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「小さくても成り立つ経済」に夢を感じる。

何気なくWWDジャパンのポドキャストを聞いていて、ふと気になるコメントがありました。趣旨としては、原宿のファッションが世界に存在感を示せないなら、日本ファッションが世界に存在感を示せるはずがない、というのです。

話の流れは以下です。

若者の街、そしてファッションの街として世界的に知られる原宿ですが、最近はあまり元気がありません。常に時代を先取りする新しいカルチャーを生み出してきた原宿が、発信力を取り戻すにはどうしたらよいのでしょうか。

原宿は銀座、池袋、新宿、渋谷などと異なり、鉄道駅の乗降者数が圧倒的に少ない。しかも、原宿や表参道の駅を利用してこの地域に来る人はショッピングを目的としている。つまり仕事のためではありません。その原宿は世界への情報発信地として名をはせてきたが、ここ最近、そのような力を失っているようにみえる、と。

それで冒頭に紹介した気になるコメントになるのですが、「イマドキ、東京のある一区画をコアに発信を考えるわけ?ちょっとずれてない?」と即、ぼくは思いました。

もちろん、原宿が元気であった方が良いだろうし、この談話は原宿というゾーンに絞り込むことに意味がある。そのような条件をぼくなりに理解しながらも、この談話のトーンがいやに古臭く思えたのですね。

というのも、ちょうど同じ日、日本の各地でイノベーションが起きるエコシステムを研究・実践されているリ・パブリック共同代表の田村大さんを囲んだ以下の記事を読んでいました。現在、田村さんは九州をベースに活動しています。

アセットマネジメントOne・サステナビリティ推進室 小松みのりさん:
九州で成功したビジネスを、いずれは東京に持ってきてスケールアップするといった構想もあるのでしょうか。
<中略>
田村大さん:目指すところとしては、「小さくても成り立つ経済」。その地域の圏内で自立した経済を循環させるイメージですね。日本の国単位で見ると「食糧とエネルギーの自給率が低い」という理由で現実的ではありませんが、九州は再エネ比率が25%に届こうとしていて、食糧自給率も生産額ベースでは100%をゆうに超えるんです。実は九州は、日本の社会課題を解決する先進モデル地域になれるんじゃないかと期待しているんですよ。
<中略>
地元を起点にして異なる大きさの輪がいくつも広がるのが理想形だと思ったんですよね。かつてのプランテーションのように、生産地では全く消費されない形ではなく、地域の人々の暮らしやコミュニティに根付いた上で、外に対しても経済性を持つ。これなら持続可能ではないかと感じています。

原宿の話と田村さんの考え方の間には、それなりに距離があるようにみえるかもしれません。いや、「直接、関係ない話じゃない!」と言われるかもしれません。ただ、前者は懐古趣味に基づき、後者はまったく新しいビジョンを目指している、その対比をぼくはまず感じました。

2つ目として、前者は日本と世界各地の結びつきが、ある種、中央集権的な枠組みに沿っている。それに対し、田村さんの構想は小さくても成り立つ経済圏に目を向けながら、そこを起点に水の波紋が広がるように、世界各地ともある接点で結びつくイメージがあります。

「夢は後者をベースに語って欲しい」

原宿について語るべきは、田村さんのもつようなイメージのなかで原宿がどういうポジションをとるのが良いのか?ではないか。逆に言えば、原宿をどれだけ多面的を捉えられるか?が、これからの原宿を考えるにあたり鍵になるのでしょう。

この3月に上梓した『新・ラグジュアリー 文化を生み出す経済 10の講義』では、世界にあるそれぞれのローカルでラグジュアリースタートアップが生れつつある現象を紹介しました。ヨーロッパであれば、フランスやイタリアあるいは英国だけでなく、例えば、ハンガリーの企業もそのような舞台にのぼりつつあります。

このフレームで世界を眺めたとき、ノスタルジックに追い求める対象としての原宿よりも、福岡の八女に惹かれるものを感じるかも・・・とのセンスが求められているのでしょう。

雑誌「anan」だって、そっちでしょう?

ファッションよりもライフスタイル。半世紀の間に女性たちの欲望は激変した。エンタメ、健康、丁寧な暮らし。何よりも大切なのは自分自身の心地よさ。いまの「anan」が提唱するのも「ご自愛のススメ。」(22年10月12日号)である。健康で文化的な最高限度の推し活。女性たちがたどり着いた「私らしさ」の一つの答えがここにある。

写真©Ken Anzai

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