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「創造性」をめぐる「仕事」と「お金」のジレンマ

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日は「創造性」をめぐる「仕事」と「お金」のジレンマについて書きたいと思います。


「仕事」になると創造性が失われる?

現代アーティストのみなさんと展示や企画をご一緒したり、最近ではメタバースのクリエイターズスタジオを立ち上げていたりと、クリエイター的なみなさんと仕事をご一緒することがあります。

そこでしばしば感じるのは、クリエイタータイプは「あそび」のように自分が面白がっている時にこそ「創造性」が爆発する、ということです。

「創造性」を殺さず十分に発揮してもらうためには本人が面白がっていることが重要なのですが、そのためには「いわゆるお仕事」になりすぎないのが大事だなと感じます。


以前、「仕事」について清水ミチコさんがインタビューでこんなことをおっしゃっていました。

やっぱりどんなに好きなことでも、やりすぎると仕事になっちゃう。以前、オアシズの光浦靖子さんと森三中の黒沢かずこさんと私の弟と一緒に石垣島に釣りに行った時、地元の漁師さんがたくさん釣れる所に連れて行ってくれたんですけど、途中で漁師さんに「もうやめよう!」って言われたことがあって。「なんで?すごく楽しかったんですけど」って言ったら「これ以上やると仕事になるんだ」って言われて、なるほどと思いましたね。きっと毎日一生懸命やっていると義務になってしまって、嫌になってくるんですよね。

楽しかったり好きなことでも「仕事」になると「義務」になり「嫌」になる


アート思考でも「遊び」を重視しますが、仕事に創造性をもたらすためには「仕事と遊びの二項対立」自体を見直す必要があります。いわば「仕事をあそぶ」という感覚が大事なのです。

遊んでないで勉強しなさい!」とか「遊んでないで仕事しなきゃ」と言ったり言われたりした経験は誰しもあると思いますが、一般に「遊び」は「仕事 work」とは別のもの、あるいはその敵だと考えられています
しかし、この区別は芸術家にはあまり当てはまりません。芸術家が作品 work をつくるとき、 それは仕事でしょうか、遊びでしょうか?
(中略)
「工場」のパラダイムの中では、「仕事」からは「遊び」が排除されてきました。その結果仕事からは「面白み」がなくなり、仕事のモチベーションも失われてしまいました。「遊び」の ない仕事は窮屈で、ストレスフルなものです。

日本を代表する芸術家の岡本太郎さんはこんな言葉を残しています。

農作業でも、コンピュータの操作でも、強制された労働としてやれば苦役だが、自 由な遊びとして創造的に取り組む限り、それは喜びだ。(岡本太郎)

「創造性」は「自由な遊び」に紐付いているのです。


「お金」による変質

「仕事」の上でももう一つ難しいのが「お金」の問題です。

とくにクライアント・ワークの場合、お金が創造性を制限してしまうということが起こりがちです。先にみたように創造性は「言われたことをやる」「強制」や「義務」ではなく、自由度をもった「プラスα」の工夫にあります。「お金」はしばしば「プラスα」の「遊び」要素を奪ってしまう罠があるのです。


①お金をもらう側の「損得勘定」の罠

お金をもらって「仕事」を受けると「割に合わない」という感覚が出てきてしまうことがあります。

だいたいの仕事では最初に見積もりをしますが、見積もりで金額が決まると、それ以上に稼働するのは「損」である、という感覚が芽生えてしまうのです。そしてこれが試行錯誤や工夫の余白を削ってしまいがちです。

「あそび」の時間には「損得勘定」はありません。時間が勿体ないから早く終わらせようとか長い時間あそぶのは「損」などとは思わず、むしろ楽しいから続けていたい、と思うでしょう。そして、しばしばこの損得を超えたところに思いもよらぬものが生まれてくるのです。

クリエイターエコノミーにおいても実はこのバランスがとても難しいとおもっています。クリエイターとして「食っていく」にはお金も大事です。しかし、「お金のため」になってしまうとドライで面白みのない「仕事」へと変質してしまうことがあるのです。


行動経済学にこんな逸話があります。

自分の持つ空き地に遊びに来る子供たちに困っていたおじいさん。「ここで遊ぶな」と言っても子供たちは言うことを聞きません。
そこでおじいさんは子供たちに「遊びにきてくれるお礼に毎日100円あげよう」と言います。子どもたちはますます喜んで遊びにくるようになりました。
しばらくして、おじいさんは子どもたちに「すまんがお金がなくなったので、明日からは100円はあげられない」と言います。すると100円を当てにしていた子どもたちは次の日から遊びに来なくなったのです。

