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見える未来に絶望するか?見えない未来に絶望するか?

先日、内館牧子さんの小説「終わった人」「すぐ死ぬんだから」を読んだ。分厚い文庫本だが、脚本家である内館氏の小説はセリフを中心にテンポよく進むので一気に読める。
(私はまだ読んでないが「今度生まれたら」という本をあわせて、老後3部作らしい)
「すぐ死ぬんだから」はアンチエイジング頑張る78歳の女性が主人公。
「終わった人」は、定年後の65歳の男性が主人公。東大法学部からメガバンクに進み、がむしゃらに働き出世街道まっしぐらだったエリート会社員。でも派閥?人事で同期に負けて役員になれず子会社出向から定年のその日からスタート。花束と共に送り出されて「まるで生前葬だな」って言う主人公。その「生前葬」以来、まだ頭も身体も元気なのに社会から必要とされていない事実を突きつけられる日々に、主人公は「このまま息を吸って吐いて、死ぬのを待つしかないのか」と絶望していく。

終わった人すぐ死ぬんだから

女の定年は早く来る。30歳が1回目だった

「終わった人」は、男目線の小説ではあるが、私には、かなり気持ちがわかる。私は仕事が好きで、新卒でリクルートに入社してから特に20代の、子供を産む前は、基本的に「昭和のモーレツサラリーマンスタイル」で働いていた。まだそこまで労働時間管理も厳しくなかった時代。若さゆえ、未熟さゆえに、生産性高く仕事ができず、大いに残業しながら「質を量でカバー」していた。
26歳で結婚時にも、その仕事スタイルは変わらなかったが、31歳で出産では劇的に変わった。子供は本当にかわいくて嬉しかったけれど、「もう今までのような働き方は出来ない」と思った私にとって、第1回目の定年は30歳の時だったと思う。働き方もキャリアも転換を迫られていた。
第1子が生まれた年は、奇しくも小泉内閣が「観光立国推進基本法」を成立させた年で、翌年、産休育休から仕事復帰する年には「観光庁」が誕生した。出産前には、じゃらんnetやホットペッパーグルメなど情報誌モデルをネットモデルに転換する新規事業開発をしていたが、「ネットの事業開発の世界は、徹夜で働ける人に敵わない」と悟り、新しい働き方を模索しようと考えていた。その時、偶然出会ったのが、「じゃらんリサーチセンター研究員」の仕事だった。「観光庁」の誕生と同じ年に、新しいキャリア「観光による地域活性についての研究・調査・事業開発」に携われたのは、幼い子を預けて働くならば「短期的な利益を追うのではなく、利益貢献はもちろんだが中長期的に社会を良くする仕事に携わりたい」と思っていた私には幸運な邂逅だった。

次のプチ定年は36歳

34歳の時に、第2子を出産。この時は産休育休あわせて5か月程度で職場復帰した。体力に任せてなんとか両立し、全国を日帰り出張で飛び回り、雪マジ!などのプロジェクトを立ち上げた。次のプチ定年は36歳だったと思う。「ここからは名実共に高齢出産。第3子も欲しいけど、どうしよう」…悩んだ末に仕事を取ってしまい、多分、私が最も向いてない職種、中間管理職へ…。良いマネージャーでは全くなかったが、素晴らしいメンバーに恵まれたのは最高だった。
そして、確か38歳ぐらいの時、ココナラ創業者 南社長の「40歳の絶望」ブログを読んで、「そっかー、40歳は、また定年なんだ!」と認識する。インタビューで独立の理由は別のことを語っているが、このブログも、私に影響を与えた1つだったと思う。

40歳の絶望

南さんの、そのエントリーは、本当に私の心に残った。
▼40歳の絶望
http://welself.blogspot.com/2015/06/40.html?m=1
こんな感じの始まりだ。

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先日、同い年(40歳)のある友人と話していた。
・・・今が辛い、という話だった。
素敵な奥さんと子どもたちに囲まれ、優秀な部下をもって管理職として仕事もうまくっている。
何か大きな問題があるかというと、そういうわけではない。
ただ、これまで頑張って生きてきたが、結果、変化のない日常と、何者でもない自分が残り、このまま人生の残りの半分を今の延長線上で生きていくのが辛くて仕方がない・・・
本当は複雑な事情があるのかもしれないが、聞いたことを簡単に言ってしまえばそんな話だった。
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もちろん世の中には「未来が見えない」ことに絶望する人も当然、多いだろう。でも、このブログを読んで私は「ああ、私は、未来が見えてしまうことに絶望するタイプの人間なんだ」って理解したのだ。
「終わった人」の主人公も同じだ。退職金も含めてこの後の生活には困らない。それでも彼は「ただ息を吸って吐いて生きていく」平坦な残りの人生に絶望している。

