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コタツ記事(コタツ寄稿) で あふれちゃう?

基本的にはインドア派な島袋です。…ですが、社会人になってからは、オフィス勤めの「普通のサラリーマン」をしてきたので、基本的には、「通勤」をして過ごしてきました。なので、昨年からの環境は当初は戸惑いました。昨年のこの時期に、とある媒体に、こんな寄稿もしました。

僕に限らず多く方々は、世界・社会・他人との接触・体験から、日々、学びや仕事を生み出していたかと思います。インドア派の僕も、(苦手ながら)外界からの刺激から価値創造を行ってきたタイプです。

GWは、昨年の再来となってしまいました。

そして、「延長」からの、国と都の見解。

個別の施策云々に、僕からのオピニオンは特に無いのですが、本稿のように僕はいくつか媒体への寄稿枠をいただいており、そのコンテンツ(ネタ)投稿に苦慮しています(苦笑)。

前述の通り、インドア派であるものの、リアル空間での出会いや対話からインスピレーション(そこまで崇高なものでもないですが)をいただいていた身としては、「ネット記事のみ」に依存することの違和感を抱いています。

コタツ記事、ならぬ、コタツ寄稿?

コタツ記事 とはwikipediaには以下のようにあります。

コタツ記事(コタツきじ)は、記者、ライターが取材対象者に直接取材を行わず一次情報を元に執筆した文章である。 (wikiより)

僕自身は、記者でもなく、COMEMOなどの寄稿も、もともと日経新聞に掲載された「記事」に対しての「オピニオン(意見・感想)」をnoteに表現するものなので、コタツ記事(コタツ寄稿)そのものではあるんですけど。

しかし、そこには、「僕ならでは」の視点や視座、経験を加えたいという思いは当然にある。一般的な「コタツ記事(寄稿)」にならないように。これは、僕以外の寄稿者、noteクリエター、noteに限らずSNSでの情報発信者すべて通づることと思う。(文字通り、楽してPVを稼ぎたいと思うコタツライターは除いて。)

単なる「情報」は、日々処理しきれない、くらい入ってくる。そのインプットに対し、「らしさ」を付与して、アウトプットすることの難しさをこの数ヶ月感じている。自分自身の「経験」のアップデートが、従来ほど行われていない感覚。(毎日投稿しているYouTuberさんを本当に尊敬する。)

そんな時には、意識的に、非連続な、(従来の自身にはなかった)違和感を持つコンテンツに、自ら触れにいかないといけないなぁ、と。本当はVRデバイス(Oculus Quest 2)とか買って体験したりしなければならないんだろうけど...

VRには手が出ず、新しい体験は「苔テラリウム」止まりです。(アラフォーになる=歳を重ねるとは、こういうことか、と。)

未知の領域、といえば、次週の日経さんのウェビナーは「フェムテック」。自身のキャリアや経験では、直接関与することのなかった分野。

この時間でインプットし、そして、アウトプットもしようと思います。

ところで、みなさんは、どのようにして、コタツ寄稿にならないようにしているのでしょうか..いいアイデアあれば、教えてください...!

(あ、同じ悩みを持っている方々とZoom対談とかサクッとして、それをコンテンツにすればいいのか?)

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