに、仕事量が肉体的にも精神的にも限界を超えないためのマネジメントも行っていた。

「興が乗ってきて筆がすべりすぎると、そこでストップをかけるのだ、とも言っていた。ものを書くということを、よほど大事にしていたのだと思う。一日五枚が限度だと言っていたが、それくらい書くと頭が疲れてくるのだろう。疲れてきたら、筆を止める。そして、お酒、ということになる。」
                (野原一夫『回想 太宰治』より引用)

 作曲家ショパンは弟子に「一日3時間以上は練習してはいけない」と注意した。これは予想でしかないのだが、太宰もショパンも、「創造性を引き出し過ぎること」について制限をかける必要性を感じていたのではないだろうか。

 それから昼に書くか、夜に書くかというのも重要な要素である。

「太宰さんは、夜は仕事をしなかったのではないかと思う。深夜、ひとりで机に向かっていると、うしろに誰かが立っているような気がして、こわくてかなわないのだ、と言っていたし、夜は妄想がむくむくと湧き出てくる、妄想に動かされてものを書いたらいけないから、とも言っていた。明るい昼間、醒めた意識で書く、その心構えをくずさなかった。」
                (野原一夫『回想 太宰治』より引用)


 村上春樹もまた、明るい時間に執筆することで有名である。朝4時に起きて即、パソコンの前に座って4~5時間は原稿を書く。「書くためには、守るべき自分自身の規律を作り、しっかりと確立させる必要があるんです」と氏は語る。原稿の量は、必ず10枚程度と決めているそうだ。筆が進まなくても書き切り、もっと書けそうな時も筆を止める。このように規則正しい執筆スタイルを持つ作家は少なくない。フランツ・カフカ、チャールズ・ディケンズ、ヴィクトル・ユーゴー…名を挙げればきりがない。彼らは執筆時間を終えれば、余暇は自由な時間として読書や音楽を楽しみ、家族と食事をとり、体を動かす。

 彼らは文才にのみ頼るのではなく、自ら規則正しい生活リズムをつくりだすことによって、豊穣な作品を生み出してきた。これは研究の世界でも同様で、多くの研究を世に出す研究者には、時間のマネジメントに長けている人が多いように思う。

 私が専門とするイギリス政治(外交)史の分野で、最も活発に著作を著わしているのは君塚直隆教授ではなかろうか。王室の歴史にも造詣が深い氏は、研究者の世界では稀にみる、時間の管理に長けた方である。

 目覚まし時計やアラームに一切頼らず、長年体に刻み込まれた感覚だけで毎日正確に4時きっかりに起床し、午前の内から旺盛な執筆活動を開始する。昼過ぎには筆を収め、食事と入浴を済ませ、余暇はワインを楽しみながら芸術に触れる。優雅で精密な側面はもとより、一度講演を行えば「大歌舞伎」と周囲が称するようなダイナミズムも持ち合わせている。院生たちからは「デューク」の敬称で親しまれ、学問への非妥協的な姿勢と「生活の優雅」を教えてくれる存在である。

 豪胆な氏はこう語る。

「寝る間も惜しんで勉強している人って本当にいるの?そういう手合いは効率が悪いだけです。私なぞは一日8時間前後は寝ないとダメ、加えて美味しいものも芸術も楽しんで、それでもしっかり書くものは書いている。人の10倍はそれで書いていますよ」(君塚直隆・関東学院大学教授)

 松下幸之助が重んじた「休息と教養」を楽しみ、なおかつ生産性を維持することは決して空理空論ではない。院生の間では未だに寝る間を惜しんで机に向かい、一日のほとんどを勉強と読書に充てて過ごす生活が主流であるし、そういった生活への同調圧力すら存在する。院生時代に、師匠から「まさか、君、5時間以上寝てないよね?」と言われた人もいる。

 知識や技術の習得には終わりがなく、どこで手を止めるべきか意識しなければ、精神・肉体を壊しかねない。人々の憧れる「自由」とは畢竟、自ら設計した活動時間と余暇のバランスと繰り返し、そしてその蓄積に他ならないのである。


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