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氷河期世代は、責任重大

俄かに40歳前後の「氷河期世代」が注目を浴びている。20年度から3年間で、政府が100万人を対象に雇用を集中支援するという。団塊ジュニアのため人数は多いが、バブル期はまだ学生で、世に出た時には不況という「貧乏くじ世代」に私も当てはまるので、他人事ではない。しかし、いま社会の中枢を担う年代に差し掛かる私たちの世代は、「貧乏くじ」以上に巨視的、歴史的な意味を背負っている。

まず、手書きが主流のアナログな世の中に生まれながら、大人になると急速なデジタルな世界になっていた。この急速な技術進化が、私たちの生活を親世代の40歳前後だったかつてと比べて激変させた。幼い時に刷り込まれたアナログな価値観を引きずりながらも、なんとかデジタルに対応する我々は、家庭に仕事を侵食させた初めての世代だ。「仕事」と「その他」の線引きがほぼ不可能になった。

結果、これまで「えらくなれば楽になる」はずだった出世も、「えらくなるほどしんどい」羽目に。

このため、我々世代と年下のミレニアル世代には深い断絶があるようだ。普通、親子の間には自然な「エコー効果」があり、親の価値観を子供世代は(反発しながらも)引き継ぐものだが、ミレニアルの多くは私たちのように働きたくはないらしい!新旧、勤労に関する価値観の間に挟まっているのが私たちの世代だ。

次に、これまで当たり前としてきた消費が、私たちが大人でいるわずかな期間で大きく変わった。「より豊かになる」イコール「大量消費」を意味した世の中に生まれたものの、いまの消費の趣はまったく異なる。

これまで消費財のセオリーは、市場の成熟に従い、付加価値と価格を上げて、「豊かになった」満足感をくすぐりながらマージンを維持するというものだった。しかしながら、この公式がもはや通用しない。

たばこは健康志向の逆風で、代替商品を出しながらも苦戦中だ。アルコール嗜好を根底にするはずのビール会社が、低アルコールやノンアルコールに力を入れている。環境志向から欧州を中心にベジタリアンが増え、動物たんぱく質を頂点とする食のピラミッドそのものまで変わってきている。

すなわち、「これまでのものをより良くする」アプローチではなく、まったく新しい考え方で消費が生まれている。慣れ親しんだ消費感覚が足元から崩れていくような覚束なさを覚えるのがいまの40歳前後ではないか。

時代とともに価値観は変わっていくものなので、大なり小なり、どんな世代も何か新旧のはざまにあることは確かだ。しかし、私たち「氷河期」は、他には見られない転換を内包する世代だと確信する理由がある。マクロな人口構成が不可逆的に変化する変曲点を、人生の最盛期で経験する世代だからだ。

40年前私たちが生まれたころは200万を超えた出生数が今年は90万人を切る日本は、坂を転がるように人口減少が進む。欧州もアジアも急速に高齢化をたどる。足元、世界人口は増え続けるものの、例えばブレグジットの元凶のひとつである移民問題も、これからは実は東欧からUKへの移民自体が大きく増えないために、半ば終わった問題とも言える。このようなデモグラフィック変化が急激に起こったのは、私たちが成年として過ごしている、ほんのここ数十年なのである。

このように、「氷河期世代」は、将来歴史の教科書で取り上げられそうな「転換真っ只中」の世代でもある。労働も消費も、大人になってみたら目論見とはずれている。当事者である私たちにとっては、確かな人生の基盤が見出しにくい、いたって「不都合な真実」だ。

しかし、別のとらえ方をすれば、いま家庭でも社会でも中心的な立場にいる私たちがどうこの時代を生きるか、どんな判断を下すかで、これからの世代の生き方を大きく左右する、責任とインパクトを持った世代とも言える。

技術進歩が甚だしいので、生き方や倫理が後追いになっている。例えば、プライベートにどれだけ仕事のスマホを持ち込むかは、私たちが線を引ける問題だ。倫理面でも、例えば、AIとビッグデータを使えば、死後も自分の分身を残すことが技術的には可能かもしれない。しかし、私たちはそうしたいのだろうか?

このようないろいろな問いに対して、選択肢を吟味し、将来の世代への影響も考えた答えを出すことが、「氷河期世代」が担う使命だと考える。

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