【保存版】複業(副業)の歴史 〜複業の過去と現在地を徹底解説(後編)~
日経COMEMOのKOLをしております、大林です。50,000名以上が実名顔写真付きで登録する複業マッチングプラットフォーム「複業クラウド」を運営する株式会社Another worksの代表をしております。
本記事では、後編をお送りします!
前編では、江戸時代に遡り、複業(副業)の起源や複業(副業)禁止の風潮について読み解いていきました。後編では、いよいよ複業(副業)解禁までの流れに迫ります!
前編はこちら
平成のバブル崩壊 週休2日制を官公庁が導入
高度経済成長期が終わり、1973 年のオイルショック、昭和から平成へ時代が代わり、1990年代のバブル崩壊を経て、日本の経済成長は右肩下がりとなりました。
このころ適応が進んだ週休二日制も複業(副業)の歴史において重要なキーワードとなります。1960年代から一部民間企業等では進んでいた週休二日制ですが、国家公務員に適用されたのは1992年のことです。人事院の平成4年度年次報告書によれば、平成4年5月1日から完全週休2日制を基本とした週40時間勤務制が実施されたといいます。(1992、人事院)
『副業をめぐる法的規制と労働者の私生活の自由』の中で根本氏も、週休二日制の普及など労働時間の短縮によって副業の機会が増大したこと、キャリア展開の機会を求める者が増加したことなど複合的な要因で、副業に対するニーズは確実に高まりつつあると示しています。(根本、2006)
また、平成に入り、徐々に複業(副業)の提言が増えてきました。経団連が2003年に発表した「活力と魅力溢れる日本をめざして」の中で2025年度の日本の姿を念頭においた新ビジョンの一つに 「兼業禁止の解禁」が示されていました。
また、2004年、厚生労働省が発表した 「仕事と生活の調和に関する検討会議報告書」 では、「複数就業」についてというトピックが設けられ、多様な働き方の選択肢を整備する観点からは、複数の仕事を同時並行的に行う(複数の雇用契約を結び、一定の期間内に二以上の就業場所で働く)いわゆる複数就業についても、合理性を有する働き方のひとつとして認知していくことが考えられるとしており、企業の側からは、従業員に対する兼業禁止を含めて雇用管理の在り方を根本的に見直すという本質的な課題を内包していることにも十分留意しておくことが必要であるとしています。
そして、2005年には「労働契約法制の在り方に関する研究会報告」が発表され、労働者の兼業を禁止したり許可制とする就業規則の規定や個別の合意については、やむを得ない事由がある場合を除き、無効とすることが適当であると示されました。
このように複数の企業で雇用関係を持つ現代の状況は2000年代初頭から予測され、有識者の間では議論が動き出していたことが分かります。
しかし、まだまだ副業禁止の風潮は収まっていません。むしろ副業が禁止される企業が多くなっていることが分かるデータが残っています。労働政策研究・研修機構による2004年の調査『雇用者の副業に関する調査研究 』では、副業を「禁止している」とした企業は50.4%、許可や届出受理の基準を設けている企業を含めると79.7%に上り、条件なく解禁している企業はわずか16.0%でした。これは、1995年と比較すると、11.8ポイント増加しているというのです。
当時の記事によれば、禁止理由は(1)ライバル社で働くなど本業と競業する分野での副業(2)仕事の性格上、道徳的に問題がある職種などがあり、こうした副業は懲戒処分の対象になりうると取り上げられていました。
このようにバブル崩壊〜2000年代初頭にかけて、副業が奨励され始める動きがあるものの、決定打となる動きは未だ出ず、企業の副業禁止の風潮は高まるばかりであったことが分かります。
「働き方改革実行計画」で複業が動き出す
そんな中、2017年厚生労働省による「働き方実行計画」の決定により大きく情勢が動き始めます。メディアやニュースなどで「副業・兼業」さらに「複業」という文字が見られるようになったのもこのころです。
労働政策研究・研修機構の研究報告によれば、きっかけは2016年、経済財政諮問会議にて経済学者である有識者議員2人が、兼業・副業に必要な環境整備について検討し、ガイドライン等を示すべきだと提起したことにあるそうです。(濱口、2022)