そして40歳でWAmazing起業


起業後は半年ぐらいはステルス(水面下で)サービス開発をして、サービスリリースと同時にいくつかのベンチャーカンファレンスのピッチで優勝をした。そして、その後に約10億円の資金調達も発表した。女性が、しかも40歳で、スタートアップ起業?!というのは世間的にも衝撃なのか?この後は、年齢をことさら強調したインタビュー記事も当時、よく出ていたような気がする。しかし、おかげさまで、起業後のこの5年間、「まったく未来がわからない日々」という、私が望んだ未来を手にできている。「未来が見えてしまうことの絶望」とは無縁で生きる日々。何があっても、例え、コロナ禍でインバウンド事業が直撃を食らっても幸せだと感じる日々である。

「45歳定年制」に飛び交う賛否両論

2021年9月9日、経済同友会のセミナーでサントリーホールディングスの新浪剛史社長が「45歳定年制」を唱え、SNSでは、反対意見、批判、賛成など、様々な意見が噴出、波紋を広げていた。反対意見の主たるものは「大企業が45歳でクビを切って、あとは本人の自己責任だなんてひどい。人生100年と言われ、年金受給開始年齢もずっと先にあるのに、どうやって生きていけというのだ。」というもの。あまりの反響に、のちに新浪社長は、「定年」という言葉が、辞めさせることに主眼を置いた日本の「定年」=有無を言わさない首切りではない、と釈明している。

人生の節目を意識する大事さ

子供のころは節目が、短い間隔でかなり頻繁にやってくる。小学校は6年だが、都市部では中学受験する子どもも多いので4年生の後半ぐらいから「進路」を意識しはじめる。中学受験はするのか、しないのか。する場合、どの学校を目指すのかなどである。受験をせずに公立中学に進んだとしても、すぐに高校受験である。そしてまたすぐ、大学受験。学部選択では「何に興味があるのか。何を深く学ぶのか」も考える機会となる。晴れて大学入学し最初は受験終了の解放感から遊んでも、やがて就職活動の季節がやってくる。しかし、大人になると特に男性は「ひたすら仕事を頑張る」の一直線で走れてしまう。(女性はそうはいかない。それはライフイベントがあるからだ)
「終わった人」の主人公は、ただひたすら出世競争のトップを走ってきた。猛烈に仕事一筋に頑張ってきた人ほど「節目」を意識することはない。そして、ある日突然、子会社への出向であった。そのまま退職日(主人公の言うところの「生前葬」)を迎える。心の準備できぬまま、新たな人生へのハードランディングであったので、苦悩の日々を送る主人公のまわりに、「ソフトランディング」して輝く元同級生の人生も描かれる。主人公は友人の現在の活躍を眩しくみながら自分の半生をなんだったのだろうと振り返る。
「人生100年時代、来し方行く末を考える機会があったほうが、豊かな人生になる」…そういうことが新浪社長も言いたかったのかもしれない。

見えない未来に絶望するか?見える未来に絶望するか?

45歳定年発言に強く反対する人々は「見えない未来に絶望する」タイプなのかもしれない。人件費を軽くしたいという身勝手な経営側の理論と思えたことだろう。しかし、おそらく45歳といえば、そろそろ会社の中ではこれ以上の出世があるのか、役員になれるのか、はたまた社長になれるのか、だんだん見えてくる時期でもあるのではないか。そうして「自分の10年後、20年後」が見えてしまった時、その平坦な道を歩いていくことにぞっとする人もいる。つまり「ある程度、予測できる未来を歩いていくことに絶望する」タイプの人々だ。私は後者だった。そして女性であるがゆえ、もっとずっと早く、キャリアの節目を何度も迎えていた。自分の中の定年を何回も迎える感じである。

来し方を振り返り行先を考える機会をつくり、そして常に学び、成長する。リカレント教育も今後、より注目されていくだろうが、何も学校に行くことだけが学びではない。新しい挑戦は常に学びの連続だ。個人のキャリアと会社の成長性、両方の幸せのためにも、頻繁にキャリアを棚卸して、これからの道を考える機会としての「定年」が、子供のころの「卒業」の区切りのように何度もあってもいいと思う。

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