そもそも「遊び」のために楽しいからきていただけなのに、100円もらえることでそれが「得」だからに変わり、それがないと言われると「損」という感覚になってしまいました。このように「お金」は仕事の楽しさを変質させてしまうことがあります。


ただ一方で、お金のことを考えなければよいかというとそうでもありません。生活に困るような状態では創作活動を継続できませんし、「貧すれば鈍す」と言われるようにある程度の金銭的な余裕がなければまた「遊び」の余裕もなくなります。アートやエンタメ業界には「やりたい」という気持ちを神聖視しすぎるあまり、「やりがい搾取」の構造が生まれ、ブラックな労働環境が横行している点は改善が必要でしょう。

しかし創造的な仕事においては、お金や損得を超えた「遊び」が重要です。お金がトッププライオリティになるのではなく、仕事を面白がることが第一義であり、結果としてお金がついてくる、というような感覚を大事にしたいものです。

without moneyではなくbeyond moneyな仕事をすること。Play to earnではなくPlay then earnな遊びをすること。


②お金を払う側の「当然の要求」の罠

他方で、「お金」は払う側の心理にも変質を生んでしまいます。

もう一つ、行動経済学の逸話を紹介しましょう。

ある保育園で子どものお迎えに遅れる親が多く困っていました。そこで、お迎えの遅刻を減らすため、保育園では1時間遅れたら10ドルの罰金を取ることに決めました。
するとどうでしょう、罰金制度で遅刻が減るという保育園の期待とは裏腹に遅刻する親が倍増したのです。

罰金が「遅刻」を対価性のあるものに変えてしまいました。「10ドル払えば遅刻していい」と遅刻へのやましさが減り、「お金を払っているんだから当然」と大手をふって遅刻できる状態になってしまったのです。

financeという言葉はfinishと同根の言葉、という話がありますが、「お金」はものごとを想いや倫理から切り離してしまうところがあります。以前↓こんな記事を書いたのですが、日本人はお金を払う側になるととたんに尊大になり、当然の要求として相手にぶつける傾向が強い気がします。

ミスをした店員さんに対し、「それでもプロか!」と罵ったり、電車が遅延している時に駅員さんに怒鳴り散らしたりしている人をよくみかけますが、「お金をもらっているんだから当然」、「できてない方が悪い」と、「プロ」に対して異常に手厳しいのです。しかもこれはなにも、性格や意地の悪い人間に限った行動ではありません。家族や友人にはとても優しい人が、なぜか「プロ」に対しては異常に冷たい、ということがよくあります。まるで、「プロ」としてみた瞬間、相手が人間だということを忘れて「商品」としてみてしまうかのようです

仕事の受発注においても、発注側が「お金を払ってるのはこっち」と思ってしまうと、当然に要求していいという感覚が生まれてしまうことがあります。こうした上下関係の意識は搾取や圧力によりクリエイターを疲弊させたり、クライアントがやたら口を出して作品/仕事をダメにしてしまうことがあります。

「お金」は「思い通りにしていい」という免罪符ではありません。クリエイターが創造性を発揮するための原資であり、創造性へのリスペクトの対価だという意識を忘れないようにしたいものです。


仕事にもっと創造性を

これからの仕事では「創造性」が重要、と言われます。いわゆる「クリエイター」ではなくとも、日々の仕事で創造性を発揮するためには「仕事」から「遊び」をなくさない意識を持つことが大事ですし、「お金」が「遊び」を奪ってしまわないように注意が必要ですん。

好きなことや面白さを感じていたことも「仕事」になった瞬間に「義務」や「嫌」なものになってしまう。「お金」が絡んだ瞬間に、「損得」になったり「当然の要求」になり「プラスα」の工夫の余白がなくなってしまう。

「仕事」はもちろん生活のためでもありますし、お金を稼ぐのは重要です。しかし一生の時間の大半を注ぐ活動が「義務」や「嫌」なものになってしまうのは勿体ないですよね。

受注側・発注側それぞれの立場になった時に少し意識することからでも、「仕事」に「あそび」が入る余白をつくれるかもしれません。僕自身も日々の仕事で意識しながら、クリエイターとの協働では色々な「仕事」のあり方を試し、社会全体として創造性を増やしていけるような仕組みや関係性を考えていけたらと思っています。

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