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いま流行り?の「学び直し」は“歪み”の自己発見

若新 雄純

最近、大人の「学び直し」なるものが流行っているそうだ。リスキリングとか、それを提供する機会のことをリカレント教育と呼んだりするらしい。

日経の過去記事も、「学び直し」で検索してみるとたくさん出てくる。たとえば、ちょうど1年くらい前のものだけど、週休3日制の話題に合わせて、社会人が学び直すためには、もっと休日を増やす必要があるんじゃないか?というようなことが議論されている。

この記事では、ちょっとした調査をもとに、休日を増やしても学習意欲は高まらず、日々の仕事の中でこそ学びを求める人が多い、と書かれている。管理職を目指した人材育成のプログラムや、キャリアアップのためのマーケティング、会計の講座、他業種との交流などが人気だそうだ。

だけどこれでは、学び直しではなく、ただの「学び足し」じゃないのかと首をかしげてしまった。はっきり言って、大人になってから「また学ぶ」ことや「さらに学ぶ」ことを、学び直しとは呼ばない(呼ぶべきじゃない)と思う。

「学び直す」ことの本質

大人になってから、新しいことや別のことを追加で身につけようとすることを「学び直し」と呼んでしまう背景には、学校を卒業するまでに一度学ぶことを完走できていて、社会人になってからのそれは、学びの2周目に突入する、という意識の人が多いからじゃないかと思う。だけど、それはやっぱり「学び足し」にすぎない。それはそれで、大切なことだけれども。

さて、大人になって「学び直す」ことの本質はなんだろうか。
僕は、“歪み”の自己発見だと思っている。

そういえば最近、中高生の頃に夢中になって練習したエレキギターを学び直してみることにした。山奥のバンド少年だった僕たちには、ギター教室なんかもなく、ただひたすら独学だった。バンド仲間の先輩や友達も、アンプから出力される音と「雰囲気」でしか評価できない。「すげー、なんか結構弾けてるじゃん!」という具合に。

実際、何度もステージで演奏したし、大学生や社会人になってからも披露する機会はあって、みんなからも「ギターが上手に弾ける人」認定されていた。だけど、自分では、あるレベル以上には上達できない壁にぶつかっていることを理解していた。ごまかしごまかし、演奏していた。

ロージア_ギター

根本的な“歪み”に気づく

なので思い切って、エレキギターについて学び足すのではなく、学び直してみることにした。具体的には、ちゃんとした先生にお願いして、みてもらった。その初日、自分はしょせん我流のギタリスト、初心者なんだと言い聞かせた。結果、根本的に、手首の角度が間違っていた。明らかに、歪んでいた。たしかに、これじゃ高度な演奏は不可能だ。凹みながらも、イチからやり直してみた。中高生のころ、夜な夜な演奏に明け暮れていたエレキギターに、まったく違う感覚が生まれてきた。なんてこった。だけど、ギターがもっと面白くなった。

僕たちは、変なクセや歪みをもったまま、部分的に、できるつもりになっていることが多い。一方で、先人たちが培ってきた技術や知識は、本当の意味でどこまでも学び足し続けることができるよう、基礎部分に歪みがない。歪んでいても、ある程度まではなんとかカタチにできるけど、高くは積み上げられないし、行き詰まったときの改善部分も見えづらくなくなってしまう。仕事のやり方やスキル云々に限らず、人間関係、会社組織、政治、地域コミュニティ、あらゆることにも同じことが言えるだろう。

中高生のころは、アイツより早く上手くなりたい、同級生に置いていかれたくない、という見栄や焦りがあった。少々の歪みなんて気にしていられなかった。だけど、大人になって自分のペースをつかめるようになったのなら、いろいろ学び足す前に、ぜひじっくり「学び直し」をしてみてはどうだろうか。

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若新 雄純
東京・福井の二拠点で活動・生活し、㈱NEWYOUTH代表、慶應義塾大学特任准教授など兼任。社会実験的なプロジェクトや研究活動をいろいろ企画・プロデュースしてます。テレビ朝日・ワイド!スクランブル、TBS・Nスタ、ABEMAPrimeなどに出演中。 今も思春期。