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ダイバーシティのためには、「自分ゴト」化だけじゃなく、「他人ゴト」化も必要だ。

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日はちょっと「自分ゴト」化と「他人ゴト」化について書いてみます。


ダイバーシティのための「自分ゴト」化の必要性

先日、「第29回日本健康教育学会学術大会」のラウンドテーブルに参加しました。

テーマは、

「健康経営での先送り課題をナッジとテクノロジーで解決するには?」 

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弊社『Your』から更年期フェムテックの『yorisol(よりそる)』を立ち上げた高本玲代さん、行動経済学「ナッジ」の専門家・竹林正樹博士、青森県の保健所長であり公衆衛生の専門家の竹林紅博士とのパネルで、

更年期フェムテック・yorisol事業について、ご参加いただいた大学の先生や医師の方々、企業や健保の皆さんと活発な議論が出来ました。

yorisolでは更年期のつらさを女性だけが抱えるのではなく、職場や家庭でものびのびと活躍できるためのサポートを提供していますが、更年期を始めとする女性のヘルスケアの課題を解決することがジェンダー平等を実現するためにも必須と考え、企業に対してアプローチし、セミナーなどで啓蒙を進めています。

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しかし、企業への導入では課題もあります。

ジェンダーやダイバーシティについては本当に「あるある」なのですが、問題意識をもって推進してくれる方が女性だけで社内での決裁がなかなかおりなかったり、「一部の社員だけの課題」と捉えられていたりするんですね。

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この壁をどのように突破し、企業を・社会を変えていくか?ということを高本さんがラウンドテーブルの議題として提起しました。

この議題に対し、会場からは教育的なアプローチやデータの活用、組合を通じた組織的な巻き込みをしたらどうか、など具体的なアドバイスや提案を沢山いただけました。個人的に、中でも印象に残ったのが「自分ゴト化」に関する議論です。

たとえば「更年期」のセミナーや研修として希望者を募ると、40代〜50代の女性が多く参加してくださいます。その方達は自分が実際にいま悩んでいたり、あるいは今後に対して不安を抱えている「第一当事者」であり、すでに更年期が「自分ゴト」だからです。

更年期は明確な症状というよりも不定愁訴のため、すでに更年期症状がはじまっていてもそれを「更年期」と認識できていない方も多いので、まずはこの「第一当事者」層に知識や意識を届けることももちろん大事です。しかしそうすると、それ以外の層が問題に触れる機会がなく、「一部の人達だけで解決すべき問題」になってしまう、それを変えていかなければいけないのではないか、と。

実際、今20代の女性もいずれ更年期に必ずなるわけですし「他人ゴト」ではありません。更年期や月経などの不調があっても十二分に能力を発揮できる働きやすい環境をつくっていく、という意味では若い女性も当事者なわけです。そして女性に限らず同じチームにいる男性マネージャーやメンバーにとっても、チームでの成果を最大化をするためどのようにメンバー同士環境的なサポートし合うかを考えることは重要事です。

ましてやトップマネジメントにとって、それは決して「一部の人の問題」ではありません。組織全体として取り組むべき問題です。つまり更年期へのサポートは「更年期女性」だけが当事者なのではなく、その周囲で関わる全員が当事者なのです。

しかし現状、多くの人にとってそれは「他人ゴト」になってしまっています。以前↓の記事で書いたように、日本では「自己責任」論が強いですが、いろいろな社会の問題と自分をつなげる想像力を持たず、問題を切り離し、その人達だけの問題にしてしまうことがけっこうあります。

多くのSDGsの課題に言えることですが、こうしたことを「一部の人の問題」で終わらせてしまうのではなく、「更年期はどういう風に自分の仕事と関わっているのか」とそれぞれが「自分ゴト」として考える想像力が大事で、そのための工夫が必要なのだ、ということをラウンドテーブルで改めて認識しました。


寛容性のためには「他人ゴト」化も大事

しかし、何でも「自分ゴト」にしていればよいかというと、そうでもないようです。なんでも「自分ゴト」にすることは無用な「怒り」を生んでしまうこともあるらしい。

先日読んだこちらの記事↓がとても参考になったのですが、

アンガーマネジメント協会 代表理事の安藤俊介さんはこうおっしゃいます。

安藤:だから今、世間のSNSやいろんなニュースを見ていても、なんでみんなが攻撃的になるかっていうと、「見ずに逃げる」という選択ができないんですよね。逃げりゃいいじゃん、見なきゃいいじゃん、なんですよ。

「見ずに逃げる」ことも大事である、と。この感覚もよくわかります。

たとえば有名人の不倫とかもそうですが、本来自分には関係ないことでも、多くの人がSNSのリプ欄で代理戦争のように互いをdisり合っていたりします。スルーすればいいのにわざわざ火種を見つけてお互いに正論をぶつけ合い、徐々にエスカレートしていく。

僕自身、こうしたオピニオンを発信していると、見知らぬ人から急に「こいつバカ?」とかコメント付きでRTされたりした経験があります。そういうとき僕は僕、即ブロックすることにしています。