また、同年、厚生労働省は「働き方の未来2035」を発表、翌年には「雇⽤関係によらない働き⽅」に関する研究会報告書を発表しています。
「働き方の未来2035」では、フルタイムで働いた人だけが正規の働き方という考え方が成立せず、兼業や副業、あるいは複業は当たり前となるだろうと示されています。また、複数の仕事は、必ずしも金銭的報酬のためとは限らない、社会的貢献等を主目的にする場合もあり、人々はより多様な働く目的を実現することができるとしています。
そんな動きの最中、2016年9月に「働き方改革実現会議」が発足、日本は一気に副業解禁へ舵を切りました。2017年3月28日、働き方改革実現会議において厚生労働省が「働き方改革実行計画」を決定、「柔軟な働き方がしやすい環境整備」として「副業・兼業」が設けられ、促進・普及を促しています。
このように、2016年からふくぎょう解禁への動きは急速に高まり、国が主体となって動き始めました。また、本書で紹介した金銭報酬だけではなく、様々な目的のためにする「複業」という言葉も2016年「働き方の未来2035」から登場しています。さて、副業元年と呼ばれる2018年はまもなくです。
副業元年「モデル就業規則の変更」
2018年は、副業元年と呼ばれ、解禁に向け、日本が大きな1歩を踏み出しました。2018年1月に厚生労働省は「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を発表、同時に「モデル就業規則の変更」を打ち出したのです。
「副業・兼業の促進に関するガイドライン」では、副業・兼業を希望する者は年々増加傾向にあり、収入を増やしたい、自身の能力を一企業にとらわれずに幅広く発揮したい、スキルアップを図りたいなどの希望を持つ労働者がいるとし、いずれの形態の副業・兼業においても、労働者の心身の健康の確保の観点から長時間労働にならない環境整備が必要であるとしています。
また、「モデル就業規則」では、労働者の遵守事項「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと。」という規定を削除され、副業・兼業について規定が新設されました。
一方、副業の労働時間管理に関して、企業の負担が大きいという観点から、継続的に議論がされていました。
2020年、官邸で策定された「成長戦略実行計画」内では、兼業・副業の開始及び兼業・副業先での労働時間の把握は労働者からの自己申告制とし、申告漏れや虚偽申告の場合には、兼業先での超過労働によって上限時間を超過したとしても、本業の企業は責任を問われないこととすると定めました。
「副業・兼業の促進に関するガイドライン」においても、2018年の制定後、2020年、2022年に2度の改定を行っています。2022年7月の改定では、副業・兼業を許容しているか否か、また条件付許容の場合はその条件について、自社のホームページ等において公表することが望ましいとし、制限することが許されるのは① 労務提供上の支障がある場合 ② 業務上の秘密が漏洩する場合 ③ 競業により自社の利益が害される場合 ④ 自社の名誉や信用を損なう行為や信頼関係を破壊する行為がある場合、に該当する場合とされています。
記事でも大きく取り上げられ、副業の情報開示が、働き方の多様化につながり、雇用の流動化の後押しにもなるとしています。
ここまで、前編後編にわたり、複業(副業)の歴史を江戸時代の武士まで遡り解説してきました。複業に100年以上の歴史があることに驚いた読者の皆様も多いのではないでしょうか?
「副業・兼業・複業」は、近年のブームで終わらず、古来から必要とされ、今なお制度改正が議論される日本の未来に欠かせない働き方です。
従来は、複業をしたくても、本業の規則で禁止されているが故にできない、もどかしい思いをもっていた方もいるでしょう。しかし、「副業・兼業の促進に関するガイドライン」や「モデル就業規則の変更」により、もはや企業は複業を解禁しない理由がなくなっています。人生100年時代が到来する中、個々のスキルや市場価値を高めることが求められる今「複業」が必要であることを、歴史を振り返る中で、お伝えできていれば幸いです。
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