空き家問題を街並み課題と捉え直そう〜古民家が一軒なくなりファストハウスが三軒建つ現実
国を挙げて、空き家対策が花盛りだ。私の住む京都でも、京都市が新たに空き家対策の大型プロジェクトを立ち上げ、事業者などとのマッチングの仕組みづくりを急いでいる。しかし、空き家対策を極めたその先に、どんな街並みの未来が待っているのか、疑問がある。
空き家活用にアクセルを踏む政府
次の記事は、移住やテレワークを追い風に、空き家の活用を一気に進めようとする、自民党と政府の姿勢を報じている。岸田政権は「デジタル田園都市国家構想」を掲げており、地方への人の流れの創出を後押しするうえで、空き家や古民家が移住を促す可能性があるという。
空き家とは、1年間にわたって使われていない家や敷地のことである。この定義だけだと、伝統的な古民家も、近代的な家も、古いアパートも、誰も住んでなければ、みんな同じ空き家になってしまう。
そして、「空き家をなくした方がいい」、「空き家が経済的に流通するといい」と単純に考えてしまうと、不良債権である空き家をなんとか市場に乗せるよう考えることになる。そうすれば、空き家の多くは取り壊され、新築住宅に置き換えられて行くことになるだろう。それは「空き家を減らす」ということでは良いことでもあり、「古い街並みを残す」という視点では残念なことでもある。
個人の努力に支えられる街並み
京都の魅力の一つは、世界遺産になった寺社仏閣であることは間違いない。しかし、住んでみたり、ゆっくり歩いて散策してみると、京都の最大の魅力は、美しい賀茂川と、古い建物が今でもイキイキと使われている街並みにあることが分かる。
ところが街並みの存続は、住民個人の努力に頼っているのが現状だ。町家や古民家の修繕にはお金がかかる。土塀を修繕しようとすれば、職人さんの費用が数百万円にのぼるという。街並みを守ろうという意識が薄れれば、解体して駐車場にしてしまった方が楽に収益化できる。高齢化したオーナーの方々が、もう限界となって、街並み保存を諦めていく。もし踏ん張って残していたとしても、相続税の支払いのたびに価値ある町家や古民家は減っていく。
古民家が一軒なくなると、ファストハウスが三軒建つ
何十年、何百年経っても、修繕していけば、美しい街並みに貢献するであろう空き家や古民家が取り壊され、そこに安くて素早く建てられる建売住宅、それを「ファストハウス」と呼ぼうと思うが、それが二軒あるいは三軒と、土地を分割して建っていく。そうやって、もう取り戻しがつかない街並みの変化が、虫食いのように広がっている。
政府が空き家対策をどう進めるかにかかってくるのだが、「空き家の良さを生かした活用」をするならば、街並みを改善していくことも可能だ。私の知る、三島市の加和太建設は、まちなかの空き家などを集中的に買い集め、それらの「古さを活かす」形で若いデザイナーに創造的なリノベーションを仕掛けさせ、地域の価値を高める戦略をとっている。
次の記事では、空き家や飲食店の上階層をオフィスにして、本社機能を積極的に分散させていく取り組みが紹介されている。
「街並み課題」としての捉え直し
「空き家問題」を「街並み課題」と捉え直すと、ただ「どうしたら空き家をもっと減らすことができるか」という問いではなく、「どうしたら空き家という資源を活かして、街並みをよりよいものにしていけるだろうか」という問いに変換することができる。
きれいに住んでいる町家や古民家、そして空き家なども含め、古い建物を守り、伝統的で美しい街並みにつなげるかという「街並み課題」は、いますぐ取り組む必要がある。そうしなければ、京都を筆頭にした、美しい文化的な街並みは、どんどん失われていくだろう。
街並みは、私たちの日常である。日常を豊かにすることが、私たちのくらしや人生を豊かにすることである。美しい街並みを守るために、市民も行政も、企業も協力し合えるような、「新しい言語やプラットフォーム」が必要ではないだろうか。