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「実質金利低下でドル安・円高」予想の注

実質金利を持ち出す風潮について
国際金融市場が「金利差なき世界」に陥ったことで、名目金利差から為替レートを議論することが難しくなっています。こうした状況下、「実質金利の低下がドル安をもたらす」という主張をそこかしこで目にするようになっています。時期的に21年展望を聞かれることが増えていますが、やはりそういう論調が多いようです。以下の記事でも実質金利の差や財政赤字がドル安を駆動しているという趣旨が指摘されています:

ちなみに市況解説でも普通に実質金利の低下が理由に使われる世になっているようです:

実質ベースで見た米金利の低下とドル相場の下落は平仄が合うものであり、恐らくは株高とも平仄が合うものでしょう。確かに、中長期的かつ理論的には「実質金利の低下」は重要なテーマに違いありません。名目金利だけで全てが決まるならばブラジルレアルやトルコリラが常に上昇していなければおかしいでしょう。しかし、そうしたマクロ経済政策が極端に稚拙な新興国と先進国を同次元で扱うべきかという問題意識は持つべきです。また、ドル/円相場という「名目の世界」の予想を検討するのに、「実質の世界」から説明しようとする場合、丁寧な説明を尽くす必要もあると思います。

まず、「実質金利=名目金利-インフレ(もしくはインフレ期待)」と定義されますが、周知の通り、先進国の名目金利は少なくとも「金利差なき世界」では概ねゼロです。すなわち、実質金利を比較するということはインフレないしインフレ期待を比較するということであり、結局は中長期的に見た購買力平価(PPP)を議論するということになります。

この点、物価情勢の比較という意味では常に「米国>日本」なのだから、円高・ドル安の結論が導出されることになります。だが、「PPPで見れば円高・ドル安」という議論はドル/円相場の歴史に常に付き纏ってきたものであって、目新しいものではありませんし、必ずそうなってきたというものでもありません。そもそも日米の実質10年金利差とドル/円相場の関係性がそこまで示唆的であったという歴史もありません。実質金利低下はドル安要因に違いありませんが、対円でどの程度正当化できるかは議論の余地が必要です。

なぜPPPが使えなくなったのか?
2020年10月時点で、企業物価ベースのPPP(以下単にPPPとだけ表記する)は95円程度ですが、実勢相場(104円)はそれよりも9%ほど円安の水準にあります。上述したように「米国の実質金利低下が重要」であることは確かなのですが、現在は「名目金利の無い世界」なので、それは各国間の物価比較の議論、要はPPPを根拠にした議論に帰着するのと同じです。

しかし、近年のドル/円相場は全くPPPに収斂してこないことで知られています。PPPは95円だが、この水準は2012年を最後につけていない。それどころか、歴史的に見れば大きな上方乖離(過剰な円安・ドル高)が放置されたまま続いています。確かに「PPPから+20%上方乖離」という歴史的な天井はアベノミクス下でも機能したのですが、そもそもプラザ合意後の歴史という意味ではPPPの水準自体が実勢相場の上限の目途でした。それが今やボトムのように機能しており、PPPという尺度が本格的に使えなくなったように見受けられます。

なお、こうした見立てに対して「PPPがあてにならないことは前々からわかっていた」かのように言う向きもあります。しかし、PPPは5~10年という時間軸で考える尺度であり、ある程度の答えを見切るまでに相応の時間がかかるものです。「前々から分かっていた」というのは結果そうなっただけであって、真摯な分析態度ではありません。

話を戻します。いずれにせよ2012年11月にアベノミクスの名の下で円安・ドル高相場が始まって以降、なぜ実勢相場がPPPに収斂していかなくなったのかを考えなければ、所詮は物価比較の問題にしかならない「実質金利低下でドル安」という主張も説得力をなしません。では、なぜドル/円相場はPPPに収斂しなくなっているのでしょうか。

この点、筆者はやはり需給構造の変化が重要と考えています。そもそもドル/円相場がPPPから過小評価(円安・ドル高)されていた場合、それが「あるべき方向」に調整する(円高・ドル安が進む)のは過小評価された円によって日本企業の国際競争力が改善し、日本から世界への輸出が増加、貿易黒字が拡大するからです。拡大した貿易黒字はいずれアウトライトの円買い・ドル売りとして為替市場に現れるものです。そして円高を招くというのが一般的な想定です。しかし、金融危機後、円相場と貿易収支の関係は薄れ、2012年以降は円安・ドル高にもかかわらず貿易赤字が目立つようになりました。赤字だからこそ円高・ドル安に進まなくなったとも言えますが、過去の日本であれば「円安→輸出増→黒字拡大」への波及が期待されるはずでした

円安と輸出増のリンクが切れた理由
繰り返しになりますが、「為替の変化(円安)→国際競争力の変化→輸出の変化→需給の変化」という経路があって初めて、ある水準が「過剰な円安」と言えるのです。しかし、近年の日本ではこの経路が明らかに弱まっています。よって、構造変化を必ずしも反映しないPPPと比較して「過剰な円安」に見えても、それは過去の物価格差と経済構造を前提にした話であって、経済が構造変化の最中にある場合は機能しなくなってしまうのです。

円安と輸出がリンクしなくなった理由には諸説あります。基本的な事実を押さえておきましょう。円安で輸出数量が増えるのは、外貨に対して安くなった円を利用して現地通貨建ての販売価格を値下げできるからです。しかし、日本企業は2012年11月から2015年6月に約48%も円が対ドルで安くなったにもかかわらず、現地通貨建ての輸出物価は▲7.1%しか値下げされませんでした。片や、円建てでは約+20%の上昇が確認された。これは日本企業が「粗利益=利幅×数量」の中で、数量を増やして市場シェアを押さえて粗利益を積み上げるのではなく、数量を据え置きにして利幅を厚くすることで粗利益を積み上げる戦略を取ったことを意味しています。約48%も円安・ドル高が進んで、輸出数量は+5%も増えなかったのだから、貿易収支が黒字に転換するはずもありません。

では、なぜ数量を追わなかったのでしょう。これは大別すると数量を「追わなかった」のか、それとも「追えなかった」のかと分けて考える必要があります。例えば、過去と違って日本の輸出製品が高付加価値化しているので値引きしても売れる数量が変わらないという見立てから、敢えて数量を「追わなかった」という経営判断があったのかもしれません。もしくは、現地生産・現地販売のアプローチが効率的という経営判断の下、海外生産移管が進んでおり、日本から輸出数量を増やすことが物理的に難しくなっており、「追えなかった」という事情も考えられます。東日本大震災を境としてリスクヘッジとしての生産移管も相当進んだと言われていますから、これは有力な論点です。

もちろん、貿易は常に相手がある話なので、理由は他にも考えられます。海外経済の(日本製品への)需要が芳しくなかったという事情もあるでしょう。そこには当地の景気動向だけではなく、日本の競合となりそうな他の輸出国の存在も影響します。

需給面からはヒステリックな円高は予見されず
いずれにせよ、諸要因が重なった結果として「為替の変化→国際競争力の変化→輸出の変化→需給の変化」という経路が機能不全になっているのは事実であり、だからこそPPP対比での過剰な円安・ドル高が放置されているという現状があります。

最近、金融市場で持てはやされる「実質金利の低下がドル安を招く」という主張は腑に落ちやすく、筆者も大筋では同意します。しかし、日本経済がかつてのような「円安→輸出増」という経路に頼れなくなっていることを思えば、そのドル安相場が、金融危機後に見たようなヒステリックな円高を招くとは限らないという点も留意する必要があるでしょう。


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