アメリカの交通事情はモビリティの議論にふさわしいのだろうか
ボーイングも「空飛ぶタクシー」の試験飛行に成功したという。このジャンルのプロダクトやそれを開発するスタートアップは、「モビリティ」への注目が集まる中で一種の流行の様相を呈している、と感じる。
先日のCESで、ベルヘリコプターが「空飛ぶタクシー」Bell Nexusの展示をしたことは多数のメディアで取り上げられていたので、ご存知の方も多いと思うし、これも「流行」を汲み取った記事の取捨選択なのだと思う。
この記事には、
実現すれば、特に交通渋滞の激しい大都市では移動にかかる時間が激減するはずだ。
とあるが、これはアメリカ向けに書かれた記事の翻訳であることに注意したいと思う。ここでいう「大都市」とは、果たしてどのような街だろうか。
日本で大都市といえば、まず通勤鉄道としての山手線のような電車に加え、地下鉄網が張り巡らされている。それを補完するようにバス路線が鉄道駅と鉄道の空白地帯を結ぶ。もちろん、タクシーなどの交通手段に加えて、レンタル自転車や歩行者専用の道路まで、幅広い交通手段が高層ビルの立ち並ぶ中心市街地から郊外に至るまで利用できるようになっている。
一方、アメリカで、このような交通環境である街が果たしてどのくらいあるだろうか。
アメリカ発のモビリティサービスと言えば、代表格はすっかりおなじみになったUberだが、誤解を恐れずにいえば「(白タクの)電子ヒッチハイク」であり、これは実にアメリカの交通事情に適したサービスだと思う。
Uberを生んだシリコンバレーは、行ったことのある方ならご存知の通り、「電車」ではなくディーゼル機関車が引っ張る列車Caltrainが1時間に1本来るか来ないかの鉄道サービスに、駅前には「タクシー」と称するもの(最近は知らないのだが、ちょっと前は、今にもエンコしそうな日に焼けたアメ車だったりした)が数台いるだけ、といったような状況で、日本で言えば相当な「田舎」の交通環境である。
そういう環境だからこそ、ヒッチハイクのような「相乗り」が自然に生まれ、見知らぬ同士がクルマの閉鎖空間内に居ることの安全性を担保したのが銃で、下手なことをすれば相手が銃を持っているかもしれないという抑止力を、アメリカらしい美点である概して気さくでフレンドリーな国民性がオブラートに包んでいたのではないか、と私は考えている。
それをアプリ上でマッチング可能にしたのがUberだ、と考えると、とても納得がいく気がするのだ。その意味で、Uberは極めてアメリカ社会に最適な仕組みであるように思う。そして、世界の多くの場所が、銃社会であることは別としても、同じような交通環境だと言っていいと思うし、日本でも地方ではそういう場所があると思う。
一方で、先に書いたような、東京に代表される日本の大都市は、あるいはアジアやヨーロッパの大都市は、一般的にはアメリカの大都市よりも中心部への密集度が高く、その分交通手段のバラエティも多い。そして、広大な国土であるがゆえに都市間の距離も大きく離れ、公共交通機関はかなり飛行機に偏重しているアメリカに対して、特に日本などは都市が短い距離で連続するため、新幹線のような都市間交通が飛行機よりも適する構造になっている。
このように、モビリティはその土地土地の交通事情を色濃く反映するもので、一概にアメリカ発のものが優れている、と考えるなら、それはちょっと違うのではないか、と思う。
いくら地上の渋滞が激しいといっても、密集した日本の大都市上空を、空飛ぶタクシーが縦横に飛び回れるだけの飛行体としての信頼性や制御の精密度が上がるよりも前に、地上交通の自動運転やライドシェア等による効率化を先に図っていくことの方が、少なくても日本の実情にはふさわしい進化の順番であるように思う。
もちろん、だからと言ってこうした空飛ぶモビリティ開発を日本が手がけることが無駄だとは思わないし、むしろ積極的に海外に売り込み、そこで得た利益をもとに、日本の山間部など地方の交通事情の改善に役立てていくのだとしたら素晴らしいことだと思う。
ただ、アメリカの動きをプロダクトの視点で追っているだけで、それを受け入れる社会の視点を無視すると失敗してしまうように思うし、そこがちょっと心配だな、と思っている。
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