するとそういう方に限って、「ちょっと異論を言われたら逃げるのか」とか「自分と違う考えを聞かないくせに多様性とかいうな」とかおっしゃったりするのですが、いやいや、議論したいならいきなり見知らぬ人に暴力的な言葉でどなりつけちゃだめです。それで話をきけとか逃げるなとか、それはさすがに自分勝手すぎます。

こういう時は取り合わずに「逃げ」たほうがいい。安藤さんはこのようにもおっしゃっています。

安藤:繊細な人っていったい何かというと、「自分の話をされていないのに、自分が攻撃されたと思っている人」なんですよ。
例えば、ネットでも何でも、自分のことを言われてると思うから攻撃するんですよね。怒りは防衛感情だと言いましたが、要するに、先制攻撃じゃなくて防衛なんですよ。だから怒ってる人たちって、少なからず先に誰かに攻撃されてるんですね。

ーー攻撃された上で、自分を守るために過激なコメントを書いたりする。
安藤:要するに、当たり屋なんです。自分から当たりに行って、「攻撃された」なんですよ。


「自分から当たりに行って」怒りに我を忘れたり、それに取り合って怒りの巻き込み事故に遭うくらいなら「他人ゴト」にしておいた方がいいですよね。


「自分ゴト」と「他人ゴト」の線引きは「捨てる」ことから

いや、色んなことを「自分ゴト」にしよう、と言っておいて、「他人ゴト」しておいたほうがいいって矛盾じゃん!という声も聞こえて来そうです。

たしかに「自分ゴト」は大事ですが、全部しろという話じゃないのです。何もかもを「自分ゴト」にするとむしろ無理が生じる、と僕は考えます。

では、なにを「自分ゴト」にし、なにを「他人ゴト」にしたら良いのでしょうか?

安藤さんの記事にはそのヒントも載っています。鍵は「自己肯定感」とそのために「捨てる」ということです。

まず、安藤さんは「怒り」と適切な距離が取れなくなる原因は「自己肯定感の低さ」にあると言います。

安藤:自己肯定感が低い人は、怒りっぽくもなるし、怒れなくもなるんですよ。どっちかに出ちゃうんですよね。

じゃあ「自己肯定感」を高めるためにはどうしたらいいか?安藤さんは「捨てる」ことが大事だといいます。

安藤:ミニマリストになる必要はないんですが、要は「ぜんぶ捨てろ」じゃなくて、「捨てられてない物を1個決めろ」なんです。そうすると何が起きるかというと、「自分が本当に大切にするものって何?」なんですよ。
自己肯定感の高い・低いが何で決まるかっていうと、人からの評価をあてにするかどうかなんですよ。だから、人から「いいよ」とか「だめだよ」って言われるものではなくて、自分がその中で1つだけ、どうやっても捨てられない物を決めていくと、自分にとって本当に価値があるものとないものが見分けられるようになるんですよね。それができてないと、世間のいろんな声に惑わされる。


要は、余計なものを手放すことで「自分らしさ」がはっきりするということです。アート思考文脈で言うとそれは自分ではなくて「他分(=他の人が決めた分節)」だと呼んでいるんですが、けっこう人って「自分と本来関係ないこと」にやきもきしているんですよね。そういうことに拘(かかずらわ)ったり執着しないで捨てちゃう方が「自分」らしくあれる。

「あれもこれも」になった結果、かえって「自分」がなくなり、イライラで人を攻撃してしまう、そんな経験が僕自身にもあります。すると余白がなくなり、人生を楽しめなくなって来ます。そして、私も我慢してるんだからこうするべき、とかそのストレスの八つ当たりを誰かにしてしまったりする。そういう時ほど、人は「正論」を言います。なぜかというと「怒りは防衛感情」だからです。

そもそも「自分」がなくなってしまっているこんな状態では、さらに他の人の辛さを「自分ゴト」にするなんて望むらくもありません。だから、あれもこれも「自分ゴト」にしようとして過呼吸になるよりは、まず「他人ゴト」は「他人ゴト」として捨ててしまうほうがいい。そしてその上で余白ができたら、「自分ゴト」を増やしていけばいいと思うのです。


9/27にワーママはるさんとの対談イベントがあるのですが、はるさんはご著書の『やめる時間術』で

「自分時間」をつくるためには時間を「①見える化」し、「②引き算」し、「③足し算」する

というメソッドを提唱されています。これもまさにそうで、ポイントは「引き算」が先にあること。あれもこれもになるより、まずは引き算をして、そのあとでこそ「自分」を取り戻していける、という順番が大事なのですね。(↓のnoteでも「やめる」ことの大事さをかかれています)

今度の対談ではそのあたりのお話も出来たらと思っています。


ダイバーシティとは自分とは異なる存在や価値観も受け入れる、ということです。そのためには寛容性と余白が必要です。逆説的ですが、そうした寛容性を持てるために「他人ゴト」化も大事。まずは「捨て」て一息ついて、その後で「自分ゴト」を増やしていけばいい。過呼吸にならないように深呼吸しよう、そのために、まず一回思いっきり息を吐こう。そうすることで息苦しくない、しなやかなダイバーシティを実現していけるのではないでしょうか。

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